000000 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

ららのミラクルな毎日

全9件 (9件中 1-9件目)

1

どじママ(魂の不思議)

2009.12.05
XML
おんぽたんぽさんが私の本を紹介してくださってた!
もう、数年も経つものに、なんとありがたいことでしょうねえ。
すでに絶版(祥伝社NONBOOKS)で古本じゃないと買えないのに
わざわざ見つけてくださり~

だいたいにしてですよ(^^;)
「どじママをナンタラカンタラ……」なんてタイトル、私の中に見当たらないフレーズを出版社が勝ってに付けるものですから
まじ!「そんならやめよう!」かと思ったほどなんですよ。
だって、私自分のこと「ママ」なんて呼ばれたことも、思ったこともないし(^^)

おかげで本屋でもスピリチュアルなとこにはないし
子育てのところに置かれてて(まあ、それはいいとして)

まったくのミラクル実話ばかりなのになあって
人に紹介するのも(はずかしいな)っていまいち、気持ち乗りませんでした。

でもなー、おんぽたんぽさんのおかげで
今の今まで言えなかったこと言えて、うれしい。
なんか晴れました。
ありがとう!






Last updated  2009.12.06 00:11:20
コメント(2) | コメントを書く


2008.12.09
Ureさんには子どもがふたりいます。
ふたりとも成人して、東京で働いてます。
働いてると言っても、長男は役者めざして修行中ですが…

その長男のはなし…

実はUreさんにはもうひとり子どもがいたんです。

27歳で結婚して、すぐに子どもが欲しかったけど、なかなかできなくて
29歳で妊娠…そしていよいよ後3日で予定日、というある日、
お腹のカレは(男の子だった)突然この世を拒否しました(!!?)

というわけでUreさんは命のない出産というものを経験しちゃったんです。
あまりにもハードな話ですかね。


で~不思議なことに、その後数ヶ月で再び妊娠…
で、お腹の感じが(あ、戻って来た…)なんですよ。
同じ魂の感覚があるんです。

そして長男が無事生まれたんですが
これがまた、光り輝くように美しい子なんです。
あまりの可愛らしさに病院ではみな驚き…ほんとです。
赤ちゃん握り300.jpg


その長男が2歳になるあたりでした。
(これはチャンスを見て必ず聞いてやるぞ!)と思ってた母ですから
積み木で遊んでは彼に
『ねえ、お母さんのお腹の中にいた時さあ、
 神様に呼ばれて、いちどどっかに行かなかった~?』
この聞き方もなんだか変ですが…

カレは積み木から手を離さずに言いましたね。
『うん、行って来たよ』

(ヒェ~行って来た、マジ!?)と思いながらも

(これでいいや)とそれで終りにしました。
(ここで追いかけちゃだめ、これでいいの)
確かにカレはひとりだし、ここにいる。

私が人とは違う体験をさせてもらってることを
とにかく受け止めて、ここまで来ました…
あらゆる体験は、とにかく受け止めて、そしてその後意味がわかる。
意味が分かるのが死ぬ時かもしれないけど、まあ、わかる。

だから平然と受け止めよう。
あらゆることをね。







Last updated  2008.12.09 14:04:16
コメント(5) | コメントを書く
2008.12.06
あれはこの次元ではなかったのかな?
あの坊さんみたいな人は…

image1.jpg
(イメージを思い起こしてみました。トップの写真が近いかな)

でも実際に手の中にある…このちいさな方。

最初に、伯父さんが心臓の大手術のとき、なんとなく…
「これ、持って行って、枕の下でも置いてて。気休めでもなんでもいいから。
こんな小さなものだし、もし、無くなったらなくなったでいいから。」って
持って行ってもらった…

その後も何人も持って行き…そしていつも帰って来た…

全員回復…みんな元気だ!

