予習!!箱館戦争および戊辰戦争
函館をご案内するにあたってどうしてもこの知識を知っておいてもらわなければ進めません。函館観光の予習としてご覧ください。箱館戦争は、王政復古により成立した新政府軍と旧幕府軍との戦いであり、戊辰戦争における戦役である。旧幕府軍と新政府軍との最後の戦いです。慶応4年/明治元年、江戸城の無血開城、上野戦争での江戸制圧後に戊辰戦争は北陸、東北へと移る。江戸城無血開城を不服とした旧幕臣で軍艦奉行の榎本武揚や旧幕府顧問の外国人らは旧幕府艦隊の開陽丸を旗艦に8隻の軍艦で江戸を出航して仙台へ向かった。しかし仙台藩が新政府に対して降伏をしたため、榎本の提案で蝦夷地(北海道)を占領し、征夷大将軍であった徳川家恩顧の家臣(新政府側からすれば旧幕残党)の根拠地とすることとした。榎本艦隊は仙台藩所有の軍艦や、歩兵奉行の大鳥圭介、桑名藩主松平定敬、旧新選組の土方歳三や、伝習隊、旧彰義隊などの兵を吸収して10月12日に仙台を出航。宮古湾に寄航した後に蝦夷地を目指した。箱館港は諸外国からの船が多くあり、開陽丸が入港すると混乱を招く恐れがあったので、森町鷲ノ木に約3000の軍勢が上陸した。10月21日に大鳥圭介と土方歳三の二手に分かれて箱館へ進軍。10月22日峠下の戦いで大鳥軍が箱館府軍を撃破した。各地の敗戦を聞いた箱館府知事清水谷公考は五稜郭を放棄。10月25日には秋田藩の艦船陽春に乗船し青森へ退却。旧幕府軍は10月26日五稜郭に無血入城し、箱館港へ艦隊を入港させた。旧幕府軍は上陸5日で箱館を占領することに成功した。松前藩は蝦夷で唯一の新政府軍の反撃拠点の藩であった。旧幕府軍は松前藩に対して降伏の使者を送るが、殺され再び送るがこれも殺されたため戦うこと決意した。10月27日土方歳三を総司令とし、700の軍勢で松前城に向け出陣。二手に分け松岡四郎次郎は館城攻略に向かった。11月1日敵の奇襲を受けるがこれを撃破。11月5日には知内・福島の戦いに勝利。松前藩は徹底抗戦の構えだったが軍式は旧式だったので旧幕府軍の新式の武器や、蟠龍丸、回天丸などからの砲撃を受け数時間で松前城は落城した。11月15日館城も攻撃し落城させた。松前藩主松前徳広は青森へ敗走した。松前攻略の過程で、開陽丸は江差の浅瀬に停泊していたが暴風雪のため座礁。箱館から回天丸と神速丸が開陽丸救出の為に江差に到着したが、また風が強くなってきたため神速丸も座礁した。開陽丸は10日後沈没した。これにより旧幕府軍は制海権の維持が困難となり、後に新政府軍の蝦夷地上陸を許すことになる。旧幕府軍は松前攻略により蝦夷地を平定。ここに蝦夷共和国が樹立された。つまり独立国家となった。総裁は入れ札により決められ、156票で榎本武揚が総裁となった。蝦夷地を平定した旧幕府軍だが、かつての強みであった海軍力も旗艦開陽丸を失い、さらにその開陽丸を上回る性能を持つ軍艦甲鉄がアメリカから新政府の手に渡ったため、海戦での苦戦は必至だった。宮古付近に潜伏させていた偵察隊から官軍の艦隊が宮古湾に入ったとの情報を受け、3月20日、3艦は宮古湾に向けて出航した。23日、またもや海上で嵐に合う事となった3艦はバラバラになり、艦隊の集結地点である南部大津港には回天と高雄が集まったが、蟠竜は時間になっても現れなかった。しかも高雄が蒸気機関のトラブルで速度が半分に落ちてしまった。このままだと勝機を逸してしまうとの土方などの意見で結局回天一隻で奇襲を行う事となった。回天はアメリカ国旗を降ろし日本の国旗あげて、全速力で甲鉄へと向かったので新政府軍は驚き混乱した。奇襲は成功したが回天の両舷外輪や甲鉄との船高の違いが大きく思うように戦えなかった。宮古湾内にいる他の艦船の参戦や甲鉄の反撃もあり脱出して作戦は失敗。回天の艦長甲賀源吾などが戦死。機関故障のため速力のでない高尾が春日に追撃され、羅賀浜へ座礁させて火を放ち自燃した。4月9日早朝、新政府軍の2000の軍勢が乙部に上陸。上陸を防ごうと、旧幕府軍の守備隊2,30の軍勢が敵軍へ向けて発砲したが、新政府軍先鋒の松前兵によって撃退された。その後江差の守備隊約250の軍勢を撃退する。新政府軍は木古内、松前、二股の3方向に分かれて進軍し、松前城を奪還。陸軍奉行大鳥圭介の500の軍勢を木古内口の戦いで破り勝利を収め、矢不来を突破、箱館へ進軍した。間道の二股口の戦いでは地理的に有利な条件なこともあり300の軍勢は土方歳三の采配により旧幕府軍は勝利を続けるものの、新政府軍は箱館へ迫っていたので本陣五稜郭へ撤退した。その後、旧幕府軍は七重村の新政府軍本営を数度に渡って襲撃。しかし失敗に終わる。箱館湾では陸戦と同時進行で数度海戦が行われ、旧幕府海軍は弁天台場の援護砲撃などにより何とか防戦を続けている状態だった。(箱館湾海戦)新政府軍は、5月11日に箱館総攻撃を開始し海陸より箱館を攻めた。旧幕府軍は五稜郭を本陣として戦った。新政府軍は旧幕府軍の四稜郭を攻撃。四稜郭は松岡四郎次郎など守備隊が防戦していたが、新政府軍の兵力が増え四稜郭と五稜郭の間に位置する権現台場を新政府軍に占領された。退路を断たれることを恐れた松岡四郎次郎などの守備隊は五稜郭へ敗走した。旧幕府軍の松岡磐吉が指揮する旧幕府軍艦蟠竜が、箱館湾海戦において新政府軍艦朝陽を撃沈。一時的に勢いを取り戻したが、函館山から新政府軍に奇襲され、新選組は弁天台場まで撤退。新選組を助けようと向かっていた陸軍奉行並土方歳三が一本木関門付近で敵の銃弾を受け戦死。箱館市中が新政府軍によって占拠されると、間もなく旧幕府海軍も全滅。海戦を援助していた弁天台場は完全に包囲される形となり、台場に立て籠もっていた新選組や永井尚志らが防戦し続けたが、5月14日には降伏を表明。5月16日には千代ヶ岡陣屋が新政府軍の降伏勧告を拒否。その後陣屋隊長中島三郎助親子は戦死し、千代ヶ岡陣屋は全滅した。5月18日には本陣五稜郭も降伏し、亀田八幡宮で総裁榎本武揚ら旧幕府軍幹部と新政府軍の陸軍参謀黒田清隆との間で終戦調停が行われ、箱館戦争および戊辰戦争は終結した。★ もうお金の心配はせずに旅行に行けますよ!! ★