カテゴリ:TS小説
耳元で田原さんがささやく。
唇が産毛に触れるか触れないか、そんなギリギリの距離。 息がこそばゆい。 「本当は千鶴ちゃんも女の子としてすっごく魅力的なんだから」 なんだか、もう、蹂躙されている気分。 尊厳もへったくれもない。 「ね。好きなんだよね、こういう服」 好きだけど、私じゃあ……。 「大丈夫よ。千鶴ちゃんなら、大丈夫。それより、変なところがないかちゃんと確認しないと」 「は、はい」 にこやかな悪魔にそそのかされ、私は鏡を覗いてしまった。 「ぁっ」 ぞくぞくした。 背中が震えて、鳥肌が立った。 ひなたなんかには、似合ってないって言われるかもしれない。 それでも嬉しかった。 今までずっと我慢してきた欲望が解放される瞬間。 たまらなく甘美だった。 きっと蛇が勧めるリンゴも、こんな味がするんだろう。 「素直になったら、そんな服も着放題よ?」 「で、でも……」 「私の家に置いてあげても良いのよ」 田原さんはたしかに一人暮らしだし、部屋も余っているみたいだった。 ものすごく心惹かれる提案だ。 少しだけお金を払って、服を置かせてもらう。 そうしたら、人の目を気にしなくても好きなだけ楽しめる。 考えただけで、冷静な私が食べられてしまいそうになる。 だけど、こんなかわいい格好ができるなら……。 「ねぇ、もっともっと色んな服着たいよね、千鶴ちゃん?」 「わ、私は」 落ちかけたとき、甲高い電子音が響いた。 いつもの私が戻ってきた。 この音は、私のケータイだ。 慌ててカバンから取り出す。 着信は本間からだった。 『おい、今どこだ? 店の中にいないみたいだから、車まで戻ったんだけど』 ちょっと、ちょっと待って。 なぜか本間の声も切羽詰ってるけど、私もそれどころじゃない。 こんな格好見られるわけにはいかない。 本間はともかく、ひなたにだけは絶対ダメ。 そんな逡巡をしていたら、田原さんに電話を奪われてしまった。 「もしもし、勝ちゃん、私」 『あれ? なんで……』 「あ、待ってくださいっ!」 田原さんは私が伸ばした手をかいくぐって、いたずらっ子のように笑った。 そのまま、試着室から出て行ってしまう。 どうしよう。 出るに出られない。 着替えるにしても、すぐにすぐなんて無理。 「千鶴ちゃん」 眉間にしわを寄せた田原さんが、カーテンから顔を出した。 2人を呼び寄せる気かと思ったのに、誰も居ない様だ。 「え、っと。何でしょうか」 困惑だけが広がる。 「あのね……ひなたくんが」 「え?」 「うん、すぐに行ってあげて」 田原さんの顔からは、さきほどの笑顔も優しさも消えていた。 何か嫌なことがあったんだと、すぐに察せられた。 急いで靴を履いてお店を飛び出す。 服なんてどうでもいい。 笑われたって、この際気にしない。 買ったもののことなんて、それ以上に考えていられなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.02.19 15:18:24
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