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テーマ:山登りは楽しい(12247)
カテゴリ:山
星空を撮って布団に戻ってきて、うつらうつらとしたまま、朝食の時間を待った。5:00から朝食とのことだったが、宿泊客が多すぎるため4:30には明かりがつけられ、また交代での食事が始まった。
昨晩の夕食とは逆の順番で食べていくことになった。すなわち、最後である。ご来光を期待できるような空模様ではないので、ゆっくりと準備をする。5:20ごろには食事にありつけた。夕食とほとんど同じもので、おでんがなくなったかわりに味噌汁がついただけだった。ふりかけや海苔や昆布をおかずに白米をかきこんでおく。 人が多いので、さっさと宿を出ることにした。団体客といっしょになると何かと大変なので、5:50には山頂を後にした。TさんやKさんにお別れを言えなかったのがすこし心残りだったが、気にしないようにする。山頂は深い乳白色のガスに包まれていて、眺望は一切ない。 蛭ヶ岳からまずは臼ヶ岳を目指して歩くのだが、山頂からすこし歩くと、いきなりクサリ場を激しく下ることになった。朝歩き始めたばかりだと、これがけっこうキツい。慎重に下っていく。しばらく歩くとすぐに汗をかいてきたので、アウターシェルとオーバーパンツを脱いで、自転車用のジャージ姿と半ズボンにロングスパッツという、いつもの出で立ちになった。露で脛が濡れるため、登山靴の上にスパッツをつけた。身軽になってふたたび歩き始める。主脈を歩いているが、相変わらず、眺望は一切ない。残念だがこればっかりはどうしようもない。霧にぼんやりと見える赤や黄色を写真に撮りながら、きついアップダウンを繰り返していく。 途中でいっしょに泊まっていた60歳くらいの男性と、中学生くらいの女の子とその父親という二人組と出会う。だいたいこの三人と抜きつ抜かれつ歩くことになった。7:15に臼ケ岳到着。標識がなければ山頂だとは思えないようなところだった。小休止しているとTさんが追いついてきた。袖触れ合うも多生の縁、というけれど、僕らにいたっては同じ布団に寝た縁だ。しばらく二人で写真を撮りながら歩いた。 だんだんTさんも写真を撮るのに集中してきたので、別れることにする。同じ方向に向かって歩いているのだから、また、どこかで会うだろう。僕も自分のペースで撮り歩いた。時々歩いてきた道を振り返ると、気持ちのよい孤独感に包まれる。 金山谷乗越を越えて、桧洞への最後の登り、これもけっこう大変だった。ヒーコラ登っているうちに靄の中に青い建物が見えてきて、人の話し声がする。8:55に青ヶ岳山荘に到着。桧洞丸は、すぐ上にある。 山荘に入ると、二歳くらいの小さい女の子がいてちょっと驚いた。まだこんなところにこられるような年齢ではない。見ると、専用の背負子のようなものが置いてあった。両親があれを使って運ぶのであろう。小さい子は山荘の主人らしき人と連れ立って外に出て行った。中には両親とその仲間らしい男性が残り、これからの山行の話をしていた。 誰が山荘のスタッフか分らなかったので、いちおう中にいる中年男性にお願いしてビールを出してもらう。朝の九時からのビールを飲む幸福に浸っていると、その親子と男性一名のパーティは出立し、かわりにTさんが入ってきた。ガスられて、おたがいなかなかいい写真が撮れなかった等と話し合った。 桧洞丸を越えるてしばらくいくと、道は石棚山に行く道と、西丹沢自然教室に行く道に分かれるはずだったので、地図を見て確認しておく。Tさんも同じ道を行くようで、西丹沢自然教室から出ているバスの時刻表を見せてくれた。 ビールを飲み干して、缶をつぶしてザックのボトルホルダーに入れておく。ここは他の山荘と違って缶は持ち帰りで、ビールも100円高く600円である。尊仏や蛭ヶ岳に比べるとだいぶ小さいところだったが、壁には20代の頃らしき皇太子の写真があった・・・こんなところにも来てるのね。SPはさぞかし大変だっただろう。 ふたたび霧の中を歩き始め、桧洞丸山頂を目指す。と言ってる間もなく、9:20には頂上に着いた。ガイドブックの記憶に因れば、晴れていても眺望はないところらしい。小さい祠があり、他の登山客が10人ほどいた。写真を撮っていると、抜きつ抜かれつ歩いていた3人も登ってきた。 これでとりあえず、今回登るべきピークは全部登った。あとは無事に下るだけだ。でも僕は膝が弱くて、下りは大の苦手。ここからが一番気を遣う道だ。両膝のサポーターを締めなおして下り始める。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.05 15:37:04
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