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高知県立坂本龍馬記念館 館長日誌

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第23回 習慣を支えるモノ

  60歳だからできたウルムチ新疆大留学記  (第23回)


 99%型抜きで、色はブルーが多い。銭湯で使うあの腰掛である。まさにこの一脚が、わが家の調理代の下に置いてあり、重宝されていた。
 私ではなく、ヌルザット、クワットの持ち物であった。どこで使うのかと思っていたら、クワットがそれに座って、ジャガイモの皮をむいていた。ひざの間に、ゴミ箱を挟んでいる。
「なぜ、調理台を使わないの?」
 聞くと、
「腰掛、使うのですか?」
と、とんちんかんな答えが帰ってきた。夕食の支度をしているヌルザットの手伝い中という。
 なぜそんな場所に座り込んでいるのかという私の問いが、通じていないのである。私は自分の言葉の貧弱さを思ったが、どうもそればかりではないらしい。再度の質問の答えで分かった。
「第一下に座るほうが仕事がやりやすい。カザフはみんなこうですよ。母も、おばあちゃんもこうしていました。時にはおしゃべりしながらね」
 要はクレーム無用という穏やかな反論である。気をつけると、ヌルザットも同じだった。さらに彼女の場合、物を何でも由香に置きたがる癖があった。炊飯器、茶瓶、トースター。台があるのに下に置く。
 物に布をかけるのも彼女の癖。一緒に台所用品を買いに行って、最初に買ったのが布切れである。テレビ、机、冷蔵庫などはまあいい。食器棚にあるお茶など小物にまで、それなりの小さい布が掛かっている。きれいといわれればそうだが、不便なことこの上なし。はいだままにしておくと後から必ずかけられていた。
 床に物を置く習慣だけは苦手で、強引に少し背は低いが台を買ってきて置き場を作り、意見を入れてもらった。
「掃除しているから、床も汚くありません」
 ヌルザットは最後まで不満げだった。
 しかし、それ以後は
「お腰も痛くならないし」
などと、お世辞かも知れぬが、妥協していた。
 布の件はこちらが譲った。冷蔵庫を開けるたびに、ドアにはさむ布の不便さを感じながら。


 “これだけは、いくらモリサンでもだめだ”と宣言されていたのが豚肉である。モスリムの彼らは絶対口にしない。匂いさえ反応する。冷蔵庫にいれてある豚肉ソーセージを当てられたこともある。
「豚肉切ったでしょう。この包丁、また板も」
 見ていたようなヌルザットの追及であった。口を尖らせてそれころゴシゴシ、たわしで洗っていた。調味料の中の成分でさえ言うのだから仕方がない。だから、外食の時は不便だった。彼らの行くレストランには「清真=チンジェン=イスラム教」の表示がある。
 大勢での食事の時は、レストラン選びのそれが難問だった。実際、敬虔なモスリムはタバコも、酒もやらない。勧めることさえ、礼儀に反するとも注意された。
 金曜日、モスクに集まる人々の多さには驚かされる。ただ、その一方で、逆の姿に触れたりもする。ここも時代という大波にやっぱり洗われているということだろうか。
 豚肉は口にしない。譲れぬ一線がある。その一点で、ほかの人々と自分達を区別する。そうまでして、守ろうとし、主張しようとしている“モノ”の存在を想像する。重たくなる。


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