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高知県立坂本龍馬記念館 館長日誌

高知県立坂本龍馬記念館 館長日誌

第4回  時間割もらって

  60歳だからできたウルムチ新疆大留学記 (4回)



 学費納入の領収書と引き換えに二〇〇三年四月まで半年間の時間割をもらった。担任は、ムニエラ先生。ウイグル族のなかなかはっきりものを言う精悍な美人である。
 座った椅子を半回転させて向き合うと、理解できるわけない中国語でまくし立てられ、励まされた。答えられず下向く。形よく組まれたムニエラ先生の足先に流線型の白いヒールが揺れていた。
 最後にそれだけは分かった「ミンバイラ=分かりましたか」。のぞき込むような笑顔に作り笑いをお返しして「再見=ザイチエン=さようなら」であった。


 キャンパスの木陰のベンチに座って、もらった時間割を見てみた。「留学生・初漢・A甲班上課時間割表」。大学ノート半分ほどの紙切れの一番上にそう書かれていた。初級クラスの中国語の時間割というわけである。
 「A甲」とあるから、「A乙」があって、「A甲」は初級の中でも初級、つまり「ニイ・ハオ」から始める初心者。「A乙」は、若干の経験者だ。私は、もちろん「A甲」。
 ちなみに、「A甲」の授業は、「教程」「国語」「聴力」。日本流に言えば、「文法」「会話」「聞き分け」の三課目。一週間に文法六時間、会話、聞き分けそれぞれ四時間ずつ、合計十四時間。あとは自由だと言う。そうはきつくない。正直そう思った。
 ところが、その自由が実は鍵であった。後で知ったことだが、自由とはつまり実践。言葉の勉強の極意を知らされた。
 この日は、留学生に欠かせぬもう一つの行事が準備されていた。指定の新疆大学学術交流センターに行った。入り口に「2002年外国留学生開学典礼」の垂れ幕が掛かっていた。こぢんまりした会場に、八十人ほどが集まっていた。
 恐れた事態はすぐやってきた。学長の歓迎挨拶。先生方の紹介。続いて留学生の自己紹介。五十人ほどの留学生が一人一人。聞いていると、皆さん短くても中国語である。ということは、丸っきりの素人は私ぐらいか。不安がよぎった。
 しかし、どうしようもない。隣のアメリカ人はジョークまで交えての中国語だ。会場がどと沸いている。隣の着席を待って、立ち上がった。名前が紹介されたのは分かった。
 「ニイ・ハオ」これは中国語。以下、出身国、趣味など日本語でしゃべった。しらけた空気が流れた。「宜しくお願いします」そう結んで座ろうとした時、ジアン・ジエン局長が立ち上がって、中国語で翻訳してくれた。私が言わなかった年齢のことまで。
 「留学生の最高齢です」会場に、先のアメリカ人よりも大きな拍手が起きた。


 慌しい一日が終わった。さて、と思ったら見計らったように周さんが現れた。仕事の合間に様子を見にきてくれたらしい。心配げに「どうでしたか。困ったこは。食事は?」。級に空腹を覚えた。そういえば昼食を食べていない。
 早速、外に出た。大学の前は郵便局をはじめ病院、インターネットカフェ、理美容院、スーパー、そしてレストラン、食堂。多いのは食堂。中で清潔そうなウイグル食堂に入った。
 いためた野菜と羊の肉のスープを麺にかける「ラグメン」を頼んだ。私はジャカ芋、周さんはニラをベースのラグメン。カバブ二本ずつ。周さんはラグメンにたっぷり酢をかけた。


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