懐かしの家族HP

2009/07/28(火)15:05

『恐竜境に果てぬ』登場の田所のモデル

SF物語(番外編)(42)

2006.12.22 画像イラスト化計画 [ 雑記 ] 「ハンサムな天才科学者『田所修一』の原型再録」 原則として画像一枚完成を以ってジオラマ完了という形式で続けて来た拙い特撮作品は『三大怪獣富士の大決戦』が最後である。ただし、この画像にはデジタル加工処理が施されている。いつもお世話になっているかたの、高度な技術のおかげである。 この画像に一見の価値ありとするならば、それは私の拙い元の撮影画像ゆえでなく、このかたの加工処理の素晴らしさのおかげである。 私の年齢と境遇、健康状態などをごく大ざっぱに考えてみると、目下更新中のこれまた拙い画像つきSF物語「恐竜境に果てぬ」を完結させられたと仮定しても、恐らくこれが大好きな特撮造型趣味の最後の作品になると予想される。 さもなくば、ダジャレのようだが、タイトルのように、物語未完成のうちに、私は命果てて、死後の楽天ブログがしばらくのうちは残ることにもなりそうだ。 さて、私がこれまでの一画像一作品という形式を突如やめて、なぜ拙い物語創作に気持ちを向け始めたのか、あれこれ考えた。 結局自分でも納得する答えは出なかったが、きっかけの一つとなったことはわかった。 天才にして友人である男の創出である。 今や、気の置けぬ友達一人出来ずに悩む人は全国に少なからずいる時代となったらしいが、あるいは私はそのはしりである。 昭和30年代を少年時代として過ごした者のほとんどは、一人や二人、そして複数の親しい旧友を持つものではないかと私は思う。 ところが私は、学校時代から今に至るまで、気軽に行き来出来る友人の一人も持つことが出来ずにこの年になった。 情けないことであるが事実に相違ない。この気持ちが常に燠(おき)のように胸中、脳中にくすぶり続けていて、やがて次第に形を取りつつあったのかも知れない。 現に、私は三大怪獣ジオラマの次のジオラマを幾つか計画しても、どうも今ひとつ気乗りがしなかった。 俵藤太のムカデ退治・月光仮面六分の一スケールのジオラマなどを考えたが、完成予想図一つ描かずに時だけが過ぎた。 そのうち一人の人物像が浮かんだ。正直なところを書くと、私は東宝映画『日本沈没』の正確なラスト・シーンを覚えていない。あれだけ粉骨砕身、日本国民のために働く結果となった天才科学者・田所博士は、渡老人と共に日本に残り、巨大な日本列島という母艦と運命を共にしたと、勝手に記憶している。 少なくとも、詳細に描かれた小松左京氏の長編小説では、田所博士は日本列島に残り、迫り来る天災地変の中で、渡老人に、自らの本心を切々と語っている。 「私は日本列島を女に例えるなら、ほれていたのです。心中(しんじゅう)にほかの国民を道連れにする道理はありません」という意味の告白までしている。 田所博士の享年はわからないが、小説中の年齢でまもなく亡くなったとすると、65歳である。しかも彼は生涯独身だった。 ここに私はおこがましきながら自分を重ね、人もあろうにSF界の巨人・小松左京氏が、力作中に、劇的な科学者像に描き上げた田所博士をスケールダウンさせ、彼に一子を与えて、その一徹な科学者魂のひとかけらだけを受け継いだ若き天才物理学者として、拙いブログ小説でデビューさせた。 ここに鈍才・村松と恐竜世界冒険旅行に臨む田所修一が誕生した。 これ以下、過去のブログを再録修正して、田所修一のモデルとなった一発明家を改めてクローズ・アップしておく。 私の知人に、隠れた発明家がいる。断わっておくが友人ではない。 ・・・・・ 彼は、ある日私に「写真に特殊な操作をすると、その写真を撮影した時のあらゆる音を、その写真の写っている範囲からは、再現出来る」と言ったので、私は怪しんだ。 