Uooの三日坊主Diary

2005/11/26(土)13:03

イスラエルの遺跡を訪ねて・・・

教会(35)

この勤労感謝の祝日、 所属教会の皆さんで『京都信仰旅行』へ出かけました。 3年前に結婚して以来、Uooは3回目。 一昨年は、伊勢神宮へ。 去年は、京都の太秦(広隆寺、大酒神社、蚕の社) そして今年は、西陣の町屋と平安神宮。 え!?と思われる方が多いと思います。 教会で、神社めぐりをするの!?って、 不思議に思われますよね、普通。 『失われたユダヤの10部族』が 日本の先祖であるという説があります。 紀元前722年、イスラエルの10部族は アッシリヤに滅ぼされ、多くの国民が殺され、 残った国民のほとんどがアッシリヤに捕囚として移されました。 その捕囚たちはその後ぱったり消息を絶ち、 どこへ消えたのか分からなくなりました。 これがいわゆる『失われた10部族』で、 彼らは、中央アジアをはるばる越えて 東の方向へ三つに分かれて移住していったと考えられています。 彼らの末裔が最後に日本にたどり着いて、 日本建国をしたのではないか。 大胆に言ってしまうと、 天照大神その人は、ユダヤ人であったのではないか。。。 失われた10部族については、 以前から耳にしたことはありましたが、 まさか、結婚によって自分が所属することになった教会が それを大真面目に信じて(?)いるとは思いもよらなかったので、 3年前はかなり衝撃をうけました(^^; しかし、知ればしるほど、 興味深い事実・・・ 一昨年訪れた伊勢神宮には 三種の神器の一つ、『八咫鏡(やたのかがみ)』が祀られています。 八咫鏡は聖なるもので、一般の人はおろか、 伊勢神宮の神官でも見ることは出来ず、 天皇でさえ簡単には見られないそうです。 しかし、明治時代に文部大臣であった森有礼が 八咫鏡の裏面にヘブル文字で次のようにあるのを見たといいます。 「我は在りて有る者」(出エジプト記にある、神の言葉です) 去年訪れた太秦では、 古代日本の『秦氏』のユダヤ人説について聞きました。 秦氏が作った大酒神社は、元々は大闢神社(だいびゃくじんじゃ)といわれ、 大闢とは漢文聖書ではダビデのことを指すそうです。 大酒神社の近隣にある蚕の社には、『三本足の鳥居』があり、 三位一体の神を象徴したものだそうです。 敷地内の由緒書きには、 「景教(古代中国で栄えたキリスト教)が渡来し、 秦氏と関連があったことの名残をとどめる遺跡」との説明。 その蛍の社には六角形の石灯籠があり、 その6面にユダヤの12部族の紋章か旗印が刻み込まれているそうです。 長い年月のため消えて不明瞭になっていて、見えませんでしたが・・ 今年訪れた平安神宮。 平安京は、平安の都を示す、 つまり『エルサレム』という言葉だといいます。 柱が赤く塗られているのは、贖いの血が塗られていることを意味するとか。 12という数字を多く用いていることも共通しています。 神宮の構造は、ソロモンの神殿にそっくりだそうです。 また、汚れときよめ、という概念も共通しています。 その他、多くの点でイスラエルと日本の古代文化は 類似していることは、本当に不思議な気がします。 私の、日本の宗教への感じ方も一変しました。 もともと日本人は、唯一の神様を信じていたのかもしれない。 長い年月の間に多神教になってしまったけれど、 いつか、日本の人々が真の神様に立ち返ることが出来ますように、と 祈り願うようになりました。 決定的な根拠のない、一説にすぎないので、 信じきっているわけではありません。 でも、日本とユダヤが古代にそのような結びつきがあったとしたら ロマンを感じないではいられませんね。 <参考資料・教会の配布物と日本の中のユダヤ文化(久保有政著)> photo:平安神宮

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