カテゴリ:趣味・ゲーム
この写真は、昨年の秋に広島の平和記念資料館に行ったときのものです。 昨夜は、TBSのドラマ「涙そうそう 広島・昭和20年8月6日」を見ました。 フジTVの「スローダンス」は毎週見ているので、そちらはビデオに撮りました。 「広島・昭和20年8月6日」は、午後9時から始まって11時半過ぎまででした。長かったです。 8月5日夜に放送されたドキュメンタリータッチの「TBS 戦後60年特別企画 ヒロシマ」を上手く使っているなと思いました。 その当時のモノクロ画面を効果的に組み込んでいました。 なお、ドラマの方は大きなセットの産業奨励館が少し安っぽい感じがするときと、意外によくできているなあと思える時とありました。 ストーリーは、暑い現代の広島で西田敏行が60年前のことを生徒たちに語る場面から始まりました。 語られたのは、産業奨励館(現在の原爆ドーム)近くにあった矢島旅館に住んでいた三姉妹の話です。 西田が演ずるのは、そこの長男(第4子)矢島年明です。 花(スノードロップを育てていてそれがなぜか8月に咲きます)と動物を愛する優しい子でしたが、ひ弱なためにいつも教練の時間には教官にいじめられ、とうとう志願兵として出兵させられることになりました。 しかし、結果としては広島からはなれて出兵していたことによって一人生き残ったのです。 その子のお姉さんたちは、長女のしーちゃん(松たか子)、次女ののんちゃん(加藤あい)、三女のまきちゃん(長沢まさみ)です。 長女は亡き父母にかわって、矢島旅館をとりしきって、子ども達の生活をもささえていました。 次女は代用教員をしていましたが、戦争を謳歌するような風潮をきらい、毎日勉強はせずに建物疎開などをさせられても文句を言わずにもくもくと働く子ども達がかわいそうで、ある日海に遊びに連れて行ってしまい大変なことになったりします。 三女は、工場でミシンがけ。そこで朝鮮の女学生と仲良くなり、朝鮮人ゆえの虐待を助けたりします。 そんな三姉妹のささやかな日々と、原爆作成、原爆実験、ポツダム宣言、原爆投下の決定などモノクローム場面をオーバーラップさせながら、「原爆投下まであと○日」のテロップにしたがって進んでいきました。 その8月6日ですが、長女は9時に広島駅に帰ってくると手紙をくれた恋人(国分太一)を待ちわび、恋人から預かっている懐中時計を何度も見ながら握りしめながら原爆の直撃に遭います。 次女は夫の働く産業奨励館に行き、「赤ちゃんができた」ことを報告して二人で喜んでいるところを被爆。 三女は長女に作ってもらったバレーシューズ二足を朝鮮のお友達と一緒にはいて バレーを踊っているところを被爆。 三人とも亡くなりました。 ラストシーンは、また最初に戻って西田敏行が子どもたちに語っている場面です。 西田は原爆慰霊碑の言葉を読みながら、 「本当に今の私達はその言葉を守っているでしょうか。 この世から戦争はなくなったでしょうか。 どんな理由をつけようとも、あんなものを人間の頭の 上に落としちゃあいけない。 もう二度と戦争をしてはいけない。」 というような内容のせりふを語りながらドラマは終わりましたが、それらの言葉がずんと心に重くのしかかってきました。 終わりは、夏川りみの「涙そうそう」をバックに原爆資料館に展示されているモノクロの被爆者の写真や当時のかなりリアルなモノクロフィルムが写されていました。 昨夜は訳のわからない夢を見ました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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