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カテゴリ

2018.04.23
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カテゴリ:怪談
「我が恋せし心霊少女写真」

かつて「我が恋せし心霊少女写真」と題して更新したブログだが、当時前宣伝にいかにも期待するかに見せた交流相手の誰からも、コメントを受けられなかった遺恨のブログとも言える。ただし今やヘタなコメントは要らぬ。

再録に相違ないが、「よく読まれているブログ」欄にたまに載る割には、当時の画像が消去されているので、最新版として掲載する。本文も加筆・訂正した。一級の心霊写真だ。


2004.03.26


我が恋せし「心霊少女写真」。
カテゴリ:カテゴリー未分類




実に二十年余りの時を経て、「続・恐怖の心霊写真集」にめぐり合えた(2004年当時)。初版発行は私がまだ大学の時の昭和50年。驚いたことに、昭和55年に第19版を重ねている。つまり大変なベストセラーでありロングセラーに輝いた一冊だったことになる。恐らく私は初版発行と共に購入したと思われる。著者は当時心霊研究の第一人者とうたわれた故・中岡俊哉(なかおか・としや)氏である。

早速不思議なことを少し書くが、この「続・恐怖の心霊写真集」は、古本で入手したいと思ってネットで検索した時には、どこにもみつからず、在庫はないと一旦はあきらめかかった。
そして、第一弾の「恐怖の心霊写真集」の復刻文庫版はあっさり手に入ったものの、既に書いた通り、めざす心霊写真は掲載されていなかったので、ずいぶんがっかりした。

ところが、それから日ならずして、再び期待せずに全く同じ方法で検索したとたん、いきなり続編の古本が見つかったのだ。このわずかな期間の間にネット販売の市場がまるで私に視線を向けてくれたとしか思えぬ不思議な偶然であった。
それでも、届いた続編の包みを開ける間も、ひょっとしたらこれにも掲載されていないおそれもあるとの不安を抱いていた。予想はハズれて、うれしい結果が眼前に飛び込んで来た。

このころ、そうばんたびは使用せぬ二階の私の寝室の隣の便所の開き戸が、油切れのせいか、この時から妙な音を立てるようになった。開ける時は全く無音なのだが、戸を閉める時だけ、ちょうど女がすすり泣くような、うめき声を絞り出すような、やや薄気味悪い音を必ず立てる。
「ううーっ・・・」という音だが、これは母にも聞かせて確認したから、単なるこじつけでなく、「音」というより、女の声に近く聞こえる。

気持ちのいいものではないから、閉める時、すばやくサッと戸を動かすようにしている。たまにわざと恐怖を味わうためにゆっくり閉めると、「ううーっ・・・」と女が恨めしそうにうめく声そのものの音声を発するが、何度試してもぞっとする音である。
既に正体が知れたからやや慣れたが、初めてこれを聞いた時は、ゾクッと背筋が寒くなり、思わず後ろを振り返った。

さて、心霊写真と言われるものは、視覚的インパクトがあるものとさほどないものとに分かれる。戦慄の画像を必ず求めるのは考え違いである。むしろ余りにもはっきり霊体らしき形が見てとれるものほど、トリック写真のように思えて、怪しみたくなるものである。
私は子供の頃からこのジャンルにも大変興味があったから、怪談ファンとしては経験が長く豊富なほうであろう。

それだけに、この手のものを即座にうのみにはしない姿勢も知らずのうちに備わっている。多分心霊写真と称されるものを百枚や二百枚は見て来たはずだ。だから例え写真集の編著者が太鼓判を押しても、ほとんどを否定して見るようになった。無数の葉が覆う木立に、霊体が写っていると断定的に書かれるものなどは、例えそれらしき形が私自身の目に捕えられたとしても、あえて葉っぱや光線などが偶然作り出した「だまし絵」のようなものだと否定することにしている。

そうして徹底して懐疑の目で我流峻別してふるいにかけ、容赦なく斬り捨てて行くと、実は私が「この写真だけはどうしても不思議な何かが写っている」と思えるものは、五本の指で足りるまでに激減している。
私には光学知識や技術はないから、その方面の専門的な目で判断することは出来ない。いかなる写真も、巧みにトリックを施す技術を持った人の手にかかれば、必ず不思議な写真加工が可能であるというのならば、私は心霊写真に対する見かたを変えるか、この趣味を捨てるしかないかも知れぬ。

