祝祭男の恋人

2005/03/25(金)01:24

花開く夜 祖父/酒/旅

世界の記憶(4)

今から六年程前、祖父とフランスを巡る旅をした。  宿をとったホテルで毎晩酒を酌み交わした。  日本から持ってきた塩昆布と煮干しをつまみながら、  あてどもないお喋りをした。  この数年で祖父はめっきり歳を取り、  歩くのもひどくゆっくりになったし、  涙もろくなった。  あの時何を話したのかはもう覚えていない。  夜が来るのを待ち侘びていたように、  いそいそとグラスを準備し、煮干しを拡げ、  部屋の明かりを一つだけ灯して、  唇を湿らせる。  新しい感動もなく、いかにも物憂い手つきで  夜をゆっくりと捲っていく。  そのうちぱっと火が灯るように  歓喜に満ちてきて、  過去の水脈を探り当てる。  私は二十歳になったばかりだったし、  祖父はまだ八十になっていなかった。  祖父は絵を描いていて、  私は詩を書いていた。  私は傷ついたばかりの傷の話をして、  祖父は遠い昔の古い傷の話をした。  あとはもう眠るだけだったし、  朝が来れば、街路を歩き回り、  一休みするカフェでビールを飲んだ。  歳の離れた兄弟みたいだと感じた。  そしてやがて夜がまたやって来て、  我々は示し合わせたように、  寡黙に酒を注ぎ合った。  そして花開くように、記憶が明滅して、  昨夜の一言半句が、錯綜した。  陽の歩いていった道をどかせば、  酒ばかり飲んでいた。    あんな楽しい酒宴を私は知らない。          

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