2012/01/29(日)22:32
改めて課題
改めて課題を振り返る。
辛さを感じる、ってやつね。
今まで散々、特に20代は辛さとかに浸っていた気もするが、全然昇華する方向には行って無かったな、って思う。
辛くてムカついていたけど、どっちかと言ったら、自分は悪くないって証明や自己正当化の道具として使っていて、そこから地道に頑張ろうとか、そう言う発想はなかった。
なかったというよりどうすればいいか分からず、それしか道が見つけれなかったんだと思うけど。
結局地道な努力で無くて、鎧を作って外づらを繕っただけだなって思う。
まあ、今の時期になってようやく自分が何をやっていたかを知ったんだけど。
そして、周りに人にアレコレ言っていたけど、言えば同情してくれたけど本心から辛さを分かってくれる人はいなかった。
だからこそ余計に何処か満たされず、うだうだと言うのを繰り返していたんだなって思う。
それでそれが気に入らない人に、ガツンと言われて、ショックを受けて、結果としてここを更に切り離して蓋をして、乗り越えたつもりになっていた。
そして見ないふりをした。
ありきたりの挫折なのに、いつまでもそこにいちゃいけないんだ。
みんなと同じように大したことないと言って、たってなくちゃいけないんだ、って思ってた。
だからこそ今回の課題にうだうだと言って、回避しようとして、文句も言ったりした。
そして蓋を開けたら辛くて嫌だった。
結局全然乗り越えても昇華しても居ないってのが分かった。
でも何でかな。
今回再度フォーカスしようとしても、あまりハッキリと辛さが出てこない。
乗り越えたのか、再度蓋をしたのか、それとも麻痺してるのか、自分のことながら、今の状態はよく分からない。
たださ、今回思ったのは、ほかの誰かにとっては大したことじゃなくても、その当事者にはとてつもなく大したことであることは、当たり前のようにあるんだなってこと。
それはそれで良いんだよな、辛さに浸っている時期があっても良いんだよな。
ただそれを逃げずにちゃんと浸ることが大事なんだなって、つくづく思う。
ちゃんとそこから歩きだすために、糧にする事が出来るなら、それは大事なプロセスだな。
もっともいつまでも可哀想な自分、で居たい場合はやっぱりリラでも怒られるんだけど。
当時はやっぱり、何度思い返しても、辛かったし悲しかった、そして何よりそれらを受け入れてくれなかったことが一番堪えたのかもしれないな。
さらに自立しようとすることや、自分を試そうとすることが出来なくて、辛かったし受け入れきれなかったしすごい何より嫌だった。
勝手に決められるのも嫌だった、とにかく何でも自分で試してみたかった。
それらを最初っからダメだしされて、一つの道しか選べないのが嫌だった。
アレコレやりつくしての最期の一つなら、仕方が無い。
でもそうでない、それ以前の状況で他の道を全部遮断されたのが嫌だった。
確かに馬鹿で愚かで浅はかな考えだったかもしれない。
でもやってみてからでも、当時は全然遅くなかったと思うんだけどな。
そんな事をやっぱりつらつらと思ってしまうね。
そして同時にどうしても、無理やりでも動けなくて固まってしまった自分を許せなくて、責め続けていたんだなって、感じる。
うん、言葉にして誰かに言うのは、やっぱり怖い気持ちが未だある。
吐き出して、
「そんなこといつまでも引きずるなんて、ばかじゃん」
って言われるのが怖いってのはある。
拒否されるのが嫌だって気持ちがある。
自分の辛さを感情を否定されたような気がして、さらに自分自身を駄目だしされたような気になるのが嫌だと感じる。
ああ、そーか。
結局その駄目だしされて辛かったことも、吐き出さないとダメなのかもな。
それ以来口に出しにくくなったし、余計にプライドが活性化したのは感じるしね。
確かにいつまでも引きずって無い方が良いことだけど、でも、やっぱり自分で自分を許せ居てないから、駄目な自分は受け入れられないから、余計にプライドで固めたくなったんだろう。
取りあえず、明日はそっち方面の辛かった吐き出しを。
後はもう一個ずーっと言いたいけど、ちょっと抑えていた事を書きたいかな。