あるいはいかなる不思議な写真に対しても、旺盛な光学知識を以てトリックのタネを見破れる人が全否定可能というのであるなら、同じく私はこの手の写真への興味を消し去るしかない。
だが心霊写真という名の、一見したところ無気味に映る写真がはやった時期、トリックかどうかを特殊な機械で解析して一種の鑑定を行なって、真偽のほどを確かめる作業も同時に盛んに行なわれたのも事実である。結果、二重撮影でもなく、合成でもなく、光学的細工は一切施していない写真と判定されて、解析の厳しい目を首尾よく免れたものも少なからずあった。

そして、人を納得させる説明こそ不可能ではあるが、私の目には確かに尋常の風景以外の「何か」が、一緒になって写っているとしか見えぬと断定し、感動にも似た名状しがたい恐怖を覚えて、長年捨てられずにいた写真が以下のものである。
本書を紛失して長い間に、当初の記憶はあいまいになっていたことも同時にわかったが、以前書いた「我が恋せし心霊少女」と題する日記文章の通り、だいたいに於いて、記憶を頼りに書いた風景と、ここに掲載した風景とは著しくズレてはいないこともわかる。

前置きをやや長くしてしまったので、本書掲載の文章の要約をまじえて書いてみる。写真は大分県の当時中学二年の男子がごく自然に撮影したもので、見事に直線的な構図で線路と電柱の遠近感を捕えており、心霊写真としても上質のものである。
本書『続・恐怖の心霊写真集』は全六章で構成してあり、この写真は第二章「霊体はどこに ? 」のコーナーの一枚である。



つまり、ちょっと見ただけではどこに霊体らしきものが写っているか発見できないかも知れないほど、見る人に識別眼を要求する写真である。
なお、これは中津から出ている耶馬溪線(やばけいせん)を写したもので、場所は九州、大分県の中津駅から八幡前の間の沖台平野を、線路上から中津駅の方向に向かって写している。


私の眼には枯れかけたススキの束と映り、しかもその束がごく自然にレディの姿をなしていると見えた。ゆえに「霊体はどこに ? 」どころの話ではない。私には本書中、最もゾッとした写真だった。線路をはさんで両側にびっしり丈高い草が生い茂っている中に、植物群とはとても見えないもの、いや、人の、レディの姿がどうしても目に飛び込む。
実は本書掲載の最初の写真がやや小さめなので、ここに掲載するにあたって、拡大したから、一枚目の全景写真だけで、私が表現した「心霊少女」を見つけられた人もいるかも知れないが、念のため、拡大して囲みをつけた本書中の部分写真も掲載した。これは著者の配慮によるものであろう。ロングヘアーとおぼしき、スタイルの良さそうな少女の輪郭がよくわかる構図となっている。



その目で改めて全景写真に目を移すと、私が初め「ブレている」と無思慮に見た少女の立ち姿は、むしろ鮮明に写っているのも確認出来よう。これも私の記憶の誤りである。
拡大写真ページに著者はこう書いている。
「おそらくこの霊体は、この鉄道ではねられて死んだか、もしくは自殺したかだと思う。この少女の霊体をじっと見ていると、なんともいえない不気味なものを感じる」。

もう一度書くが、全景写真の少女は一番手前の電柱のすぐ右にかなりはっきり写っている。そして、周囲の風景に溶け込んでほとんど違和感を持たせないから、例えば中二のこの少年が「線路を撮影したら、偶然散歩していた少女が写ったよ」とさりげなく友人にでも見せながら話しても、何ら疑われぬと思えるほど、これは単なる風景と人物を収めた写真にさえ見える。





と、私はわざと書いた。なぜならば、やはりここに写った少女らしき立ち姿は、線路や電柱やその他の周囲の風景に溶け込んでいながらも、確認して見つめれば見つめるほど、生きた人間の姿にはどうしても見えないからである。ましてや散歩姿になどとうてい見えない。少女らしき姿の何物かを彼女とあえて呼んでみるならば、彼女には生きている感じがない。生命感・生活感のない女性の姿にしか見えないのである。

そのうち私はこれとなるべく似た風景を地元のどこかに求めて、生きた生身の誰かを撮影するつもりである。よく似た女性を被写体に出来るかどうかはわからないが、その画像を掲載すれば、丈高い草の中にたたずむ生きた人と、この世のものでない何かとの決定的な雰囲気の違いが比較出来るはずだと思う。
ご覧になったかた、いかがお感じになったことだろう。
そろそろこの文を書き終わろうとしている今も、私は背筋がゾクゾクして仕方ないのだが・・・。


合成加工写真を試みたが、これ以上細工しても、心霊写真には及ばないとわかり、ここまででとどめたもの。





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最終更新日  2021.11.02 13:12:31
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