2016/03/28(月)11:13
一難去れども・・・・・
「一難去れども・・・」
伴侶・夕子がいかり心頭に発して、私の就寝中に迫力この上ないブログを書いたあと、トップページは、今最も信頼おける近所の家電店様の紹介欄が、タイトル近くに現われて、ホッとしています。
ここまでアクセス・ランキングで記録を作ったからには、しばらくは旧に戻って、マイ・ペースで更新しようと思います。
夕子のブログが私のブログ記録を超えた。これは実はうれしいのだ。
私は信頼おける人以外、Face Bookを『カス』のようなものとみなして、今後もきわめて少ない交流相手にさえ、余り気づかいしないことにします。
私の本分は楽天ブログでの文章勝負です。
今まで二件、厚意で紹介欄を更新しましたが、これにも嫌気がさしました。
山本夏彦氏曰く、「由来、婦人はおこりんぼ」です。
私にとって最も大事なのは友人・知己にあらず、家族です。その最後に懸命に生き続けた母が他界し、もはや所詮、他人は他人と心得ております。
家電店のご主人はおっしゃっています。
「たとえただ一人でもいい、現に一人だけ申請承認して、悠々としている人もいる」と。
誕生日の祝意をコメントにしたためても、簡単な「いいね」さえ押さない人もいます。だいたい、その人に対して、愛でる気持ちはないのが私の本音です。
「門松は 冥途の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という一休禅師の狂歌を連想します。
私にとって誕生日はそのぶん死期が迫ることを意味します。
ここでくだらない予言を書いておきます。来たる大型連休中に、交通事故死者は必ず出ます。その日の朝、出発前に、家族ともども「きょうは事故死するかも知れない」と予感して出かける人はいないでしょう。でも、観光地に向かうまたは帰る途中で、必ず事故死はあります。
人にはれんびんの情というものがあるので、「気の毒に」と少しは思いますが、その晩は、家族と共に、時に談笑して、夕飯を食べることでしょう。夜になれば、高枕で熟睡すること、常のようです。
遺族だけ悲しめば良いのです。
今は亡き谷沢永一(たにざわ・えいいち)氏の著書の中に、次の文章があります。
「人間の道の根幹は、近きを限りなく重んじ愛して、その心情をおもむろに遠くへと及ぼしてゆく心構えである。近きを優先するのが人の道である。父も母も赤の他人も均(ひと)し並みに視る者は人間として異常であり、人の道を踏みはずした埒外者(ふらちもの)である。ゆえに自分が生まれ育った国を重んじる愛国心は人情の自然である。
人間にとっての「直(なお)きこと」である。祖国を他国と同じに見なす者は、人の道にはずれた出来損ないである。」
終わります。