だからといって、どうのって言いたくない。

ただ、愛が行き来したのは事実だし、それでいいんじゃない。

でも、あの美しい光り輝いていたお花の庭、わすれられないな。






Last updated  2008.12.06 23:25:26
コメント(8) | コメントを書く
2008.12.05
あの日、そうだ、晴れていた日でした。
私は普段はあまり乗らない、自転車に乗っていました。
盛岡のとある細い路地裏を初めて通った時でした。
住宅地とも言えない…なにかこう、不思議な感じのする路地でした。
ふとみると、奇麗に手入れされたお庭がありました。
コスモスが咲いていたような気がしますから、夏だったのでしょう。
「きれいな花がいっぱい咲いてるな」とふと足を止めてお庭を見ました。

すると…中から手招きをする人がいます。
(だいたい、私がお花に引寄せられて、他人の家の庭を見たりしたことはなかった!
それまでの私は…)
その方は縁側に座っていて、なおも手招きをします。

(わたし?)と私は無言で自分の顔を指差して聞きました。
(そうだ、そうだ)というようにその方は首を縦に振り、さらに手招きをしました。

私は自転車を入り口に立てかけると、お庭の竹で出来た小さな仕切り口から
中に入って行きました。
広い縁側のある日本的な立派なお宅でした。
すると、その方が奇妙な絞り出すような声を出しました。
「あなたにはなにかあるとわかりました。」

その声のわけも、お話を聞いているうちにわかりました。
喉頭ガンで声帯を使えなくなり、食道を使って話をしていたのでした。

60歳くらいの男の方だと思いました。
その方はなぜか、今会ったばかりの私に身の上話を始めました。

縁側からお座敷に招かれ、冷たいお茶も出してくれました。

『私はどうしても死ねないのです』
 
『私はこのように自由に声も出ませんが、神様は私をあの世にお召しにならないのです。
最初、肺ガン、その次に膀胱ガン、足の肉腫、そして喉頭ガンです。
こんなに痛めつけられたら、普通どれかひとつでもあの世に行きますよね。
でも私は死ねないんです。』

私はどこか異次元に迷い込んだような気がしました。
お顔もはっきり見ることが出来ませんでした。
しかし頭髪はなく、身体も不自由そうでしたが、どこか悟り切った
お坊様のような気配でした…そう言えば。

『神様は、まだまだ私に、やることがあるといっているのです』

なんとなく、私が帰らなければ…と思う気持ちを察してか、
『ちょっとお待ちください』と言うと
庭の片隅の工房のような建物に行って、何かを持って来ました。

私の手に小さな観音様(マリア様のような…)を渡して、こう言いました。
『これは私が作ったものです。
かたちはいびつかもしれませんが、きっとあなたを護ってくれますよ。』

私は少しのとまどいはありましたが、
それを手に握り、お礼を言って帰りました。

頂いた小さな彫金の観音様は、それから無造作にお財布の中バッグのポケットに、
入ったまましばらく時が過ぎました。

『あれ』は一体なんという一瞬だったのでしょうか。
真昼の夢のような一瞬。
もうあの路地を通ることもなく十年以上が経ってしまいました。
もはやどこかすら忘れてしまいました…

かんのんさま正面.jpg


…そしてここからの話なのですが…
この話と写真は『どじママ』に載っていて、一の倉邸の西郷さんもしっかりと読み、見ていてくれていたはずでした…

この本が出て数年して私と西郷さんはインドへ行くことになりました。
盛岡からフライトのため、東京へ向かう新幹線の中、私たちは並んで座りました。

すると驚いたことを西郷さんが話し始めました。
『実はね、私も同じ観音様を持っているのよ』って。
そして大事そうにバッグの中から取り出したものは…

うりふたつ!
背の高さ…何もかもがです。
新しい、古いだけの違いでした…

でも西郷さんのものはとても古い…
『これはね、お寺だった実家の祖母が、昔々私にくれたものなの』
どうやら、西郷さんが子どもの頃、おばあさまが渡してくれたもの。
そのお寺に昔からあった古い観音様で
『和子を護ってくれるから』と言われたそう…

「どうして言わなかったんですか!」って私は言いました。
『あまりに不思議で言えなかったの』と西郷さんは言いました。

インドに着いて、ある晩そのふたつの観音様をベッドの上に並べてみました。

(写真を撮らなきゃ!)
そう思ってデジカメを向けました。

シャッターはおりませんでした。やはり。

かんのんさま.jpg
高さ3.5センチ
正面から見ただけでは、いびつな形に見えましたが
横から見たら、表情、手のかたち、布のドレープまでよく作られているのがわかります。
驚きました。






Last updated  2008.12.06 16:10:29
コメント(1) | コメントを書く
初めての方は「魂のおそうじさせて頂きます…1」からお読みください(^^)

