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カテゴリ:教会
聖書の創世記にある、『ヨセフ物語』。
兄達に殺されそうになり、 死ななかったと見るや商人に奴隷として 売り飛ばされ、エジプトへ連れていかれたヨセフ。 愛する家族から引き離され、 その人生は滅茶苦茶にされてしまいました。 ひょんなことから、 エジプトの王に召し抱えられ、 なんと宰相(総理大臣)という位に上り詰め、 大飢饉から国を救いました。 エジプト周辺の国々からも 食料を求めて多くの人がやって来ました。 そこに、自分を殺そうとし、売り飛ばした兄達がいたのです。 自分を抑えることが出来なくなったヨセフは言いました。 「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです」 「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません」 「神はいのちを救うために、あなた方より先に私を遣わしてくださったのです」 「この2年の間、国中にききんがあったが、まだあと5年は耕すことも 刈入れることもないでしょう」 「それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。 それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、 また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです」 「だから今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、 実に、神なのです」 創世記45章4~8節 自分の人生を滅茶苦茶にした相手に向かって、 この言葉をかけることの出来たヨセフ。 なぜ彼は赦すことが出来たのでしょうか? それは、 どんな「ひどいこと」「悪いこと」を通してさえも、 神は素晴らしいことをして下さるということを知っていたから。 事実、ヨセフがエジプトに渡らなければ、 何千何万という人の命が失われた可能性があります。 ヨセフが奴隷としてエジプトに来たからこそ、 飢饉があっても、予め食料を備蓄し、 エジプトのみならず近隣諸国の人々をも救うことが出来ました。 ヨセフのように、 自分に起きている一切のことが、 すべて神様の摂理であるという信仰を持ちたい。 目先の苦しみにばかり目を向けているのではなく、 その先に働かれる神様を信じていきたい。 ======= 今日の礼拝は、金山キリスト教会に出席しました。 イアシス代表であり、西春師勝教会の牧師である 北澤正明先生のメッセージで、ヨセフのことが語られました。 先生のフルートの伴奏をさせていただき、 また、その素晴らしい聖書のメッセージを聞くことが出来、 神様が私に語りかけてくださっているように思いました。 みことばに耳と心を傾けているうちに、 魂が癒されていくような感覚がありました・・・ 自分に起こっているある出来事について、 赦せない、受け入れられない気持ちでいっぱいだったのが、 ふっと心が軽くなったような。 自分のために神様が語ってくださったと思いました。 ありがとう、神様。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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