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UPUPの名馬達の伝説

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名馬伝説

2006.09.20
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カテゴリ:名馬伝説
3強によるダービーでの対決

誰もが3強によるデットヒートを期待し待つ。
そこには万全な状態で出走してくる
3強の姿があった・・・・。








皐月賞3着後は日本ダービー直行が決まっていたトップロード

テイエムオペラオーに負けはしたが
やはり恐いのは
アドマイヤベガ

これが渡辺の考えであった。

やはりあの一瞬の切れ味は恐いものがある

テイエムオペラオーに関しては
眼中になく負けただけ
実力はトップロードのほうが上

そう考えていたのである。

実際これはこの時点では間違っていなかったと言って良いだろう。

皐月賞に関して言えば
トップロードは全力で走りきれていない上に
苦手な荒れた馬場

それに比べて力を出し切ったテイエムオペラオー

この差はあまりに大きい。

実力さえ出し切れば
これがトップロード陣営の考えであろう。

テイエムオペラオー
アドマイヤベガ
ナリタトップロード

3頭は共に
皐月賞から日本ダービー直行コースをとる。

いったいどの馬が勝つのか。
ファンもみなが3強の動向に注目していた。

さらに成長の一途をたどるトップロード
貫禄が見えてきたテイエムオペラオー
復調著しいアドマイヤベガ

人気はわれて当然だった。

1番人気は安定しているトップロード
2番人気には体重が戻ったアドマイヤベガ
3番人気にはまだフロック視されていたテイエムオペラオー

この3頭のレースになることはレース前から目に見えていた。

レース直前
1番人気という重圧が渡辺を襲う。
冷静を装っていたが
重圧は相当のものであっただろう。
それは和田も同じである。
この2人の若者が

かたや1番人気で
かたや皐月賞馬で

あの日本ダービーに向かうのだ・・・。

人馬ともに成長させる。

まさにこの2人は発展途上なのだ。
名馬でめぐり合い
大レースに挑み
重圧に耐えながら成長しているのだ。

しかし、アドマイヤベガのジョッキーだけは違った。
そう武豊である。

前年にダービーを制した時に武豊は


「ダービーの勝ち方が分かった気がする。」


こう周りにもらしたという。



レースが始まった。
先頭はこれまた若い幸騎手騎乗の
ワンダーファングが大逃げを目論んだ。

この後ろには岡部騎手騎乗のマルブツタンゴ

かなり縦長の展開
中団につけるのは
テイエムオペラオーとトップロード
トップロードは
テイエムオペラオーの少し後ろで
マークする形になった。

この時渡辺はオペラオーのことで
頭がいっぱいになってしまったのだ。

レース前はあんなにアドマイヤベガに注意していたのに

そのアドマイヤベガは最後方でじっくりと脚をためていた。
弥生賞の時は惜しくも届かなかったが
ダービーでは400mある。

届く

それが武豊の狙いであった。

レースは流れ残り1000mあたりで
前はまだ余力を残している状態であった。

これ以上前に楽をさせていけない。

こういうときに動くのは
マークされる馬の宿命である。
このレースの場合
1番人気はトップロードであったが
事実上レースの鍵はテイエムオペラオーが握っていた。

早めに動いたオペラオー
前を一気に捕まえにいく。
脚が先行していた馬とはまるで違う。
しかし、トップロードはそれを標的に上がっていく。

皐月賞の逆のことをやれれば

渡辺の策は見事にはまった。
オペラオーはあっというまに前の馬全てを捕まえ
先頭に立とうとした瞬間

外からトップロードがやってくる!!

残り100mで見事にオペラオーを差しきる!

その瞬間横にはアドマイヤベガ!!

「ナリタトップロード!ナリタトップロード!先頭はナリタトップロード!
外からアドマイヤ!外からアドマイヤ!ナリタトップロード!
アドマイヤベガ!
アドマイヤだぁ!!!アドマイヤベガです!!
母ベガの2冠達成から6年!またもその息子が輝く一等星に!アドマイヤベガ!!」



忘れていた存在だった。

武豊は虎視眈々と狙っていたのだ。

前2頭は早仕掛けだった。
テイエムオペラオーは前を捕まえるためとはいえ
ナリタトップロードは完全に
オペラオーを標的に上がっていってしまった。

交わしてからの残り100m

粘りに粘ったが

予想外の敵と戦う力は残っていなかった。


またも消えていた存在にゴール直前で勝利を奪われた・・・・。


騎乗ミスなのか・・・。
呆然とする渡辺。

沖師の前で立ちすくむ。

そんな渡辺を見て沖師は一言だけかけた。


「よくやった。実力出し切ったじゃないか。」


こんな師だから。だからこそ
ダービーという称号をあげたかった。

こみ上げてくる悔しさと
自分の未熟さへの怒り

最後の一つ

菊花賞だけはどの馬にも譲れない。

こみ上げてくる気持ちを抑えきれない渡辺がいた・・・・。

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Last updated  2006.09.20 14:20:22
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2006.09.19
カテゴリ:名馬伝説
3強対決といったらなにを思い出しますか?

昔でいうとTTG

テンポイント、トウショウボーイ、グリーングラスが有名です。

しかし、今の若者は

テイエムオペラオー、アドマイヤベガ、そしてナリタトップロードを思い出す人が
多いでしょう。

今この物語ではまさに3強対決が幕を開けます。



弥生賞


それは、皐月賞へ向けて非常に大切な一戦である。

スペシャルウィークと同じ道をいくナリタトップロードとしても
ここは負けられない一戦であった。

しかし、ここでの本命は決まっていた。


名牝ベガを母に持ち
名種牡馬サンデーサイレンスを父に持つ
超良血

そして鞍上には天才 武豊


そうアドマイヤベガである。

ラジオたんぱ杯でマチカネキンノホシ、オースミブライトといった
注目されている馬に勝ってここにきたアドマイヤベガ

クラシックでは断然の一番人気だった

そして、弥生賞では1倍台という人気っぷり
2番人気トップロードは4倍台の2番人気

しかし、さすがにこの人気の差は大きすぎる。
理由は簡単


鞍上の違いである


かたや、去年ついにダービーを勝った、天才
かたや、デビューしてから今までに60勝ほどしかしてない


この差はしかたないものである。
さらに、トップロードの周りでは
クラシックにいくには渡辺では心もとない。
という意見が多数でていた。
それでも沖師は渡辺を降ろす気はなかった。

