269129 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

うりぼうず

うりぼうず

その他?

 ●「信州に上医ありー若月俊一と佐久病院」(南木佳士、岩波新書)
 以前、長野県にいたが、佐久総合病院の名は鳴り響いていたが、あまり深く考えたことはなかった。そこに勤める芥川賞作家の作品。
 若月氏の時代、共産党のインテリに対する影響力の大きさ。その中で、多くの人物がつぶされていったが、彼のような現実感覚を持った人間が、腕をふるえた時代でもあったんだろうな。
 若月俊一の賛美一辺倒にならず、そもそも、若月俊一を知るために佐久に勤務したような著者の視点が面白い。改革者、理想家としての視点と経営者としての対場の矛盾を、矛盾として描く姿勢はさすが。
 参議院議員にもなった諏訪中央病院の今井澄、「がんばらない」を著した鎌田実。信州には上医が多い。いずれも、外部の人間(だと思う)だが、彼らを育む土壌があるのか。

●「異見あり」(養老孟司、文芸春秋)
 この中の「育てにくい子は三歳でわかる」という一項。確かに、反社会的な犯罪を犯す子どもが、統計的にみれば、早期からその兆候がある程度はあるのだろう。ただし、人によって育てにくさも違うような気がする。「手のかからない」ということを、育てやすいという人もいれば、逆に、手のかからないことを不安に思う人も。けっこう、手のかからない子というのは、痕になって、問題を起こすこともあるだろう。また、昔なら、社会の眼があるので、育てにくい子どもを、社会の眼で育てる、あるいは監視?できたともいうが、果たして、昔はそのために犯罪(精神状態が問題とされるものと限定してあるが)が少なかったのか。昔といっても、いつの昔か。この手の議論は、必ずしも、それらの根拠が明示されないまま、誤ったものでも、世間一般に共通認識として捉えられているものを前提としているものが多いのでは。
 「唯脳論」的なものの考え方は、きわめてすっきりして、納得もできるのだが。

 ●路上観察学入門(赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊篇、筑摩書房)
 以前、藤森氏の看板建築についての本を読んだら、通勤に使っている道に、看板建築がいっぱいあることを発見。震災後に現れた、ある意味で安普請の建物でも、こんなに面白い背景があるのかと関心したことがある。それにしても、世の中にはヘンな人がいっぱいいるもんだ。ひたすらマンホールに関心を持つ人。取り壊される建造物に、無上の愛?を感じ、そのカケラの収集に情熱を燃やす人。
 でも、「意味のない」といわれていることでも、そこに意味を見出すこと、あるいはトマソン的に意味のないことに意味を見出すこと、それができれば、人生も楽しそう。
 それにしても、大型扇風機の「トマソン」の語源など、知る人も少なくなってきているんだろうな。本のどこかに、注釈としてそれを書いてほしかった。

 ●「日本縦断 徒歩の旅~65歳ノ挑戦」(石川文洋、岩波新書)
 ベトナムの戦場カメラマンとして知られた石川氏が、北海道の宗谷岬から故郷の沖縄まで3300キロを歩き通し書いた日記。歩いてのたびにあこがれているが、なかなか出来ない。
 戦争報道にあっても、鳥の目ではなく、虫の目で戦場を見つめ続けた、石川氏らしい筆致だ。


© Rakuten Group, Inc.