とにかくこの人物は、申請すればとほうもない数の特許を取れるのだが、過去に、勤めていた会社の自分の手柄を抹消されて以来、世捨て人の環境に身を置いて、相変わらず、驚異的な開発作業に余念がないが、人嫌いは一級品で、私でさえ、迷惑がることがある。 その理由を「画期的研究を、私が盗むとも警戒しているのか」と問うたら、「そんなことをしたら、この浅い交流も終わるわけだから、君は二度と俺の家の敷居をまたげまい」と、軽く返されて、イヤミがなかったので、私はむしろ、感服した。 さて、話を戻す。ただし、彼の言う理論は、液晶テレビを「オモチャ」と一笑に付すほどの高いレベルの科学に裏付けられたものだから、聞いてもほとんど意味がわからない。 「写真」から音声を取り出す作業はさほど困難ではないと彼は言う。 以下、さっぱりわからないものの、聞いて覚えている通りのことを書いてみる。なお、この原理は、私が理解した範囲での記述ならば、たとえ一流電気メーカーにも理解不能だから、かまわないとも、やや皮肉気味に言われた。 「音声再生写真装置」の理論は、彼曰く、以下の如し。 ★SL、つまり蒸気機関車の接近を撮影したとする。周知の通り、通常は汽車の姿が焼きこまれているだけだ。 だが、音は音波、波動であるから、その時の空気を振動させて、カメラは空気の振動をも捕えている。つまり、無音の風景を撮影すれば、音源はないも同然だから、撮影した風景の中には、目だった音波はない。ゆえに、空気の振動がないに等しい。 SLがポーッと汽笛を鳴らすと、その音波が振動させた空気をカメラは撮影しているはずである。言わば空気の振動が、撮影画像に目に見えない痕跡を残しているから、音の強弱が光の強弱となって、写真の紙に記録されている。 この中から、特殊な再現装置を使って、光の強弱を音の強弱に変換すれば、あとはボリューム調整次第で、SLの汽笛を臨場感たっぷりに聞ける。★ 私は何でもいいから、音を聞きたいと思う写真を提供してくれと言われて、それでも半信半疑どころか、SFの域を出ない話で、私をからかっているのではないかと思った。 だが興味が疑念に優った。 私はバイクで走っているところを撮影してもらった過去の写真を持っていって見せた。 彼は早速、装置にかけた。すると驚くべし、聞き覚えのあるバイクの排気音が聞こえて来たではないか。 これはほんの一例である。 さて、そこで私は、全くの思いつきで、「ぴんぼけ写真」から、鮮明画像を復活させるのは、これは無理だろうと問うと、そんなのは、朝飯前だと言うので、早速、楽天日記サイトから盗んだ一枚の人物写真を見せた。 「なんだ、携帯電話の写真機か。なおのこと楽勝だ」と笑った。 「ちょっと画像を拡大したみた」と彼が言うので、冗談か真面目かわからぬから、私は黙っていた。 「ナニ、俺も年で、老眼が進んでな、ちょっと拡大したほうが、やりやすいと思っただけさ」 半ばふざけているようにも聞こえたが、彼は真剣な目になっていた。 彼は、にわかに顔を輝かせて、画像再現作業の説明をした。 ★ひとたび写真を撮ると、たとえぴんぼけでも、そこには、元の被写体が存在する。それはたとえばデジタル画像であれば、これは被写体各点を数置式に捕えて、それらを目に見える元の形に変換した結果だから、これらは情報表示にしてみると、乱数表の数字の如く、乱雑に並んだおびただしい数字(実際は各種文字)の羅列に過ぎなくなる。★ 私は、「『ぴんぼけ』画像をどう復元するのか」と問うた。 彼曰く。 人間に限らず、写った物体の姿には、ある共通点が確定している。 たとえばと、今回再現作業を頼んだ人物画像を見せながら、彼はまたよどみなく、ほとんどわけのわからない理論を語り始めた。 ★現にここには一人の人物が写っている。人間の顔だちは、千差万別に見えて実は大差はない。まず、気になると思われる目鼻立ちの箇所をマークする。 このマークしたところは、コンピュータ操作で、先ほどのデジタルの羅列で現われる。 ぴんぼけ画像というのは、このデジタル羅列で見ると、鮮明画像に現われるデジタル羅列とは違ったデジタル構造で浮かび上がる。 