これは、渡辺にとって最高のチャンスなのだ。
一人前になる。

実際、渡辺も気にはしていなかった。
なによりも馬の調子がとても良かったのである。


そして迎えた弥生賞も

アドマイヤベガを抑えて勝って見せた。
しかし、これだけは覚えておいてほしい。

決して楽勝ではなく
最後にかなり詰め寄られての1馬身差

これによって渡辺の脳裏にはアドマイヤベガは脅威として
焼き付けられた。


そして、クラシックの季節がついにやってくる。

西では、毎日杯を勝ったテイエムオペラオーが200万払ってまで
急遽クラシックに参戦してくることが決定した。

しかし、ここでアクシデントが襲った陣営があった。
クラシックの絶対的本命
アドマイヤベガ陣営だ。

なんと、突然の熱発によって飼い食いがおちてしまったのだ。

なんとか皐月賞に出走はするものの
噂話は耐えなかった。
果たしてどこまで
体調を戻したのか
本当は出るのもきついのではないか

そんななか
トップロード陣営はいたって順調であった。

弥生賞を勝ったことで
渡辺には自信という言葉が芽生え始めていた。
トップロードも今までの中で一番調子がよい状態であった。

渡辺には自信とともに余裕も見えていた。
しかし、沖師は不安を隠せなかった。
この余裕が悪いほうにでなければいいが・・・・


そんな不安をよそに皐月賞ははじまった

突然の雨だったが良馬場という発表
しかし、内馬場はかなり荒れていた。

そんな中渡辺はトップロードを距離短縮のために内にいれていた。

その外にはアドマイヤベガが見れるところだった。
絶対的1番人気のアドマイヤベガ
そして、前走での末脚

先に仕掛けて標的にされるのがいやだった渡辺は
なかなか仕掛けられないでいた。

残り800mを超えたあたりで
ついにアドマイヤベガが仕掛ける
それにつれて上がってくる
トップロード

しかし、すぐに渡辺は二つのミスに気づく

内の荒れた馬場を走らせたことで
トップロードにはもうスタミナはないということと

アドマイヤベガはやはり体調が悪かったということ

自信が慢心となって、周りが見えなくなっていた渡辺
あまりに痛いミス
このときはすでに直線に入っていた

オースミブライトが抜け出している。

負けるわけにはいかないトップロードと渡辺


届いてくれ!


この一心で追う渡辺

それに応えるトップロード

いつものようないきっぷりはないものの
確実に前と差が縮まる

いける!あと少し!もう少し!


「先頭はオースミブライト!内からシルク!オースミブライトが先頭で
外から8番ナリタトップロード!!!」


あと少し!!


その瞬間に
覇王はやってきた・・・・


「大外からテイエム!大外からテイエムーーーー!大外からテイエムオペラオーーーー!!!!」

あっという間のできごとであった。
残り100mで
加速したナリタトップロードが
前全てをつかまえて勝つはずだった。
その瞬間
まだだいぶ後ろにいたテイエムオペラオーの次元の違う末脚に屈した・・・。
結局、オースミブライトもさせずに2着・・・・。

復調したアドマイヤベガ
開花したテイエムオペラオー
成長し続けるナリタトップロード

この3頭で決まるダービーになるだろう。

そう予感させる皐月賞であった。

3強対決はまだ始まったばかりなのだ・・・・。


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Last updated  2006.09.19 17:55:36
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2006.09.14
カテゴリ:名馬伝説
変則二冠の厳しさをあなたは分かりますか?

真の最強馬を証明しきれなかった馬の無念さが分かりますか?

確かにそのとき大王は降臨した

キングカメハメハ

父:キングマンボ

母:マンファス

キングマンボはいわずと知れた名種牡馬

母マンファスは、キングカメハメハの後もレースパイロットなどを産んでいる。

馬主もいわずと知れた金子氏

期待されてデビューを迎えた

キングカメハメハ

2003年の京都の新馬戦をなんなく勝って見せると

次にエリカ賞へと出走してくる

このエリカ賞は

出世レースとして有名で

過去に勝った馬には

タヤスツヨシ、アドマイヤグルーヴ、アドマイヤベガ

クロフネ、エアダブリンなどがいる

そのレースをこれまた完勝してみせる。

年が明けて2004年

ついに陣営は重賞出走に踏み切る

京成杯である。

しかし、フォーカルポイントの3着に敗れてしまう。

初めての敗北であった。

ちなみにこのレースの4着は

天皇賞春を勝つことになる

スズカマンボである。

なんにせよ

初めての敗北である。

しかし、陣営は気落ちするどころか

よりいっそう積極的にレースに使う。

すみれS

毎日杯と

2連勝

ちなみにすみれSの2着はストラタジェム

この2連勝により

順調に賞金を加算したことにより

陣営は

皐月賞回避を決定!そして

NHKマイル→日本ダービー

の「変則二冠」達成を目指すのであった。


変則二冠

この言葉を聞いてまず思いつくのが

松田国英調教師だ。

この調教師が

「芝でならクロフネよりも良い脚を使う。」

とキングカメハメハのことをたたえていた。

これは

キングカメハメハにとって

最高の賛辞だと言えよう。

ついにNHKマイル

しかしG1はそう簡単には勝てないだろう。

だれもがそう思ったが

それはキングカメハメハにとっては

失礼な言葉だった。

完勝

この一言に尽きるレースだったといえよう。

そして

ついに変則二冠達成なるか!!??

タニノギムレットはダービーを制し

クロフネはNHKマイルを制した。

3度目の正直

その夢を背負いキングカメハメハの

勝負が始まった。

レースは1000mを58秒という

ハイペースから始まった。

そして

前を走っていた馬が疲れたところで

大王の降臨

そこからはただただすごいの一言

アイネスフウジンの作ったダービーレコードを

14年振りに更新したとともに変則二冠を達成

ちなみに2着はハーツクライ

夏の間は休養し

秋は天皇賞秋→JCという王道を歩む予定だった。

復帰緒戦の神戸新聞杯を完勝し

天皇賞秋を2週間後に控えた時

競争馬の宿敵

屈腱炎を発症

これにより引退を余技なくされる。

その年の天皇賞秋・JC・有馬記念という王道は

大王なき戦いであった。

善戦マンであったゼンノロブロイの素質が開花し

そして新王者へと上り詰めた。

まさに出世街道であった。

しかし、その道は王が歩くべき道で

出世街道であってはいけない道である。

ゼンノロブロイが歩いた道を

大王が悠々と歩く姿をぜひ見てみたかった。

ブログランキング
これからも応援お願いします!

あさってか、明日にはナリタトップロードをUPする予定です。






Last updated  2006.09.14 16:29:21
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2006.09.10
カテゴリ:名馬伝説
「ナタの切れ味」と評された馬がいたことをあなたは知っていますか?

多くのトラブルを抱えながら三冠を達成した馬がいたことをあなたは知っていますか?

史上初の5冠馬の名前をあなはた知っていますか?

ナタの切れ味をもつ最強馬

シンザン

5冠馬シンザンは北海道の日高に生まれた。

当初は特徴のあった馬ではなく

期待はされていなかった。

武田文吾調教師に預けられ、競走馬としての人生をスタートしたが

調教師本人も、全くといっていいほど期待はしていなかった。

武田厩舎には、期待馬オンワードセカンドがいたため

シンザンはほったらかし。

ウメノチカラという素質馬の調教を見て

シンザンのデビューをわざとずらしたというから

本当に信用していなかったのだろう。

しかし、一人だけシンザンの強さを発見していた騎手がいる。

それは、主戦騎手の栗田勝騎手である。

オンワードセカンドとシンザンどっちにのりたいと聞かれたときに

シンザンです。

と即答したのは有名。

シンザンは武田調教師の期待を裏切り

あれよあれよというまに3連勝

そして年があけた時にアクシデントが発生する

シンザンは飛びが大きいために

後ろと前の足が当たってしまうのだ。

しかし、武田文吾発案のシンザン蹄でこれを防いだ。

その成果もあり

年明けの阪神のマイル戦を完勝(後にシンザン記念と名を変えた)

