あしたば白書

2009/11/26(木)05:30

聖書から人生を学ぼう?・

 ようこそ!!..ご ゆっくりと、心ゆくまで楽しんでいってください。※ペット達をクリックで新たな発見・・??。 ?私の正体♪フリマ?!  愛・恋・友! ▼・・・あしたばの選択・・・?。・・▼ (・抄録・編集・自説の嘘半分本当半分のメモ学問です↓↓) ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼  ♪♪ ○ 明日のことが心配で夜も眠れないというようなことは多くの人が経験することではないかと思います。しかし、いくら寝ずに心配したところでどうにもならないことも事実であります。どうにもならないのに心配せずにいることができない。これは、私たち人間だれもが持っている弱さであり、また、神を信じることができなくなった人間の罪の結果でもあります。しかし、主イエス・キリストは「あすの心配は無用です。」と力強く言われたのであります。その理由は、愛と全能に満ちておられる神があなたがたのことを心配してくださるからであります。神を信じると言うことは実にこのように神の愛のご配慮の中に入れられることなのです。  イエス・キリストを自らの救い主と信じる人は神の子どもとなり、父なる神は神の子どもとされた私たち(クリスチャン)のことを慈しみ深い父親として心配してくださるのであります。神の子どものなすべきことは、日常生活の諸々のことを心配して日を過ごすことではなく、御父なる神を全幅の信頼を持って信じ、安心して神の御心にすべてをゆだねて生きることであります。そのとき、一日一日の労苦は決して重荷とはならず、かえって主にあって喜びと感謝へと変えられるのであります。神を信じる者の人生には平安と満足と喜びと永続する希望があります。神を信じる人生はこのような日を過ごす者となることなのです。  人間は絶えず、「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか」と言って明日のことを心配して生きている存在であります。「衣・食・住」のことを心配するのは人間の常のことであります。そのように心配しながら日々を送るのが弱い私たち人間の姿なのです。心配したからと言って何一つ解決するわけでもないのに、どうしても心配しないで生きて行くことが出来ないのです。ここに、人間の神に対する不信仰があります。しかし、「あすの心配は無用!」と言って日々を安心して生きるためには、一つの条件があります。それは何かと言いますと、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」ということなのです。    「神の国とその義とをまず第一に求める」とは、どういうことでしょうか。それは、できるだけ分かりやすく言いますと、今までの神に背を向けた罪の生活を悔い改めて、イエス・キリストを通して神に立ち帰えり、神との交わりを回復することなのです。幼子は母親の腕に抱かれて安心しきって眠っていますね・・・。それと同様に、私たちは、神の愛の懐(ふところ)に立ち帰るならば、神にすべてをゆだねて日々安心して生活することができるのです。人間が神に立ち帰ることができるために、神はご自身の御子をこの世に救い主として遣わされ、罪人である私たちの身代わりとなって、十字架で死んでよみがえってくださったのです。  「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」と、主イエス様は教えて下さいました。あなたを日々生かしておられる神を第一にして、その神に立ち帰るときに、神は、それに加えてこれらのもの、すなわち「衣・食・住」などの生活必需品などをすべてお与えになられるということであります。これが神が定めた優先順位なのです。しかし、多くの人々はその優先順位を逆にして、「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか」を第一に考えて生きているので心配と不安でいっぱいになるのです。これは本末転倒であります。あなたもどうか、神様の愛の勧めを受け入れて心からの平安な生活を得る方となって下さい。    ・・・・・hope to see you again・・・・・ !フリーター再生委員会?・・ ● 「すべての事をあなたがやろうとすれば、小さな事しかできない・・・。」 ☆「お問い合わせ」→・  

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