そこを、鮮明画像デジタル表示の、共通項目だけに絞って、数置羅列の補足作業を行なっていくと、ぼやけていたところの目鼻が、くっきり見えて来る。★ 私は共通項目以外の箇所は、復元不可能ではないかと聞いたが、あざ笑うように返された。 曰く。 ★ぴんぼけ画像のたとえば目の部分のデジタル表示を、勝手に変えると、ほら、このように元のぴんぼけ画像の目とは違う形にズレて来るから、ここはやや根気が要るが、元のぴんぼけ画像の目の形を保つように、ある種のモーフィング処理を行なうと、ほら、・・・★ モーフィングとは何かわからないが、これにこだわると更に面倒になるから、彼の作業を見守った。 私は思わず声を上げた ! 彼の根気良く取り組む作業が進むにつれて、絶対に本人の顔はわからないに違いないと断じていた、そのたとえば今話題にしている『目』が、まるで今ここで撮影した鮮明画像のように、出現したのだ ! 「ほお・・。この人物は顔に何か肌荒れクリームのようなものをぬっているな」 私はそんなこともわかるのかと驚嘆の声を上げたが彼は更に。 「今復元した目のデジタル表示を見ると、この人物は何と言ったか・・」 私は言葉をついで、この浮世離れした男の説明を少し助けた。 「マスカラという化粧道具ではないかな・・」 「ああ、そう称するのか。うん。確かに目の周りにその類いの化粧を施しては消すことの繰り返しをした痕跡が出ている」。まことに驚きの連続だった。だが私は彼に、特許申請を勧めることだけは禁物とつとに心得ていたので、しきりと感心してみせるにとどめた。 こうして、目、鼻、唇と、次々にデジタル画像が、鮮明なものに生まれ変わって、次々に眼前に現われた。 なお、話が前後したが、人物画像をさえぎっている文字やケーキのイラストは、写真とは全く別に加工処理されたものに過ぎないからと言って、彼は、これらも次々に画像前面から消去していった。 今、私の手許にあるのは、それまで全くルックスの見当もつかなかった人物の鮮明極まる画像写真である。 「だがな」と言って、彼は元のぴんぼけ画像を取り出して、何とトリミングをして、それからゆっくり言った。 「どうだ。初歩的な作業だが、ケーキの類いを取り除いただけでも、この人物の姿が、わずかながらでも強調されるものだ。まあ、これこそはやや戯れ、稚拙なテクニックに過ぎないがな」 ただ隠遁生活に限りなく似た生活をしている彼にしては珍しく、私に釘をさす面持ちで追加した。 「まさか、その画像、日記に公表しないだろうな。それだけは礼儀と心得るべきだぞ」と。 ま、人は見かけによらぬものだと感心もした次第だ。 私は、イラストにして、やや劇画タッチに変えて、アップすると告げたら、彼は「脚色の好きな君らしい。ぜひそうするといい。なかなか整った顔立ちだから、思い切って、劇画にするのも一興だ。ただし、間違ってもハイパー・リアリズムを狙うなよ。君にそんな才能のカケラもないのだからな」と、また偉そうなことを言ったことも、付け加えておく。 イラスト完成にはやや時間がかかるが、いずれ掲載する。 私の欠点は、一度興味を持った対象に、しつこくして、最後は嫌われることだが、劇画調イラストで仕上げて、そののちいつもの通り義絶となるなら、是非もないことだと、不承する覚悟は出来た。 編集後記 / 写真をイラスト化するなどということは、私如きにはとうてい不可能だとわかりました。常に魅力に富むデジタル・イラストを更新して、大勢のファンを獲得している人の見事なブログが存在します。 この人が『お世話になっているかた』であるのは言うまでもありません。 また「音声再生写真装置」のヒントは、藤子・F・不二雄氏のSF漫画『同録スチール』(初出誌・「ビッグコミック」1981年12月10日号)です。 最終更新日 2006.12.22 04:57:05

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