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カテゴリ:信仰
礼拝メッセージのアップが滞っています・・・
夏の間、日記を書く気力がいまいち湧かなくて、 そのうち・・・と思っている間に、だいぶ日にちがたってしまいました。 今、みのり教会では、マルコ福音書を離れて、創世記を学んでいます。 とても興味深く、毎回教えられるので、ぜひアップしたかったのですが・・ 諦めます・・・ノートを見ても、もう思い出せない でも、印象的だったことだけでも書いておこうと思いました。 それは憲法9条について。 日本の憲法は、戦後アメリカから押し付けられたものだと良く言われます。 特に、9条はとても不思議な条文です。 <条文> 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。 国連憲章51条には、国家が自衛権を有することが認められています。 9条のような憲法をもった国は、他には存在しないのです。 日本国憲法は、マッカーサーノートから始まっています。 マッカーサーという人は、小学生の時から大学院に至るまで、 100点満点以外とったことがないというくらいの優秀な人だったそうです。 マッカーサーが日本人を見た感想は、「なんて皆、こんなに子供なのか」だったそうです。 彼が国へ帰ってから、持ってきたのは、聖書と宣教師でした。(+チョコレート?) 彼が考えたその条文は、「どんなことがあっても戦争を放棄する」という崇高な理念でした。 単なる無抵抗主義ではありません。 「理念を伝えるために、戦争をしない」というものです。 憲法9条については、様々な場所で議論されます。 改憲派は、武装することで戦争の抑止力になると言い、 護憲派は、武装ではなく、外交で平和を作るべきだと言うでしょう。 しかし、外交努力をして平和を守れるのでしょうか? 戦争には、理屈がありません。 もともとのマッカーサーノートには、自己の安全を保持するための戦争も放棄すると 書かれているそうです。 崇高な理念・・それはまさに、キリストの十字架です。 平和のために、自分の命をも捧げるという覚悟がなければ、 この理念をつらぬくことは不可能でしょう。 私たちは、武装することで、緊張関係によって平和を保とうとします。 しかしキリストは、そうされませんでした。 イエスは、「剣をとる者は、みな剣で滅びる」と言われました。 武力によって平和は作り出せません。 主イエスは、自ら十字架にかかりました。 主は、人間を責めることではなく、本当の平和を実現するためにそうされたのです。 この上なく、聖書的な平和の理念が土台となっている憲法9条。 それが、世界中で日本だけが持っているということが、とても不思議です。 マッカーサーは、この条文の中に、 人々に、そのように生きることを始めて欲しいとの願いを込めたのかもしれません。 人の心を動かすのは、武力やトップダウンの権力では無理です。 語る相手のところを自らが下っていって、愛すること。 その人のところへ、あらゆる手段を用いて、キリストを伝えること。 私たちが、世界平和のために出来る唯一のことと信じます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.09.01 23:31:54
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