美しい日本の文化…四季の移り変わり、気配…それらすべてを愛する文化ですね。
一の倉邸の美しい写真です。


「一ノ倉邸」を愛した、盲目の和菓子職人
tikuhou2.jpg

「和菓子の持つ、しとやかな甘さ、日本古来の色、
四季の自然をそれぞれに彩る形、至高の材料へのこだわり、
とろけそうな、くずれそうなまた確固とした触感。
どれもこれもわたしを引きつけて離さない。
そしてそれは茶を引きたて、人を引きたて、場を引き立てるもの。
主人公であってはならず、美味しく召し上がっていただく、
そのなくなるまでの一瞬の風情でこそありたい。
一陣の風、一輪の野の花がわたしの師である」

と語った 故長澤良武さん。
長澤さんは東京赤坂の「塩野」で修行され、昭和天皇への献上菓子までまかされるほどの和菓子の達人でした。生涯和菓子をこよなく愛し、和菓子作りに命の限りをつくした人。

 長澤さんは盲目の和菓子職人でした。
心から愛した、一ノ倉邸を美しい和菓子の庭として、想うままに魂を散りばめていることと思います。

tikuhou.jpg
現在は二代目がその味と心を受け継いでいます。
「先代の想いを伝える責任の重さを受け止めています」…と。
バッグと下のお菓子などUre's Designです。
satobi.jpg


造り菓子 竹芳 (ちくほう)
〒020-0824 盛岡市東安庭一丁目6-2 TEL・019-653-6158






Last updated  2008.12.06 08:48:16
コメント(2) | コメントを書く
2008.12.04
魂のおそうじさせて頂きます…1、からお読みくださいね(^^)

盛岡・一の倉邸・阿部一族の館を護る人
「この龍がいつも私の…」

………………… 16年目を迎えた今、驚く事に年間数万人もの人が訪れるお屋敷となりました。
わたしが訪ねる度に感じることは、一歩この屋敷の門を入ったとたんの清浄な空気です。
浄化された気とも言えるようです。

数年前はここでわたしがこの本書にも載っている、十五のヴィジョンを布に染め、「光の布展」という個展もさせていただきました。

 そのときの西郷さんの驚いた顔は今でも忘れられません。
わたしの描いたを見て、
「これよ! この龍がいつもわたしの夢に現れていたのよ!」と言いました。

彼女はたくさんの鏡を庭に配置し、太陽光を室内に入れるというしつらえをしてくれました。
どこからあんな力が、と思うようなたくさんのミラーを庭園に入れました。
(写真がないのが不思議ですが)
「ここに住む、たくさんの魂を天空にあげて差し上げたいのよ!」と言っていました。

「アトランティスの遊び」とわたしが名付けた、水晶での光のプラズマの遊びは素晴らしく楽しかった。庭の光がミラーボールのように虹色に輝いて、菩薩の顔や曼荼羅を照らす。子供のように夢中になって遊びました。楽しかったー!
10-2-6.jpg
10-2-4.jpg
10-2-3.jpg
05-10-3-1.jpg
cly-2.jpg
(参考迄に、これは自宅です)



「化け物屋敷が、愛の掃除によって救われた」

 ここを訪れる人は例外なく感動するが、外国の方のそれはものすごいものがあるのです。
『太古からの癒しを感じる』と言ったアメリカの超能力者(ゲリーボーネルさん)。

『アジアの中でもある特別の意味を持つところである』と絶賛をされたインドの高僧。
(その後、インド、ブッダガヤに招かれ、植樹という最高の栄誉を与えられました)

ブッダガヤ.jpg
この写真はデジカメでないのですが、手前に光が斜めに入っています。
カメラ店でもこれは何かわからないと言われました。
真ん中にいるのが、この屋敷を護る西郷和子さん。

budda2.jpg
私の「テラ」の展示をさせて頂いたところ。
大きな2m以上の布に「テラ」をプリントさせました。
今や世界遺産の場ブッダガヤ大塔寺です。

ここ、ブッダが悟りを開いた場で、展示を許したのは歴史以来初めてのことだったそうです。
私が修行僧たちと

…………………

「この屋敷も心から安心したようで、暖かく客人を迎えます。人が来れば来るほど、百年前の屋敷は艶やかに生き生きとしていますよ。時々、学校に行けない子も来て、ゆっくり庭を眺めたり、手伝ったりしてくれます。ここに来ると心が落ち着くと言ってくれます」
 朽ちかかり、化け物屋敷と呼ばれていた庭園、屋敷は、いま見事に蘇り、多くの人々を魅了する癒しの場となったのです。

 すごいことを成し遂げていながら、彼女はあたりまえのような顔をして微笑み、炉端は今日も涼やかに百年の灰がきれいにならされています。

continue…………なにかのため、何かの…






Last updated  2008.12.06 08:46:56
コメント(0) | コメントを書く
2008.12.01
今回はちょっと解説(?)