スプリングSも、阪神3歳S、朝日杯3Sの両方の連対馬が出走してきたことで

6番人気と人気落とすものの

完勝。さらには皐月賞までその調子で勝ってしまうのだから

すごい馬である。

しかし、ここでまた問題が発生する。

日本ダービーに向けて、栗田騎手はレースにでる必要はない

といったのに対して、武田文吾は

レースに使って調子を上げないとダメだ。

と対立が起きたのである。

そして、そこは調教師の意見が通り、オープン戦に出走。

そのときの馬体重まさに+10kg。

そんな馬が勝てるわけもなく、さらには闘志もなく2着に敗れた。

これがシンザンに初めて土がついた瞬間であるから

なにかやるせない。

そしてダービー。

対抗馬は、皐月賞2着のアスカと思いきや

それをNHK杯で破ってきたウメノチカラであった。

人気はウメノチカラが1番人気

シンザンは2番人気。

そしてレースは最後の直線でシンザンが先に抜け出すと

それを内からウメノチカラが差しにくる。

なんとゴール400mほど前でシンザンを差したのだ。

このまま決まるのかと思った瞬間。

なんとそこまでシンザンに鞭は入っていない。

残り200mで鞭が入ると

ゆっくり伸びて1馬身と1/4差したとこでゴール。

これが世に言う「ナタの切れ味」なのである。

シンザンの末脚が遅いわけでは決してないと思われる。

ライバルがいつも、最後まで粘り

それをゆっくり差すから、ナタのような切れ味に見えるのだろう。

ついに菊花賞を目指す事になったシンザン

普通の馬だったら

夏の間は北海道などにいって休養するはずだ

しかし、ここでまた武田文吾は普通と違うことをいう

「残して調教する」

これが最高に裏目にでてしまう

その年はかなりの猛暑で

シンザンは重度の夏バテに陥ってしまうのだ。

そして復帰戦のオープン戦も

京都杯と連敗を喫する

それに対し、ウメノチカラは古馬相手に善戦し

順調に成長していた。

そしてついに菊花賞。

一番人気はウメノチカラ

二番人気はシンザン

前年に、支持率80パーセントを超えて3冠に挑戦してメイズイが負けていたこともあり

シンザンでは3冠無理

という空気が流れていた。

そして菊花賞

このレースで思わぬ伏兵が活躍することになる

カネケヤキである

桜花賞、オークスと連勝して

自信満々で菊花賞に挑んできたのだ。

この馬がまたすごい

まさかの大逃げをうってでたのだ。

しかも、最後の坂のくだりでスパートをしているあたりから

かなりの実力をもっていたことが分かる。

アナウンサーも「シンザン三冠なりません」

と興奮して実況してしまったほどだ。

しかし、シンザンからすれば相手にしていなかったのかもしれない

直線にむいたところであっさりかわすと

後は、ウメノチカラとの一騎打ち

そのウメノチカラも残り200mで引き離し

結局は2馬身つけての三冠達成!

ここに三冠馬シンザンの誕生である。

栗田勝はあまりの嬉しさに

指を3本たてて三冠を誇ったという。

しかし、シンザンは夏の無理もたたってか

長期休養を余儀なくされる

その結果、有馬記念も天皇賞春も出走することができなかった。

天皇賞春に出走しないことにたいしてマスコミが

「強い馬から逃げてるだけでなありませんか?」

といわれた事に対して

「シンザンが走りたくないといっている」

と武田文吾が答えたのはあまりに有名

そして

夏になり

オープン戦を一戦はさんでから

シンザンは宝塚記念へと向かう

この宝塚記念をシンザンは圧勝といってよいだろう

本気ださずして勝ったのだから

しかし、この宝塚記念

出走馬全てが重賞をかったことのある馬だったのだから

今からすれば、とてもレベルの高いレースだったといえよう。

そして今度は最高峰のレース

天皇賞へと向かう

ステップレースには目黒記念を選んだ

ライバルはヤマトキョウダイとブルタカチホ

直線残り200mでヤマトキョウダイをぶっちぎって

圧勝かと思いきや

残り100mでブルタカチホがつっこんでくる

そして交わされ負けたと思われた次の瞬間

シンザンに鞭が入り

あっという間に差し返したのである

まさに圧巻のレース

普通の馬にはできない芸当である

その後天皇賞秋も制し

いざ

有馬記念へ!

しかし、ここでまた問題発生

実はシンザン中山の急坂を体験してことがなかったのだ

そのため武田文吾がまた無理をいいはじめるのだった・・・。

「中山競馬場で調教させろ!」

シンザン一頭のために中山競馬場をあけろと言い出したのだ

もちろん無理である

その結果武田文吾は中山のオープン戦に急遽シンザンを出走

なんと実戦で調教したのであった

それに対し、もちろん栗田騎手が黙っているはずもなく

またもや対立

結果は、調教師の勝ち

そして栗田騎手を背にのせてシンザンは負ける

栗田騎手からすれば

名馬シンザンが格下相手に負けるのが許せないのだ

栗田は街で飲みまくり

次の日のレースをさぼった

その結果、騎乗停止で有馬記念ものれないことに

かわりに松本騎手で最後のレースへ

このレース様々な馬

騎手がシンザンにいろいろなことをしかけた

特に、加賀騎手騎乗のミハルカス

シンザンに荒れたうち枠を通すために

自分は外ラチいっぱいへ

しかし、まさかまさかでシンザンはそのさらに外から走ってきたのだ。

1頭分の隙間もない大外である

その結果、一瞬シンザンが消えたように見え

「シンザンが消えた」

という名実況が生まれた

そのままシンザンは完勝

こうして5冠馬が誕生したのであった。

シンザンは種牡馬としても成功し(ミホシンザン、マイシンザンなどが子供、孫である)

さらには35歳まで生き続け

競走馬の長寿最長記録を更新した

様々な記録をうちたてたシンザン

今までも、そしてこれからも愛され続けるべき馬である。

生涯成績

19戦15勝 2着4回

*グレード制がない当時、八大競走と呼ばれたクラシック5競走に

春秋の天皇賞(1980年までは勝ち抜け制で、天皇賞優勝馬は再度出走することはできなかった)

有馬記念といった主要レースにおいて、牡馬が獲れる全てのレースを制したというもの。

この後シンボリルドルフが現れるまで「シンザンを越えろ!」

は日本競馬の合い言葉になった。現在でもシンザンは

史上最強馬の1頭と考えられる競走馬である。

ダートで勝ちたい人は、ここにヒントあります!

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もし本当に感動したという方は
ブログランキングのワンクリックお願いします。
それが私の元気の素なので・・・・。






Last updated  2006.09.10 13:22:54
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2006.09.06
カテゴリ:名馬伝説
サクラ軍団にはじめて有馬記念制覇という名誉をもたらした馬の名前を知っていますか?
最高の敵だった名馬をあなたは知っていますか?

