空のオルガン

2012/12/01(土)00:25

言葉と心の単純化

言葉(62)

 このところ、言葉に大して思う事がいくつかあります。  「きもい」「うざい」「むずい」なんて言葉がありますが、もともとは「気持ち悪い」「うざったい」「難しい」ですね。これらが省略されてできたのでしょうが、ではなせ省略されたのか?限られた時間により多くの情報を伝えるため?  「潔い」「承る」「かまびすしい」「憤る」「慈しむ」「司る」「したためる」など、ちょっと字数の多い(概ね4文字以上の語幹)単語には、気持ちにぴったり寄り添うものがおるように思います。心のひだに合う言葉を選ぶのもたしなみのうちだったのではと考えますが、それが短い単語にとって代わられつつあるのは、私たちの心にひだがなくなって、単純化されてきているからなのかな~とも思います。心が単純化されたから言葉も略されるのか、略された言葉を使っているうちに心が単純化されたのか?  言葉を含め、日本って「いちいち」な文化ではありませんか?  単純なものをあえて複雑にしたり、一手間かけかけたりすることに価値を見いだしています。  その「いちいち」が、今はないがしろにされているように思えて、残念です。  ただの連絡事項は「書く」けれど、思いをこめた手紙は「したためる」のですよ、やっぱり。  ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆  う~のに「あ、行き損なったん?」と聞いたら、「何て?」と何度も聞き返されました。  「○○損なう」がわからなかったのだそうです。「できそこない」という言葉も「知らな~い」  「言いそびれる」の「そびれる」や  「探しあぐねる」の「あぐねる」も知らないでしょう。  偉そうに言って、私も普段使ってないので、いけませんね。残したい言葉は、積極的に下の世代に伝授しましょう。  ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆  もうひとつ。  「全然大丈夫」の「全然」は、かつては「全然~ない」という風に、否定語と組になって使われていたのに・・・という話をたびたび耳にします。  それに関連して、「めっちゃおいしい」の「めっちゃ」も同じではないか、と。  「めっちゃ」は「滅茶苦茶(めちゃくちゃ)」の「滅茶」のことです。  めちゃくちゃって、「滅茶苦茶にされた」とか、破壊のイメージがあるのですが、それが「おいしい」という言葉に繋がった経緯は何だろうと、気になります。  否定的な意味を持つ言葉が、肯定的に使われるという点では、「全然」も「めっちゃ」も一緒かと一瞬思いました。  が、「全然」が「全然(問題なく)大丈夫」の( )部分が略されたものであるのに大して、「めっちゃ」は、程度の絶対値を示すために使われているのではないでしょうか。つまり、「めっちゃおいしい」と「めっちゃまずい」のめっちゃ具合が同程度、ともに英語のvery」の意味で使われているのだと。「やばい」も同様です。    「すごい」も、かつては否定の意味に限定されていたのではと思いますが、また暇なときに調べてみます。「大変」もそうかな?  なんとなくですが、「すごく」と言うところは「とても」に置き換えると、きれいだと思います。  「その話にすごく興味があります」  「その話に大変興味があります」  「その話にとても興味があります」  印象が違うと思うのですが、いかがでしょう。  (個人の勝手な憶測なので、信憑性はありません。鵜呑みにしないでね)    

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