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高知県立坂本龍馬記念館 館長日誌

高知県立坂本龍馬記念館 館長日誌

第15回  カザフ族の夫婦

60歳だからできたウルムチ新疆大留学記 (第15回)


 二年間の留学生活の中で、最も親しく付き合いした人物といえば、ヌルザットとクワットである。結婚した二人と一年間、一つ屋根の下で暮らした。家族みたいなものだ。まこと、馴染みになったクリーニング屋のオヤジさんなどからは、「娘さんかね」。真顔で聞かれたことがある。
 努爾扎堤(ヌルザット)、呼瓦堤(クワット)と書く。カザフ族である。二人は二〇〇三年十月結婚した。ヌルザット二十八歳、クワット二十三歳だ。
 私が彼らと知り合ったのは22002年の冬。バイトを探していたヌルザットとであったのがきっかけである。私は、家庭教師を探していた。ヌルザットは法律学部の職員で、宿舎も近い。両方の条件が一致した。
 ヌルザットは一週間に二度、私の宿舎(学術交流センター、308号室)にやってきた。会話、授業中に分からなかった個所などチェックしてもらった。少しずつ話せるようになると、お互いの国の事情や家族のこと、新聞記事も解説してもらった。
 彼女の田舎は、ウルムチからバスで四時間のマナスである。自然に恵まれた美しい農村地帯だ。彼女には二人の妹がいる。二女、沙吾列西=サオリッシ、三女、達堤=ダッティイ。サオリッシは医科大生、ダッティイは、新疆大の一年生だった。ヌルザットが偉いのは、二人の妹の面倒を、親代わりに見ていたことだ。金銭的なことも含めてである。バイトもそうした背景があったからだろう。
 主に、“授業”は、私の宿舎で行われたが、時に一階のレストランで食事をしながらとか、散歩、郊外でショッピングとか、徐々に広がっていった。
「紹介したい人がいるのですけれど、連れて来ていいですか」
 慣れるのを待っていたかのように、ある日、ヌルザットが言った。食事中だった。恥ずかしげなそぶりからピンときた。翌日の夕食は、三人になった。登場したのが、まだその当時、報じる学部の学生だったクワットというわけである。
「私はモスリムです。私達、あまり政治的、宗教的な話はしないようにしましょう。そういでないと、友達になりにくい」
 彼は突然、こう切り込んできた。思わず、食事の手が止まった。ヌルザットが話を切った。
「このレストランどうです。清潔でしょう」
 クワットは黙って料理を食っていた。二人は同族のカザフ人。真面目は学生と、法律学部の優秀な職員。優秀は職員は、将来の夫探しの網を張っていたのかもしれない。そんな気がした。


 少数民族の学生達は、概して漢語が苦手だ。だが、入学、就職すべての試験は漢語である。少数民族にとってはハンディだが仕方ない。厳しい現状の中で、この二人は、漢語が達者だ。ご両親の教育の成果といえよう。ヌルザットなど、高校時代優秀で、地域代表として北京にゆき、民族大学で学んでいる。
 新疆で暮らす二人はエリートに違いない。クワットの卒論をヌルザットが手伝った。年齢差など、二人はたちまち越えたわけである。ただし、その時点で二人との、同居生活が待っているとは考えもしなかった。


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