2011/04/24(日)21:02
目指す先は?
ときどき、
「あれをやらない方がいいですよ」
「こうしない方がいいですよ」
そういうアドバイスを見つけることがある。
それこそ「聖人君子の様に生きましょう」、と言うのを見た時は思わず唸ってしまった。
それが意識を高く保つコツでもあるのだけど、同時に自分の本当の気持ちを抑圧してしまって、蓋をしてしまってそれに準じようとしたら、やっぱりそれはおかしなことになるんじゃないかな?
人によっては
「そんな風に生きれる訳ないでしょうっ!そんなの恵まれた環境にいる一握りに人だけだよ」
って言うと思う。
ま、私もちょっとだけ思った。
想ったと同時に納得もした。
自分の負のカルマパターンや、思い癖など誰にもあるし、それと向かい合わずして、高い意識に同調しようとしても、同調しきれないんですよね。
何処かで歪みや暗い想念が出てくる。
でもこれはチャンスかもしれない。
自分の中にあるそう言うモノに向き合うことが、カルマパターンの清算だったりする。
そして清算が出来れば、苦も無く歪みもなく、そういう高い意識を保つ事が可能になるんだろうな。
そして最初からその高い意識レベルの人はいるし、そう言う人は苦も無く意識レベルを高くキープすることが可能なんだと思う。
ちなみに、何故私がそういう生き方を出来るはずない、と思っているのだろうと、ふと意識を向けた時に、思い出したのはうちの親だった。
幼いころにそういう聖人君子的な事をしようとしたら、
「そんなことできる訳ないでしょ。馬鹿じゃないの。あんなの恵まれた一部の人だけで、貴方には無理」
と言われたことがあるのを思い出した。
でもそれを言った母や周りの人たちは、もし私がそれが出来るようになったら、自分が出来ないことに対しての劣等感を刺激されるから、怖くてそうならないように辞めさせたかったのだろうと、今は思う。
そー言えば誰かに(母親か?)そんな事をしたら、お友達居なくなっちゃうよ、と言われたこともあるな。
こういうのがいわゆる「泥船を差し出す」って行為なんだろう。
そしてそれにまんまと何度も乗ってしまっていた私も、なんだかなぁ。
どちらにしても、今はカルマにまみれていても、意識を高く保てなくても、結局目指す先はそこなんだろうな、って思う。
何でもニコニコ笑って受け入れるのでなく、時にはちゃんと怒り、笑い、泣いて、悲しんで。
全てバランスよくハートに基づいて、意識を高く保って生きること、なんだろうな。
と、思う。