遅れてやってきた名馬



サクラローレル


凱旋門賞馬のレインボークエストを父に持つということで
それなりの期待を受けて
4歳(現3歳)の4月にデビューを迎える。
しかし、虚弱体質だったこともあり、はじめはなかなか勝ちきることができなかった。
3戦目にして勝ち上がり、日本ダービーを目指すこととなった。
しかし、この世代には絶対王者が君臨していた。
その名は、


ナリタブライアン


その圧倒的強さから、熱狂的なファンも多く、まさにこの世代の王者であった。

そのチャンピオンに立ち向かうべく調教され、やっとの思いで青葉賞を3着に入った
サクラローレルは、ダービーを目指す。
しかし、そこには初めての挫折が待っていた。

右後脚の球節炎によりダービー回避

そう。慢性的な脚部不安が姿を現した瞬間だった。
4歳秋。菊花賞でナリタブライアンが圧倒的なレースを展開し、3冠を達成した後に
サクラローレルは復帰する。
そして、2連勝で挑んだ金杯
相手は、本格化前のオフサイドトラップやシャコーグレイドやステージチャンプと
2流の馬達ではあったが2馬身差をつけて快勝し
初の重賞制覇を達成する。

この時陣営は天皇賞春を意識したという。
目黒記念をハギノリアルキングの2着に敗れた後、天皇賞春へと調教を再開する。
しかし、そこでサクラローレルをまた悲劇が襲った

追い切りで両前脚を骨折

衝撃的なニュースであった。
陣営としても、本気で天皇賞春を目指し

「打倒ナリタブライアン」

をぶちまけていただけに、本当に無念であっただろう。
今回の故障は、本当に深刻なもので予後不良の話もあった程だったそうだ。
しかし、陣営の努力もあり
6歳になって、1年以上の休養明けでサクラローレルはターフに帰ってくる。
復帰戦は中山記念
相手にはジェニュインがいた。
サクラローレルは9番人気
それもしかたないことであった。

故障前には天皇賞春へ挑戦ということで
マスコミも注目していた良血馬であった。
しかし、故障したとたんに忘れ去られてしまう。
それが競馬という世界なのだ。

しかし、サクラローレルはそれをあざ笑うかのように
快勝して見せた。

1年以上ブランクがある馬が
G1馬相手に勝ってみせたのだ。
これによりマスコミの評価は急激に上昇。
忘れ去られていた馬は、天皇賞春を前に
対抗馬まで押し上げられていた。
しかし、時はナリタブライアン、マヤノトップガンの2強時代。
ここに割って入るのは、まさしく悪役。
その雰囲気は阪神大賞典でさらに強くなった感があった。

ちなみに、復帰後の主戦は、小島太が引退していたために
横山典騎手が務めていた。

天皇賞春では、ナリタブライアンが1、7倍
マヤノトップガン2,8倍と、完璧に一騎打ちムードが漂っていた。

そして、ナリタブライアンがマヤノトップガンに競り勝ち
G1のタイトルを久々に獲得したと誰もが思った瞬間
最高、最強の悪役の登場である

外からサクラローレル!!!!

一瞬の出来事であった。
上がっている手は、南井騎手の腕ではなく
横山典騎手の腕であった。
感動のゴールが一瞬で
悲鳴の沸き起こるゴールに変わる。
誰もが信じていた、最強馬ナリタブライアンの復活V
それを遮ったのは
運命と戦い続けてきたサクラローレルであった。

「最高です! 一番強い馬を負かしてやったわけですからね。本モノのGIを勝った気分です!」

そぉ喜ぶ横山典騎手

境調教師はレース前に

「もし、ナリタブライアンが完調なら、どんな馬でも勝つことはできない。しかし、今回に限っていえばローレルにもチャンスはある」

と言っていた。つまりブライアンは本調子ではないのだ。

しかし、逆に言えば、全盛期をすぎたとも言えた。
このレースを機に、ナリタブライアンの時代は終焉を告げる。

そして、遅れてやってきた同期、サクラローレルに王道を譲ることとなる。

しかし、サクラローレルもナリタブライアンを撃破したからといって
完全に最強馬とは言えない状態であった。
なぜならこの世代は
後から、後からレベルの高い馬が出てくるという
レベルの高い世代であったからである。

ナリタブライアン、ロイスアンドロイス、マヤノトップガン、バブルガムフェロー
ヒシアマゾン、ジェニュイン、マーベラスサンデー、ダンスパートナー
ホクトベガ、ファビラスラフィン

これほどの名馬達と対戦したサクラローレルはまさに、激動の世代を生きたといってもよいだろう。

境調教師は昭和時代の考えを持った人だったため
天皇賞馬は恥ずかしいレースをしてはいけない。と思い、宝塚記念を回避してまで
天皇賞秋に備えた
復帰戦となったオールカマーを快勝したローレルは
天皇賞秋で1番人気に推される。
しかし、横山典騎手の騎乗ミスによりまさかの3着
しかも勝ち馬は4歳馬バブルガムフェロー
これに激昂した境氏は、公の場で横山騎手を罵った。しかしこれは境氏から
横山騎手からのメッセージであり、成長してほしいという心遣いであった。

陣営は、JCを回避し有馬記念に直行というプランを打ち明けた。
しかし、これには批判が続出した。

「なぜ日本の最強馬がJCに出ないのか!?」

という意見が出ていた。しかし、境としては有馬記念は絶対に勝ちたいG1であった。
昭和の考えが抜けない境にとっては、5大競争に入らないJCに興味がなく
まだ一度も勝ったことない有馬記念に勝ちたいと思うのは普通の考えである。
また、翌年には引退が決定していたため、境にとってはこれが最後のチャンスであった。

結局、サクラの2代目オーナーの

「先生の選んだ道をいってください。」

という一言によってJC回避、有馬記念直行のプランが決定した。

そして、その有馬記念を見事に勝ってみせるのが
サクラローレルのすごいところである。
これにより、G1を2勝したローレルは本格的に海外へと目を向けるようになってくる。

しかし、まずは、国内のレースに出ることになったローレルは、調教中に骨折してしまう。
結局、ぶっつけで天皇賞春挑戦となったローレルは
マヤノトップガンの逆襲にあう。

しかし、負けてなお強しというレースになった。

真っ向勝負で挑んだバブルガムフェロー陣営は

「サクラローレルは化け物」

とレース後にコメントしているように
マヤノトップガンはあくまでも強襲によって勝ちを奪っただけであった。

国内敵なしと判断した陣営は
凱旋門賞目指してフランスへと旅立つ。

しかし凱旋門賞の前哨戦に選んだフォワ賞でサクラローレルは8頭立て8着のしんがり負け。
レース中に右前屈腱断裂を発症してしまい、即引退が決定。

この故障の症状がひどく
向こうの医師が予後不良を薦めたほどであった。
現在は、種牡馬として余生を過ごしているサクラローレル

代表産駒にはサクラセンチュリーがいるが
今現在そのサクラセンチュリーは屈腱炎で休養中
足元の弱さは遺伝してしまっている。
しかし、これからの産駒には期待し続けたいと思う。

サクラローレル

日本
21戦9勝
海外
1戦0勝

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Last updated  2006.09.07 04:33:29
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2006.08.30
カテゴリ:名馬伝説
最高の血統を持つ馬がいたことをあなたは知っていましたか?

燃え尽きることもできずに引退していった馬がいたことをあなたは知っていますか?

最高のサンデーサイレンスの後継馬をあなたは知っていますか?



