懐かしの家族HP

2021/12/13(月)07:05

オールミニチュアを貫いた円谷特撮。

特撮全般(5)

私が特撮趣味から離れられないのは、東宝特撮ひいては円谷特撮が、言わばこれ全篇ミニチュアを配して構成されているからである。これほどミニチュア・ワークに徹底した特撮映画は世界に類を見ない。洋画特撮にそれほど夢中にならないのは、黎明期から既に「合成」を多用して、怪獣と人間が常にかかわるシーンだらけだからだ。 円谷特撮も合成シーンを取り入れてはいるが、いかにも合成だよと言わぬばかりにハッキリしているし、ハメ込んだ合成部分の輪郭が青白くチラついて、すぐにバレる程度である。 ところが画面効果としては印象に残るアングルで作り上げているから、技術の拙さを承知で、何とも言えぬ親近感を以て見るのだ。ここまで円谷特撮に深く興味を抱き続けなければ、賞賛と論難をしてまで、なお円谷特撮ファンであり続けることは無理である。 私は「空の大怪獣ラドン」の失敗シーンを勝ち誇ったように書いたが、「好きなのか嫌いなのかどっちだ!?」と問われたら、「もちろん大好きだ」と答える。 そのわけは、既に冒頭に書いたように、円谷英二氏が、達観したとも思われるほど、全編特撮シーンをオール・ミニチュアで描いているからだ。こんな特撮映画は海外のものには絶無である。円谷特撮はぼろ隠しをせずに、明るい画面で堂々とミニチュア特撮を見せてくれた。円谷氏本人の心中までを察せられるほど、研究したわけではないが、画面を暗くしてごまかすシーンはない。どの映画を見ても、特撮シーンはよく出来たミニチュアを操って、ミニチュアファンを堪能させる。 業界用語で「ピーカン」というのがある。残念ながらこの語の正しい定義がわからぬが、円谷英二研究の優れた一書と認める「円谷英二の映像世界」(実業之日本社)で、最も冷静かつ中庸な筆で円谷英二を評していると思われる増淵健氏の一文によると、円谷監督がこだわったピーカン主義とは、「空を雲一つなく晴れた背景にする主義」と取って、当たらずとも遠からずと思う。私たちが親しんだ円谷特撮のミニチュアシーンのバックは常に明るい空だった。もちろんその空には雲も描かれているが、全体に青々とした明るい背景であった。 どんなに暗い時間設定の特撮シーンでも、必要以上に暗くしないから、私たちは曇天の洪水シーンでも、各ミニチュアをハッキリ見てとれる明るい特撮シーンを楽しむことが出来た。 増淵氏は「モノクロ時代のカメラマンの感覚であり、ホリゾント(註: 背景画)までをピーカンにするものだから、水柱といっしょに水玉が飛ぶのが見えたりする」と書いている。 更に付け加えている。「『比率』の天才がリアリズムの追求の果てにたどりついた結論が、自然は模倣出来ないという諦観(ていかん)なのである。彼は一種の運命論者だった」。 このような円谷氏の特撮人生をある程度知らないで、ミニチュアの限界を見破って論難するのは容易なことだが、必要以上にあら捜しをするのは、正しいようで間違っている。私は「ラドン」・「宇宙大戦争」の失敗シーンを挙げたが、それでいて全編これオールミニチュア特撮に徹底した円谷演出を知っているから、全特撮シーンをほぼ完全なものに仕上げるのは無理だということも知っている。円谷監督に、一年、二年の充分な時間が与えられたなら、あるいは窓ガラスピラピラのシーンを撮り直したかも知れぬが、いずれの作品にも制作上の制約が、費用・時間共についてまわった。 だから、一応書くには書くが、全体に円谷特撮を称える姿勢なのである。 なお、増淵氏の言葉の中に比率の天才という表現があったが、これは、ひとことに語れない。ここではごく一部を取り上げる。昭和17年作品に円谷監督の名を高めた「ハワイ・マレー沖海戦」があった。だが協力を惜しまぬと言ったはずの海軍省が提供した写真は、参考にもならぬ貧しいものだった。やむを得ず円谷氏は、新聞写真を見て、水柱と軍艦の比率から、すべての寸法を割り出すことを始めた。次に軍艦上の人物の写真を見て、その身長から建築物の大きさを決めた。これを及ぼして、最後には真珠湾全体の地形まで割り出した。 そして、東宝真珠湾セットは専門家にも賞賛され、遂には陸軍測量部将校数人がセットを訪れた。来意は測量部の仕事はまずい、東宝へ行って真珠湾を作った技術を聞いて来いと、隊長在任していた三笠宮に言われたという。 比率の天才のほんの一エピソードである。 この苦労の一端を、比較にもならぬながら、全長80cmほどの三笠模型を自作する時に味わった。本誌「大一プロブック」廃刊の一つ前の第94号表紙用ジオラマ制作の時である。無論明治の戦艦三笠のプラモデルなぞ市販されていない。記念艦三笠売店で買ったパンフレット・東宝が出した出版物・関係書掲載の三笠ミニチュア写真などを見て、ボール紙から原型制作に入るしかなかった。 だが、この時の生みの苦しみが、今鉄人28号などをオール自作する楽しさをもたらした。 既製品プラモを作る趣味はほぼ完全に消え去った。 前にも書いたが、初め円谷氏は「特撮に再現不可能はない」と豪語したが、やがて「自然の模倣には限界がある」との悟りに至った。 洋画特撮は合成などによるぼろ隠しとCG処理の長足の発達により、爆発のかけらまで再現するに至った。 だがミニチュアによる艦隊進撃シーンは必ず作れない。 本物に見えてはつまらぬシーンを一つ挙げる。「空の大怪獣ラドン」で、西海橋が登場するシーンである。既にラドンは空の彼方から急降下中である。バスガイドが客たちに避難を促す。そこへラドンの巨体が飛来して水面に突っ込む。再び空に舞い上がったラドンが、旋回して西海橋に迫る。橋をかすめて飛ぶと、その衝撃波で橋はもろくも崩れ去る。ここを円谷監督得意のショットの積み重ねで、これでもかというほど見せて、チャチさがないどころか、本物の西海橋が崩れ落ちたかのように迫力がある。 なお、これは秘中の秘だが、この西海橋ミニチュア、制作スナップで、市販されていないものをひそかに見せてもらったことがあるが、真ん中をピアノ線で吊っている。 撮影時にははずしたのかどうかわからないが、巨大で重いミニチュアだったのだろう。 東宝特撮ファンでご存知ないかたのために、このことを最後に書いておく。

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