じょせいがみりょくてき。
黒田硫黄作品の女性を評して、どの女性もなんというか、自分たちが死なないことを知っているかのようにみえる知っている、ではなくて、知っているかのようにみえる。ってゆーさんがゆーさん。なんだ。かんけいないけどむかし、むかしこどもじぶんというかせいしんがこどもじぶん(ちょっとまえまで)あどべんちゃー活劇とかのおーぷにんぐのはげしいあくしょんいきなりくらいまっくすか?みたいなんで、わたし、うわっつ!!しなないでっつしぬなっっつううってひっしでてにあせにぎっていた。のだがしかし、すべてにおいてしゅじんこうはそこではしなない、ものがたりははじまったばかりだし、ということ、なにかのおりにしってしまい、しゅんかん、せかいがゆらいだ。ためらいだ。(断定ではなく、ためらいだありさま、ためらぐさま)それから、まったく、のれなくなった。っていうのははんぶんうそで、やっぱりてにあせにぎってしまう。