鬼脚

ダンスインザダーク


女傑ダンスパートナーの全弟として、デビュー前からものすごい期待を

よせられていた馬。それがダンスインザダークである。

さらに、兄にはエアダブリンと、まさに、期待されてもしょうがない血統であった。

母、ダンシングキイはいわずとしれた名牝で、上記の馬以外にも

ダンスインザムードを輩出している。

父もいわずとしれたサンデーサイレンス。

通常の期待とはわけが違った。

その期待にこたえるように、新馬戦は完勝であった。しかし、

その内容は完成には程遠く、直線でよれたりしてしまっていた。

2戦目

重賞ラジオたんぱ杯へ向かった。

しかし、ここで運命のライバルと出会う。

同じ日の次のレースの新馬戦でデビューしていたウイニングチケットの弟。

その名もロイヤルタッチ。

ここで完成度の違いが出てしまう。

ロイヤルタッチは早生まれ、ダンスインザダークは遅生まれ。

ロイヤルタッチには切れる脚があったが、ダンスインザダークには、まだ切れる脚が

備わっていなかったのだ。

結果、3馬身差の完敗。イシノサンデーにも負けてしまう。

どちらも正直、最終的には名馬とは言えない・・・・レベルの馬といえよう(ロイヤルタッチはG1を勝っていない。イシノサンデーはG1を2勝している。ただし、どちらも相手に恵まれた感がある。)

しかし、ダンスインザダークは完成度で負けたのだ。

ちなみに、ロイヤルタッチの主戦も、ダンスインザダークの主戦も武豊であった。

今回勝ったのはロイヤルタッチである。しかし、武豊は

この先もダンスインザダークに乗り続ける。

それはなぜか。

天才だから。

そういうこと。しかし、天才の天才たる由縁となる物語がある。

武豊が北海道を訪れていたときに、実際にまたがってみた馬がいた。

そしてその馬はダービーを意識させる背中だったという。

それがダンスインザダークなのである。だから、ロイヤルタッチよりもダンスインザダークを選んだのである。

4歳になり、きさらぎ賞に出走してきたダンスインザダーク。

そこにはまた、ロイヤルタッチが。そして、再びの敗戦。

しかし、上がっていくダンスインザダークの評価。それは良血であることと

奥の深いレースをしていたことからであろう。

そして、皐月賞への出走権をかけ、弥生賞へと挑戦する。

このレース。ダンスインザダークが、武豊が期待していたとおりの能力を

初めて発揮したレースとなった。

タイキフォーチュンや、イシノサンデー、ツクバシンフォニーなどを抑えての

重賞初制覇。

そしてついに皐月賞へ!

前走の結果のおかげで一気にクラシックの本命になった

ダンスインザダーク。期待がどんどんと高まる。

実はこの世代にはもう一頭、最強と呼ばれてもよい馬がいた。

バブルガムフェロー

この馬は、スプリングSに勝利し

クラシックの本命になってもよかったはずである。

しかし、皐月賞を前に骨折してしまう。

これにより、さらにダンスインザダークへの期待は高まる。

しかし、皐月賞の週の月曜日。悲劇は起きた・・・・。

まさかの熱発

これにより無念の皐月賞回避。

同厩舎のロゼカラーが一週前に熱発になり

すぐに移動させたが、すでに同じウィルスに犯されていたのだった・・・・。

結局皐月賞はイシノサンデーが制す。

その後、ダンスインザダークはものすごい回復力で

回復する。

そしてダービーへの出走権を獲得するために

プリンシバルSへ出走する。これを軽く流して楽勝。

そしてついにダービーへ。

しかし、ここにも落とし穴が・・・・

ダンスインザダークは、馬ながらに『天才』と呼ばれていた。

そして、この世代にはもう一頭の『天才』が存在した。その馬は結果的に

ロイヤルタッチよりも、イシノサンデーよりも、どの馬よりもダンスインザダークを苦しめる。

断トツの1番人気のダンスインザダーク。誰もが勝利を信じていた。

そして、レースも直線にむいたときにダンスインザダークは先頭へ。

このまま突き抜けてゴールだろう。

そう思っていた矢先

大外から何かが飛んでくる。

わずかキャリア2戦の

音速の旅人

フサイチコンコルド

である。

「外からフサイチ、外からフサイチ、外からフサイチコンコルド

ダンスインザダーク 内のほうからメイショウジェニエ しかし先頭はダンスインザダーク

コンコルドだコンコルドだ 外から音速の末脚が炸裂する フサイチコンコルド!

勝ったのは、フサイチコンコルド いま、いま一つの競馬の常識が覆された。

なんとなんと、僅か3戦目でダービー制覇。 フサイチコンコルドです」

実際に三宅アナウンサーの実況をのせました。

この次の日の見出しは・・・。すぐに分かりますね。

どのスポーツ新聞の一面も

音速の末脚

それほどの衝撃。

長い脚を使うダンスインザダークは

フサイチコンコルドの一瞬の最高の脚に屈した。

3冠のうち一つは必ず獲れるといわれていたダンスインザダーク。

残りは後一冠。勝つしかない。

夏場に放牧し十分に休んできたダンスインザダーク。

復帰初戦の京都新聞杯を勝利。

そして迎えた運命の菊花賞。

フサイチコンコルドが、カシオペアSで敗れたこともあり

1番人気はダンスインザダーク。

そしてついに発走。

しかし、これがなんと追い込み馬にとって

もっとも不利なレース展開

超スローペース

2度目の淀の坂に入るときもダンスインザダークは最後方。

終わりか!?

誰もがそう思ったことだろう。

画面も、先頭を映し、ダンスインザダークは画面に映っていない。

さらに第3コーナーあたりで前をふさがれ外に前にでていけない不利を受ける。

しかし、武豊はあきらめない。作戦をすぐに変え

逆にぎりぎりまで後方で脚をためる。

先頭争いは、ロイヤルタッチとフサイチコンコルド。

この2頭で決まりか。そう思った瞬間、アナウンサーが叫ぶ

『おっ?ダンスきた。』『ダンスインザダークがものすごい脚でやってきた!!』

3000m走った馬が出せる上がりじゃない。

そのタイム実に

33.8秒。

恐るべしダンスインザダーク。

まさに鬼脚である

誰もがこの馬の今後はすばらしいものになるだろうと期待した。

しかし、3日後に浅屈腱炎を発症し、そして引退・・・。

あまりにも衝撃的な引退・・・。

しかし、この馬はここで終わらない。

サンデーサイレンスが急死し、熾烈化した

後継種牡馬争い

多くのSS産駒がいる中、ダンスインザダークは

好スタートをきってみせた。ザッツザプレンティとデルタブルースを

輩出し、親子G1制覇を2年連続で果たしたのだ。

さらにはツルマルボーイなども代表産駒である。

今後もこの馬の産駒は活躍し続けるだろう。

第一の競争生活で、激しく、そしてあっという間に

引退してしまったダンスインザダーク。

せめて第二の競争生活では、ゆっくりと、そして末永く

活躍してほしいものである。

なんにしろ、ダンスインザダークの第二の競争生活はまだ始まったばかりなのである・・・。

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Last updated  2006.08.30 14:55:55
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2006.08.27
カテゴリ:名馬伝説
昔、怪物であり、アイドルであった馬がいたことをあなたは知っていますか?

引退するときに、曲までできてしまう馬がいたことをあなたは知っていますか?

単なるG2に12万人も観客を集めた馬がいたことをあなたは知っていますか?

