2011/03/29(火)20:23
思考の転換<人格統合取り組みみたいなもの>
人格統合をやっていると、視点や思考の転換が必要になってくることがあります。
この間、訳のわからない恐怖が、原因不明のそれが心の奥底に巣くっているのに気付きました。
で、これをどーにかせねば、って思っていたのですが、今朝。
「別に恐怖があったって良いじゃん。
確かに足を引っ張られて困ることもあるけど、それがあるから無謀な事をしないんだし。
まず恐怖を、怖がりな自分を愛すれば良いんじゃない?」
と、いきなり閃いてしまいました。
そー言えば「ネガティブを愛する~」でも恐怖が悪いもんじゃないって書いてあったなぁ。
怖れを手放せ、ってあちこちで言うけど、これってあくまで過剰な怖れだよな。
未知のモノに怖れるのは当たり前だし、でも同時に楽しくてワクワクするものだよね。
恐怖や恐れが無ければ、無謀なことしてとんでもない目に合うこともあるんだよね。
その前の用意周到な準備ができない人にとっては、必要不可欠だな。
だから無理やり「なんとかしなきゃ」とか「克服しなきゃ」って思わなければいいんだよね。
よし、じゃあ、まずその恐怖を愛してみよう。
って思ったら、その根底にある恐怖がちょっと戸惑っているような感じを受けた 苦笑
むやみやたらと怖がるそれは、それでもいいじゃん、って言われることには慣れてない。
だから戸惑う感じがする。
……ってひなの根っこだけどな。
同じように帰り途、何でもかんでも馬鹿にする完璧主義・プライド人格の貴夜美に
「じゃあさ、そんなにアレコレ言うんだったら、貴方がそうなるように他の子たちを導いてみたらどうなの?
促したりしてさ、貴方の望む方に連れていけばいいじゃん。
そう言うこと無しにアレコレ言ったら格好悪いし。
上に立ってアレコレ言うんだったら、それくらい出来るでしょ?」
って言ってみた。
完璧主義を目指すために、他者を切り捨てたり見下したりする彼女は、そこで止まってしまった。
多分頭の良い彼女はそれが本来の完璧主義に通じるのが分かったんだと思う。
しばらく何か考えているようで、それから動きは見せないけど。
ちなみにこれも私の中では、ある意味転換でもある。
だって自分(主人格)が何でも促して、成長させていかなくちゃって思っていたから。
これで人格間コミュニケーションが強くなればいいのだけどね。