北へ向かう2(仙台めぐり1 瑞鳳殿他)
午後からのスタートとなった仙台観光。行く前に何冊かガイドブックを読んで、仙台めぐりをするなら「るーぷる仙台」に乗ってまわるのが一番だと刷り込まれました。('◇')ゞその乗り場探しに手間取りましたが、一日券を買ってなんとか乗り込みました。午後便だったのでかろうじてすわれました。車窓から見た広瀬川。「るーぷる仙台」はこのようなバスです。(後ろ姿)とても古い車両で乗り心地はよくないです。それにたくさんは乗れないのに無理にぎゅうぎゅう詰め込まれる。('◇')ゞ一日券を買うと、拝観料等が少し割引になりますし、スイカと違って乗降時にタッチしないで済みます。バス停としては4つめ、観光地としては最初の見どころが瑞鳳殿です。しかし、るーぷる仙台を降りてびっくり。ものすごい急坂が待っていたのです。ゆっくりゆっくり登っていきます。あと少し。(#^^#)しかし、ついたのは瑞鳳殿ではなく瑞鳳寺でした。まずは拝観しましょう。本堂です。臨済宗妙心寺派の正宗山瑞鳳寺は、寛永14年(1637年)に二代藩主伊達忠宗によって初代伊達政宗の菩提を弔うために建立されました。火災で焼失後、大正15年に再建した時に本尊の釈迦文殊普賢の三体は毛越寺から移されたものだそうです。瑞鳳寺の拝観を終えると、また登りとなります。左の石段が登りで、右は下り専用のようです。どのガイドブックにも急坂や石段がたくさんあることは書かれていませんでした。('◇')ゞあともう少しで瑞鳳殿の受付です。570円がるーぷるの一日券を見せると460円になりました。涅槃門です。中はかなり混雑していました。これが瑞鳳殿です。1636(寛永13)年、仙台藩祖伊達政宗の遺命により、その翌年この経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)です。桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として1931(昭和6)年、国宝に指定されましたが、1945(昭和20)年の戦災で焼失。現在の建物は規模、装飾ともに、焼失以前の瑞鳳殿を範とし1979(昭和54)年に再建されたものです。弔魂碑がありました。この碑は、慶応4年/明治元年(1868)の戊辰戦争、明治2年(1869)の函館戦争における仙台藩士及び旧幕臣・米沢藩の仙台応援隊士らを含む殉難者1,260名及び民間で犠牲となった多くの方の霊を弔うために、伊達家(14代当主伊達宗基)と旧仙台藩士が出資し明治10年(1877)に鋳鉄製で建立されたものだそうです。さて、少し下り坂です。次なるところへ行きましょう。(つづく)