大井の怪物

ハイセイコー

それがこの馬の通称だった。

そう。この馬もオグリのように地方出身だ。

しかし、決定的に違うところがある。

オグリが社会現象にまでなるには4レース必要としたが

ハイセイコーが中央に来ると決まった時は

転厩初戦から大騒ぎになったのである。

その数実に12万人という観客を動員したのだから

やはりハイセイコーはすごい。

それだけ期待されるのも当たり前かもしれない。

ハイセイコーは、母が大井出身だったこともあり、大井競馬場でデビューすることに

なったのだが

実は、ハイセイコーが大井で2着の馬につけた6レース合計の着差は

56馬身にも及ぶらしい。これだけの馬だ。期待されてもおかしくない。

もちろんハイセイコーはこの転厩初戦の弥生賞を制した。

そして、スプリングSをも制して、皐月賞に出走。

なんと、その皐月賞までも快勝してしまう。

その後は、ダービーに向けて、NHK杯に出走する。

その単勝支持率は、実に86%と驚異的にな数字であった。

このレース、ハイセイコーは苦戦を強いられる。直線残り200mまでまったく伸びず

もう負けたか?無敗神話は終わりをつげるのか?と思われた瞬間。

真ん中をものすごい勢いで伸びてきて、ラスト100mだけで

前の馬をごぼう抜きして見せたのだ。しかし、実際苦戦を強いられた感は否めない。

アナウンサーも、残り200mのときに

『もうあと残り200しかないよ!ハイセイコー負けるのか?』

と連呼してるあたりから、誰もがハイセイコーの負けを覚悟していた。

それでも勝利したことにより、ハイセイコーはやはり強い!と

誰もが思ったことだろう。

そして、次のレース、日本ダービーで単勝支持率66.6%という

ダービーでは異常な支持率を獲得したがついにハイセイコーの神話は終わりを告げる。

タケホープの登場だ。この馬はハイセイコーの最大、最強のライバルである。

タケホープとハイセイコーは実に9回もの対決をしている。

結果は、ハイセイコーの5勝4敗となっている。

そのタケホープに先着を許しただけでなく、1975年に天皇賞春を制することとなる

イチフジイサミにも先着を許している。

タケホープは人気のない馬であったが、主戦の嶋田騎手は

「ハイセイコーも4つ脚ならおれの馬も4つ脚だぞ」と話していたという。

その後、ハイセイコーは不調に襲われる。

京都新聞杯でも勝つことができず2着。

次の菊花賞では長距離ということもあり、不利であったが

それでもハイセイコーはタケホープに鼻差までつめてみせた。しかし、負けは負けである。

その後の有馬記念でも、タニノチカラをマークしすぎてしまい、結局3着。

AJCCでもタケホープに負けてしまう。しかもこのレース9着という散々な内容であった。

しかし、中山記念に出走するとやはり適距離では実力が違った!

タケホープも逃げずに出走してきたが、2着に2秒差をつける圧勝!

久しぶりの快勝である。

その後、天皇賞春に挑戦するがやはり適距離の問題でタケホープに屈してしまう。

ハイセイコーは宝塚記念に出走する。

中距離では、実力がまったく違う!

この宝塚記念。2着に5馬身差をつけ、レコードを2秒1も縮めてみせたのだ。

さらには、2000m時代の高松宮記念も勝ってみせた。

しかしその後は勝つことができず引退してしまう。

この馬は、まさにタケホープと共に歩んだ馬と言えよう。

引退の年もタケホープと一緒だったため、引退後の繁殖も比較されたが

ハイセイコーはカツラノハイセイコーが、父の悲願、日本ダービーを制覇するなど

数々の名馬を輩出し

名種牡馬の一頭として数えられたが、

タケホープは一頭も活躍馬をだせず、引退後はハイセイコーの完勝だったといえよう。

ハイセイコーは

2000年に31歳で死去した。偶然にも、主戦騎手、増沢末夫氏が北海道を訪れていたその日であった。

その後ハイセイコーの出世レースとなった

大井の青雲賞は

ハイセイコー記念と名前を変えて

レースが行われている。

ハイセイコー

父チャイナロック、母ハイユウ

生涯成績:22戦17勝

へぇ~と思った人はワンクリックください☆

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Last updated  2006.08.27 07:53:51
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2006.08.25
カテゴリ:名馬伝説
名馬伝説を募集します!
ぜひぜひ書いてほしい
名馬を
コメントに残してください♪

管理人喜んでやります(笑)


元祖を移転してみました♪








Last updated  2006.08.26 00:20:33
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2006.08.24
カテゴリ:名馬伝説
一人の騎手に栄光と終わりを告げた馬がいたことをあなたは知っていますか?

どこまでも快速馬であり続けた馬がいたことをあなたは知っていますか?

競馬ファンを競馬に熱中させ、そして競馬について深く考えさせた馬がいたことをあなたは知っていますか?

悲劇の超特急

キーストン

あなたにとって心に残る馬とはなんですか?

最強馬ですか?偉業を達成した馬ですか?連勝し続けた馬ですか?

私にとっての心に残る馬は、何かを考えさせられる馬です。

キーストン 父:ソロナウェー 母:リミットミッジ

父は、名種牡馬で、多くの代表産駒を輩出していた。

しかし、どの産駒もスプリンターで、キーストンもスプリンターとして考えられた。

子馬のころの体格は、とても小さく(成長しても440kg程度だった。)さらに

歩行もぎこちなかったことから、競走馬としては期待されていなかった。

特徴といえば、人間の指示にしっかりと答え一生懸命走ることぐらいであった。

しかし、いざ調教になると脚色が変わり、とてもきれいな走りをする馬で

デビュー前には期待を集める馬となっていた。

名前も快速馬として期待されていたことからペンシルヴェニア鉄道の超特急

”キーストン号”の名前を与えられた。

この物語を進めていく上で山本騎手の話をしないわけにはいかないだろう。

昭和31年にデビューし、「関西のドン」も呼ばれていた武田文吾厩舎の専属騎手になった。

今と違い、当時、騎手たちは自分の所属している厩舎の馬以外に乗ることはほとんど無かった。

しかし、武田厩舎には、シンザンの主戦騎手も務めた、栗田勝も所属していた。

そのため、山本に良い馬が回ってくることはないということは言うまでもない。

山本は様々な厩舎を転々とした。そして昭和39年の夏、キーストンと出会った。

武田調教師の薦めで、山本はこのひ弱そうな、小柄な馬のデビュー戦を任されることになる。

キーストンは、その名にはじることない走りをデビュー戦から見せつけ

実に6連勝という偉業をやってのけた。この連勝全てを大逃げで勝ってきたことから

キーストンは快速馬の称号をほしいままにする。

しかし、キーストンのレースを実際に見た人は、この馬の逃走劇のことを

『悲壮感の漂う逃げ』

と評している。

何からそんなに逃げているのか。何がそんなにも恐いのか。そう思わせるほど

一生懸命逃げ続ける。

それがキーストンの走法であった。

しかしながらこの連勝により、クラシックの本命の一角にまで

なったのだ。もう一頭、その年のクラッシクには本命が存在した。

順調に成長してきた、ダイコーターである。皐月賞の前哨戦

スプリングSで二頭は初めて激突する。レースの結果は、前半から果敢に逃げた

キーストンをダイコーターが楽々とさしきるという、キーストンファンにとっては

あまりに衝撃的なレースであった。

そして皐月賞。一番人気はダイコーター、二番人気がキーストン。

しかし結果は、人気薄のチトセオーが1着、2着にダイコーター。

キーストンはというと、まさかの14着に終わっている。

こうなると競馬ファンの罵声はすごいもので

『キーストンは終わった。』『早熟だったのだ。』

などと、好き勝手に罵声が始まった。さらには山本騎手が乗り変わりの危機に瀕していた。

キーストンにとっても、山本にとっても崖っぷちの日本ダービーとなった。

当日の天気はあいにくの雨で、馬場は不良。快速馬にとって最低の条件だったといっても

過言ではないだろう。人気はダントツの1番人気にダイコーター

かなり離れた2番人気にキーストン

第32回日本ダービーのスタート

崖っぷちにたたされた大舞台でも、二人のレースは変わらない。いつもどおりの大逃げ。

いや。いつも以上だったかもしれない。

場内からは『飛ばしすぎだよ!』という声がわく。しかし、キーストンと山本には

この戦法しかなかったのだ。

直線にむいてもキーストンの脚色は衰えない。そしてそのまま

ゴール板を一番早く駆け抜けてみせた。

第32回日本ダービー馬 キーストンの誕生である。

ここからキーストンの栄光の物語を始まると誰もが信じて止まなかった。

そして山本にとっても最高の瞬間だった。

その後は、菊花賞では距離適正の問題もありダイコーターの2着。

菊花賞後は、ケガにも泣かされ5歳の時には4戦2勝と振るわなかった。

鞍上も山本以外が乗ることも多くなってきていた。しかし、6歳になると3連勝し

引退も決まったこともあって、再び鞍上は最高のパートナー山本になる。

4連勝かかったレースも、見事に山本と勝って見せ、ついに引退レース

阪神大賞典を迎えるのである。

昭和42年、12月17日 阪神大賞典(3100m)