こちらは私が一の倉邸で行った個展の写真です。2004
ii.jpg
インドブッダガヤでのブッダのインスピレーション。
Qさんはこのブッダの前で3日間瞑想をしていました。
ゆらゆらと動いているのだそうです。

↑後ろの丸いシミが浮き出ているのが元々の壁です。
漆黒だったという…謎の黒壁。

i.jpg
蓮…素晴らしい表具が生きています。

そして…打ち上げの夜…一の倉邸にて。
oh334.jpg
一番左…黄金のオーブがくっきりと写っています。撮影:高橋克彦氏
真ん中は拡大したもの。
右は、注文した本の表紙…酷似しているなあ、と思いました。
もう、不思議は普通です。ミラクルな日々…

……………4、は次に続き、一の倉邸に数百年お住まいの方々を永平寺に連れて行く話に続きます。






Last updated  2008.12.06 08:39:15
コメント(4) | コメントを書く
『魂のお掃除させていただきます』…1 からお読みください(^^)

 
 そして盛岡の保護庭園として、屋敷はあやうく解体をまぬがれたのでした。
 不思議なことは山ほどあったといいます。

「入口の隣の部屋には紫色の着物を着た、まるで平安時代のような女の人が座っていることもありました。また『おばあさんの部屋』と呼んでいる奥の座敷には年取ったお方が座っていらして、何か力を貸してほしいと頼んでいるようでした。この部屋は夏のお盆のころでも寒い気がしましたよ」と、西郷さんはごくあたりまえのように言います。

「阿部浩様の奥様は龍さんといって、大正天皇に書を教えられたほどの有名女流書家でした。わたしはいつもお屋敷内では声をかけながら働きました。

『お掃除させていただきます』と。本当の知識もないけれど、自分なりのやり方で供養もさせていただきました」と語り、お屋敷はまさに一点のスキもなく、どこをとって見ても彼女の心つくしが美しく生きています。

「この屋敷は贅をつくしていながら謎が多いのです。まず、お座敷の壁は真っ黒だったというし、長押(鴨居の上に長く横に渡す材木)の大木を見て驚かない人はいません。二十メートル以上はあろうかと思えるほどの秋田杉一本造りです。何処からどうやって運んで来たのでしょう。そしてこれらの黒壁はあの頃の密談の内容もつぶさに知っているんですよ」

「これよ! この龍がいつもわたしの枕元に!」

 西郷和子さんは盛岡の生まれだですが、若い頃は東京でインテリアコーディネイターとしても活躍していました。素材は自然そのものを取り入れたかった彼女です。東京では木の枝一本でも、どんぐり一個でもお金を出して買うことに、どうしても空しさを感じて盛岡に帰って来たのでした。

 このお屋敷は素晴らしい樹木、自然の草花に囲まれています。
春の草花、夏の緑、秋の紅葉、枯れ葉、木の実と、彼女がコーディネイトに必要なものは何でも自然が与えてくれるのです。
彼女は遊びの名人です。彼女の手によると虫食いの穴のあいた葉っぱでも和菓子に添えられて、愛しくしみじみと美しい…






Last updated  2008.12.06 08:37:30
コメント(0) | コメントを書く
平成12年出版とありますから
もうそんな時が経ったんですね。
祥伝社にも一冊もないし、どこかで見つけたらいいな。
dijimama.jpg

……………「テラ」は自費出版したもので、盛岡以外には出てないはずなのに
ある日祥伝社という出版社から電話が入りました。
私が外出していて留守でした。
それからもお電話をくれて、3回目かにやっと話ができました。

『テラ』をある本屋の倉庫で見ました。
あの本をかみくだいて読み易い本にしてみませんか?
と言われて出来たのがこの本。

私が考えたタイトルではありません。
出版社が付けた名前の本です。
(悲しかった…このようなタイトルは、私のどこにもなかったのですから)
サブの「子どもは前世の恩人」が私の本当のタイトルです。

やっと告白できる!
私はこんなタイトルの本等出したくなかったの!
子育てのところにありました。
(かえって良かったのかな?)

