新潟県で屋敷と庭とお寺さん 2023.8.30-9.1
丑寅の二人旅 第101弾 新潟県で屋敷と庭とお寺 2日目-28月31日市島邸の次も農民屋敷、豪農の館 北方文化博物館場所は新潟市江南区敷地8,800坪(渡邊邸3,000坪、清水園4,600坪、市島邸8,000坪)建坪1,200坪 部屋数65の純日本式住居屋敷の持ち主は伊藤家渡邊家、市島家と違い最初から農民、千町歩地主で所有する田畑は1370町歩(1370ヘクタール)、作徳米3万俵、越後随一の地主でした(市島家は大正13年時点で越後最大の千町歩地主、伊藤家は戦前の昭和で越後随一の地主)台所、住み込み雇人は50人、毎朝炊くこめは60kg(1俵)この俵1つを毎朝炊いていたのですね囲炉裏、1.8m四方三間続きの茶の間、開け放てば27畳来客を迎えた部屋玄関、和風ではないのかな?大広間・座敷、ここから眺める庭園が秀逸回遊式庭園ですが、立ち入り禁止「謎の天狗面」と「謎の女性」伊万里の大皿6代目伊藤文吾の婚礼祝いの献立表、5m程の紙2枚に書かれています、3日3晩の宴だったとか三楽亭、書斎兼茶室正三角形の建坪11坪、敷地・畳・柱殆どが三角形「にいがた庭園街道」の村上市から始まる150kmの最終が南蒲原郡田上町の椿寿荘位置的には燕・三条に近いですね越後蒲原豪農 原田巻家の離れ座敷「椿寿荘」入り口の薬医門、有名な宮大工の作玄関の衝立「猩々の舞」、八方睨みで描かれているので何処から見ても「目が合う」「つま先がこちらを向く」角度を変えて撮りましたが、果たして分かるかどうか?原田巻家も、ご多聞に漏れず、千町歩地主、1,300町歩の田畑を所有立派な仏壇です、但し仏間でなく、取敢えずの仮の間椿寿荘はメインの屋敷でなく離れ座敷なので、敷地880坪、建坪140坪とそれ程広大ではありませんその代わりに、資材に銘木・銘石を使用したり、名工を招いて作り上げたり、贅を尽くしていますクスノキの1枚板に菊の透かし彫りの欄間、越中伊波の彫り師の作手前から三の間・二の間・上段の間、床の間の床がまちには輪島塗が使われています上段の間からの庭の眺め、額縁効果を狙って窓が切られています縁側の庇を支える丸桁は吉野で切り出した20mの一本物の吉野杉庭は枯山水須弥山を模した五重の石塔今宵は弥彦神社に近い岩室温泉に泊まります宿の風景3題池に浮かべた盥、「佐渡のたらい舟」を模しているのかな? ー 3日目に続く ー