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テーマ:介護・看護・喪失
カテゴリ:父
6月29日 午前9時38分
父が旅立ちました。 とても静かな、とても穏やかな旅立ちでした。 闘病に入って初めて父の夢を見たのは27日。 その前日くらいから、父の反応が薄れてきました。 27日には、呼びかけても視線が動くことがなくなりました。 目は開いてるんだけど、もう視線を動かす力がなかったんだと思います。 それでも、なんとか父と目を合わせたくて、自分の顔を父の目の前に持っていき、無理やり話しかけたりしてました。 その夜から泊まりで対応しようと母とも話をしていましたが、 看護師さんから「もう少し大丈夫だと思うので、休める時に休んで、何かあれば早めに連絡する」と言ってもらい、それでは、と帰宅。 その約1時間半後。 ちょうど、在京の姉に連絡し、一週間後の帰省予定より早く帰った方がよさそうだと話してベッドに横たわった時でした。 母の携帯が鳴ったのは。 一気に走る緊張。 血圧が急に下がったので、今すぐ来れるか、と。 「何分かかりますか?」と看護師さんは切羽詰まったようだったと。 病院までの20分が長かったこと。 母と落ち着こう、と言いながら急ぎ病院へ。 病室に着いたのは23時頃。 「血圧が60まで下がりました。呼吸も不安定になってきたので、もう少ししたら止まると思います。その場合は教えてください」 看護師さんは静かに伝えて、部屋を出て行き、 私と母と父の三人だけにしてくれました。 ホスピスだから、この時に向かって過ごしてきたのです。 最期は水入らずで、という方針なのでしょう。 転移がわかった2月から気持ちの整理と覚悟はしてきたつもりだけど、つい声が出ます。 「お父さん!お父さん!」 父の耳元で声大きく呼びかける私に、母は 「呼んじゃダメ」と。 これまで何度となく母と話してきたこと。 寝たきりで、食事もとれず、意思も伝えられず、食べたい、家に帰りたいという思いも叶えられない状態の父を、寂しいという思いだけで引き留めてはいせないと。 少しでも長くそばにいたいと言う私に、 母はいつもそう言ってきました。 父の辛さ、悔しさを本当に感じていたからなんでしょう。 最初こそ反発していた私も、父の姿を見るにつれ、私自身が覚悟をしなくては、と思いを改めるようになりました。 だから、この時、私を止めた母の気持ちも、 そして父の気持ちも、私なりに理解できたつもりです。 二人で父の両手を握り、脈を確認しながらただ黙って見守る時間。 「脈が止まった」 母のつぶやきに息をのむも、父の呼吸自体は止まっていない様子。 「まだ呼吸はしてるよ」 すると「脈が戻った」と… さすがの母もどことなく安堵した様子。 もしかして、またもや『そろそろ詐欺』か? 医師も驚く生命力をこれまでも何度となく見せてきた父。 その度に呼び出され帰省する姉。 私達の間では、そんな風に笑い飛ばしたりもしてたんです。 姉が帰ると奇跡の復活を見せる、と。 そんな詐欺なら、またあっても構わない。 どこかそんな思いもあり、姉に急ぎの帰省を促しました。 つい2時間ほど前に相談したばかりなのに、さらに早めて。 なんとか姉にも会わせてあげたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年07月01日 22時42分23秒
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