………その中の一章
「魂のお掃除させていただきます」

今、2008にこれを再びここに出すのにはとてもとても大きな理由があるんです。


……………………壊される寸前の明治の館・一の倉邸

[毛穴が開き、髪の毛が逆立つ、そして吐き気]←という書き出しで。

「だれも入ってはならない!」という声が聞こえるような不気味なまるで
お化け屋敷のようなところでした。
盛岡市も手のほどこしようがなく、道路拡張のためと称して
鬱蒼とした庭園もろとも解体寸前のことでした…

盛岡の北上川をすこしのぼったところに安部館という地名があり、
その古ぼけた建物「一ノ倉邸」はそこにあります。
平成四年のことでした。私の大切な友人でもある西郷和子さんは、えも言われぬ理由でその建物を命をかけて守った人。

明治の館が壊されようとしているとの話を聞いて、いてもたってもいられなくなった彼女はまず、その「一ノ倉邸」に行ってみました。その荒れ放題は想像以上でした。
まず、足を踏み入れたとたんのブヨブヨした足元からの異臭、そして百年分の凝り固まったほこりと何やら知れない汚物の山。

それよりも何よりも、入ったとたんに感じた得体のしれない怖さ。
毛穴が開き、髪の毛が逆立つ感じ、そして吐き気に襲われたそうです。

「これはわたしの手には負えない」と思う頭とは反対に自分の体はひとりでに動いて、片付け、掃除を始めるではありませんか。
始めるといっても、広い庭内と屋敷。まるで何かに突き動かされるように働いて働いて働いている自分がいるのです。掃除しようにもどこから手を付けてよいのやらわからないのに。

「何でこんなことを、やっているのか!」
と連日くたくたになりながら家に帰ると八十歳になる実の母の世話が待っています。
家の者もあきれる始末でした。「いいかげんにしろ。体を壊してまですることか」と怒鳴られることも何度もあったと言います。

自分の中ではいやがっても、『もうダメだ』と思いながらも朝の三時には目がさめ、それから家のことをすべて済ませ、自転車で屋敷に向かうのだ。朝の六時から夕方までにとにかく屋敷の掃除にすべてをそそぎこんだのです。それは天が与えた宿命とでも言えるのかもしれません。

彼女は最初からこの屋敷のたどってきた運命を知っていたわけではなかんおですが。
白羽の矢を立てられたのでしょう。あやつられるようにこの屋敷に関わっていきました。

 ここは明治四十年頃に、東京府知事、阿部浩の別邸として建てられたもの。 
ご存知、原敬が首相であり、後藤新平が東京市長であった。日本の中枢をあやつる三人ともが岩手県出身であった時代があるのです。
そんな時代のこの屋敷は、日本、東京をどのように動かすかの密談の場所でもあったというのです。さらに阿部浩東京府知事は阿部一族の末裔ということで、この安部館というゆかりの場所を選んで立てたらしいのです。

そんな歴史もろくに知らないのに、何ものかに選ばれた彼女は、目に見えないものにあやつられるように懸命の作業に我が身も忘れて働いてきました。

その屋敷は彼女を招き入れたが、すぐには心を許してはくれなかったそうなのです。

「荒れ放題に荒れたこの屋敷にはなにかただよう底知れぬ悲しみ寂しさを感じました。
疲れ切った体を夜にふとんに横たえても、眠らせてくれない日が多かった。
龍がとぐろを巻くようにわたしの体中を揺さぶるのです。
草茫々の庭の草を刈ろうとするとカマがひとりでに飛んでくる。
それはわたしを試していたのです。
『おまえは本気なのか! おまえをまだ許してはおらぬぞ!』とでも言うように。
それでも、行かずにいられない。わたしは病気になってもおかしくないほどでしたから、家には、倒れたとき用の入院準備もしていました」

その奮闘の日々から五ヶ月後の九月、盛岡市長が様子を見に訪れたのだ。意外な言葉が盛岡弁ですんなり市長の口から出たのでした。

「これは残さねばなんねえな」

continue

一の倉08:11.jpg
先日の一の倉邸の庭。
歩く所に紅葉が履き集められ、龍のようにくねり、えもいわれぬ風情をただよわせています。






Last updated  2008.12.06 08:34:03
コメント(3) | コメントを書く

全9件 (9件中 1-9件目)

1

PR


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.