5頭立てのレースでキーストンのためのレースと言っても過言ではなかっただろう。

そのときまでの戦績が24戦18勝、2着3回という驚異的なものだったこともあり

1番人気がキーストンであったことは言うまでもない。

そしてついにキーストン最後のレースがスタート

今までと違って、最高のパートナー山本を背に乗せ、気持ちよく逃げるキーストン。

年はもう6歳(旧表記)であるが、その脚色に衰えは一切見えない。

他の4頭は遠く遠く後ろ。誰もがキーストンの勝利を確信した。

そして4コーナーを回って残り300mの直線に向いたときである。

突然沈むキーストンの馬体

そして、山本が宙を飛んでターフに叩き付けられた。キーストンももんどりうって、半転、一転。

その横を他の馬が走り抜けていく。静まり返る場内。

アナウンサーも、観客も、テレビの視聴者も、みんながキーストンを目で追った。

テレビのカメラも先頭の馬など写していない。どの馬が一着でゴールしたかなど

どうでもいいのだ。ただ、ただ、全ての人がキーストンを目で追った。

山本は脳震盪を起こしていてピクリとも動かない。

 キーストンの左前足は完全脱臼。今や皮一枚で繋がっている状態で、立ち上がろうにも全く用をなさない。

騎手の方を向いて首を振りもがいていたキーストンはまわりから見ると

山本の安否を気遣い、おろおろしているようだった。

アナウンサーも『キーストンがおろおろしています。』とアナウンスしている。

そして三本の足でやっと立ち上がり一歩ずつ山本のほうに向かっている。

普通の馬だったらあまりの激痛にもがき苦しみ、冷静ではいられないのにキーストンはたったのだ!

しかも、確実に一歩ずつ山本に向かっていく。最高のパートナーのもとへ。

『もう歩かないでくれ!』

『このままでは・・・。』完全脱臼したことが分からない観客はみんな心の中でこう思ったことだろう。

それ以上無理をしては予後不良になってしまうと。

アナウンサーは涙声となってキーストンを追った。テレビカメラすらキーストンの姿を追いつづけた。

歩いてはいけない!

最早手の施しようも無い完全脱臼とは人々も気づかない。

まさか完全脱臼の馬が歩けるはずが無いのだ!

キーストンは倒れている山本騎手の所に着くと、3本の脚で踏ん張りながら

心配そうに鼻面を摺り寄せ、二度三度起こして立たせようとする。

人々の目に、それはまるで、母馬が起き上がれない子馬を励まして、鼻面で優しく立たせようとしている姿に見えたという。

キーストンによって、意識を取り戻した山本はキーストンに気づいた。

申し訳なさそうな顔をする愛馬の顔を抱きかかえ、そして鼻面をなでた。

『いいよ。いいよ。』

こう伝えたのだという。そして逆に謝ったと後に語っている。

キーストンの手綱を持っていた山本は、後ろからきた厩務員にその手綱を手渡した。

そのときに、『頼むよ、早く、頼む・・・・』そう何度も厩務員に言ったと言う。

安楽死。受け入れがたい事実ではあるが

再生不能な骨折。そしてその激痛から早く愛馬を解放させてあげたいと思う

山本から出た、悲しい言葉である。

厩務員に連れていかれた山本の後を追うようにキーストンも同じ方向に歩いていこうとする。

しかし、キーストンはやってきた馬運車に入れられ

そして、薬殺されてしまう。

そのときの状況を当時の調教師はこう語る。

『普通の馬だったら5分で死ぬところをキーストンは心臓が強かったこともあり15分かかった。しかし、他の馬と違い、暴れることなく、安らかに息を引き取った。』

仕事上多くの馬のこういう状況に立ち会ってきた調教師ではあるが

このときはさすがに胸が引き裂かれるような思いだったという。

なぜそんなに冷静でいられるのだ。

なぜ死を受け入れられているのだ。

こんな思いにかられたという。

そして、山本騎手は意識が完璧に戻ってから愛馬の死を知って

泣いた。

さらに、栄光の中にいた山本騎手はそれ以来馬に乗ることができなくなってしまったのだ。

騎手を辞めようとも考えたと言っている。

しかし、それでも競馬からは離れられない。そして今では、調教師をしている。

いまだにキーストンの話がでると涙が止まらない山本騎手。

『これから騎手を続けても、あれ以上の馬に出会えない。人間として付き合った唯一の馬なのだから。』

と山本騎手はキーストンとの思い出を振り返った。

キーストンがなぜ最後まで冷静にいられたのかはいまでも分からない。

いや、もう一生分からないのだろう。

しかし、山本とキーストンの信頼関係。いや友情があったからこそ起きた奇跡なのだろう。

一人の詩人はいった。

『キーストンは他の馬が怖くて大逃げしたわけではない。勝つ為に逃げていたのではない。ただただ、自分の死から逃げていたのだ。』

一人の競馬ファンはいった

『俺は、今まで見てきたレースを全て覚えている。どのレースだってね。しかし、一つのレースだけ思い出せない。昭和42年の阪神大賞典の次のレースだけはね・・・・。』


コメント待っています。そして、もし感動したら、このマークをワンクリックしていただけると

管理人にまたまたやる気がでます★


ちなみに・・・。

サイレンススズカに騎乗していた武豊騎手も

サイレンススズカが倒れそうになったときに

まるで自分を守るかのように、折れた足で

ふんばって自分を落とさないでくれた。

と語っています。やはり馬と騎手の友情はあるのですね。

こっちのブログは、名馬伝説中心でいくことになりそうです。

もし、ご希望の名馬がありましたら
どんどん応募してください♪
希望にこたえて随時更新していきます。

コメントに残してくれたら嬉しいです。

それと、ランキングは一つにまとめることにしました。
やはりなごりということで
元祖のほうに。

なので、もし名馬伝説が本当によい記事でしたら

そっちのほうをワンクリックしていただけると
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私も、みなさんがめんどくさい。と思わないぐらいに
良い記事を書いていくつもりなので、宜しくお願いします!!!
こっちが元祖だぁあ!








Last updated  2006.08.25 12:43:46
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カテゴリ:名馬伝説
あなたは知っているだろうか。

名馬サイレンススズカ、スピードワールド、キョウエイマーチ、ジェニュインなどが

挑んで、影すら踏めずに完敗した馬がいることを。

あなたは知っているだろうか。

海外G1を含んで重賞八連勝を達成した馬がいたことを。

あなたは知っているだろうか。

引退レースで初めて連対をはずして涙を流した馬がいたことを。

あなたは知っているだろうか。

最強マイラーの名をほしいままにした馬を。

その馬の名は

タイキシャトル

美しい栗毛に額の流星がトレードマークのこの馬は

他の馬よりも少し遅い4歳(今でいう3歳)でのデビューとなった。

新馬戦はもうなく、ダートの未勝利戦でのデビュー。

このレースをなんなく勝つと、次のレースも圧勝。初の芝となった3戦目も

圧勝。どれも、ほとんど追わずの圧勝劇である。

4戦目で初めて2着と負けてしまうものの

5戦目で初の重賞への挑戦。ユニコーンS

このレースにはダート巧者が何頭も出走してきていたため

さすがのタイキシャトルも苦戦を強いられる。

と思われたのだが・・・・・。

終わってみればムチを1、2発打っただけで、他の馬との差は3馬身半と開いていた。

では、相手が弱かったのではないか?そう思ってしまうであろう。

いくらタイキシャトルとはいえ、ダートでは・・・・。

しかし、そのレースの2,3着は、ワシントンカラーとオースミジェットである。

この2頭の名前は聞いたことあるのではないだろうか?どちらも短距離ダートの

重賞ウィナーである。決して弱いレースではなかったのだ。

その後、タイキシャトルはこのままダート路線でいく。という話がでていた。

やはり、ダートの重賞を勝ったのだ。それならばダートで。となるのは普通の考えであろう。

しかし、マイルCSを最大の目標としていた陣営は、次のレースをスワンSに選んだ。

初の古馬との対戦である。

スギノハヤカゼ、サクラスピードオー、エイシンバーリン、フラワーパーク、ヒシアケボノ

オースミタイクーン、ロイヤルスズカ

これだけのメンツがそろったスワンS。

しかし、タイキシャトルはいつもどおりジワジワと進出して残り200mで先頭に立った後は

古馬を全て力でねじ伏せて見せた。

最高の形で迎えることができたマイルCS。自然と期待も膨らむ。

ここでタイキシャトルに立ちはだかったのは、スピードワールド、キョウエイマーチ、サイレンススズカなどである。

それでも勝てる。そう思われていた。

レースが始まると、初めてのG1、さらに、このレースとスワンSだけコンビを組んだ、横山ノリという、いつもと違う雰囲気のせいかタイキシャトルが落ち着かない。

キョウエイマーチが逃げたその後をサイレンススズカが突っつき

レースはハイペース。いつものタイキシャトルならここにはついていかないのに

後ろについていってしまう。1000m通過タイムが

56.5秒という、超ハイペースの中レースは進む。

最後の直線。前にいたキョウエイマーチとサイレンススズカは体力の限界。

後退していく。変わりに先頭になったタイキシャトルも落ちていくと思われた。

しかし、落ちてこない。むしろ突き放す。超ハイペースの中

タイキシャトルは最後の直線でスパーして見せたのだ。

結果は、タイキシャトルの圧勝。ここから、タイキシャトルの伝説が作られていく。

その後のスプリンターズSも圧勝し、最優秀短距離馬の栄冠を堂々と獲得。

そして、ついに海外遠征の話が持ち上がる。しかし、ここは安田記念を完勝してから

という条件がついた。

明けての初レースとなる京王SCはなんなくレコードで圧勝してみせ

迎えた安田記念。

前日からの大雨で馬場はグチョグチョ。こんなの体験したことないタイキシャトル。

大丈夫なのか?誰しもがそう思っていた。

相手には、香港からの刺客。オリエンタルエクスプレスがいた。

この馬は海外の短距離馬の中でも一流な馬である。

不安と期待の中で始まったレース。

観客の不安は的中した。

直線に向いても加速しないタイキシャトル。その横をオリエンタルエクスプレスが抜け出し

先頭にたつ。

もうだめか!

そう思った瞬間、残り300mくらいでものすごい足で駆け上がってくるタイキシャトル

オリエンタルエクスプレスをかわすと

追いもせずに3馬身差つけてみせた。

強い。

その一言につきるレースである。観客からも

「早くフランスに行ってしまえ~。」

などと最高の褒め言葉をうけていた。

しかし、陣営の苦悩は続く。海外挑戦は決めたもののレースが決まらない。

シーキングザパールは、先にフランス遠征が決まっていたため

そのレースとかぶらないようにしなければならない。

その結果、選ばれたレースがフランスのドーヴィル競馬場で行なわれるジャック・ル・マロワ賞(G1)である。

直線のみの1600m。これほどまでに難しいレースがあるだろうか。さらに

一週前のG1でシーキングザパールが日本馬で初のG1制覇をしたこともあり

当日タイキシャトルは1番人気に推される。そのときのことを岡部騎手はこう語っている。

「前日にシーキングザパールが勝ったこともあり、異常なほどに期待されていた。僕自身も過去味わったことのないほどに緊張していた。」

あの天才岡部騎手がこれほどまでに緊張していたのだ。

しかし、その緊張も笑い話に終わる。

見事勝利。

しかし、1/2馬身差と決して余裕があったわけではない。

天才岡部の実力があって初めて成しえた快挙であろう。

日本に戻ってきたタイキシャトル陣営は、国内2戦で引退を表明。

BC挑戦も考えたがスケジュール的に厳しかったために断念。

結局、マイルCS、スプリンターズSで引退ということになった。

マイルCSを完勝して、引退レースのスプリンターズS

もちろん、誰しもが圧勝を期待している。なにせ

12戦11勝で、マイルに関しては全勝してきた馬だ。

引退レースの日に引退式も決まっており、さらには単勝1,1倍と

まさにタイキシャトルのために準備されていたレースである。

しかし、悲劇はおきた。

まさかの3着。初めて連対をはずした。マイネルラヴとシーキングザパールに先着を許したのだ。

走ることの意味を理解してから初めて味わった敗戦の屈辱。

特製の馬服を身にまとい、栗色の美しい馬体を観衆の前にさらすタイキシャトルの目には確かに涙が浮かんでいた。

かつてシンボリルドルフは天皇賞・秋でギャロップダイナに敗れたときに涙を流し、ナリタブライアンも天皇賞・秋で惨敗したときに涙を流したという。

走ることの意味、勝つことの意味を知っている馬こそが負けることのない真の名馬であり、そのような名馬はまた、負けることがどんなことかも理解している。

目の前の光景に驚きを隠せない観客。悲鳴もおきずただ、ただ静かだった。

そして、引退式が始まる。タイキシャトルの生涯成績がターフビジョンに流れていたとき

観客から罵声が起きる。

最後のレース、つい先ほど負けたスプリンターズSの着順のところが1着となっているのだ。

だれもが予想しなかった結末。

ここまで無敵を誇ってきた最強馬が見せた初めてのモロさ。

この敗北はタイキシャトルが次世代を担う馬たちに向けて「世代交代」のメッセージであり

「競馬に絶対はない」という教訓を伝えたかったのかもしれない・・・・。




通算成績 13戦11勝[11.1.1.0]
内海外 1戦1勝[1.0.0.0]

主な勝ち鞍 マイルチャンピオンシップ
   (1997、1998年)
スプリンターズステークス
   (1997年)
安田記念(1998年)
ジャック・ル・マロワ賞(仏)
   (1998年)
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Last updated  2006.08.24 19:43:58
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