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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン& オペラとクラシックコンサート通いのblog

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 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(La Folle Juornee au Japon)2006に際して始めたblogです。加えて、日頃行ったコンサートの事とかも含めて書くことにしました。まぁ、ぼちぼちで....
 毎年、「ラ・.....2012 &....」のように年を入れていましたが、いい加減更新がめんどくさいので今年から年は書かないことにしました。まぁ、毎年タイトルが変わるのもアレだしね。

 掲示板が1月で閉鎖になるそうなので、止む無くコメントを開放することにしました。但し、要画像認証とし、直リンクも書き込み出来ないようにします。当然話題違いのコメント、エロックバックの類いは削除していきます。当面はこれで運用かな。

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 まぁ、あんまし真面目にやってないけど....

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2019年07月22日
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カテゴリ:オペラ
東京文化会館   7/14  14:00〜
  2階左手

  新国立劇場  7/21  14:00〜
  4階右手

  プッチーニ:トゥーランドット
  トゥーランドット: イレーネ・テオリン(14)/ジェニファー・ウィルソン(21)
  カラフ: テオドール・イリンカイ(14)/デヴィッド・ポメロイ
  リュー: 中村恵理(14)/砂川涼子(21)
  ティムール: リッカルド・ザネラット(14)/妻屋秀和(21)

  新国立劇場合唱団
  藤原歌劇団合唱部
  びわ湖ホール声楽アンサンブル
  TOKYO FM少年合唱団
  バルセロナ交響楽団
  指揮: 大野和士
  演出: アレックス・オリエ


 さて、ねぇ…

 来年のオリンピックに向けての文化的共同企画的なものだそうで、東京文化会館と新国立劇場で同じプロダクションを出すという企画。来年はニュルンベルクのマイスタージンガーで、今年はトゥーランドット、ということだそうです。まぁ、こっちにしてみれば名分は何でもいいんですが…
 で、キャストの違いもあるし、とはいえ、やっぱり私には東京文化会館の方がいいかなぁと。やっぱり、空間がね。大きい方がね、響きがね… でも、これ、狭い方がいいって人もいるんだろうな…

 取り敢えず演出。
 なんかいろいろ意見はあるようですが、最初東京文化会館で観た感想は「うん、それ知ってる」といったところ。で、新国立劇場。こちらではいつもの通りプログラムが出て、演出ノートがあるわけです。で、読みました。読んで再度観ての感想は、やっぱり、詰めの甘さを感じる、なんですよね。送り手として甘過ぎる。んじゃお前もっと凄いの作れんのか、と言われたら、確約は出来ない。でも、考えて詰めることは、多分もうちょっとやるよ。そういう意味で素人に見切られちゃいかんのよ。

 明日初めて観るって人は読まない方がいいですが、もういい加減ぶっちゃけて構わんでしょう。嫌ならここでやめる…っつってももう遅いか。まぁ、いいや。
 演出ノートによると、って、個人的には大抵の場合このコメントって要するに言い訳だよなって思うことが多いのだけれど、それは今回も同じで、ともあれこの演出ノートによると、演出陣としては、これは権力を巡る物語であって、トゥーランドットは独裁的権力を振るう者であり、それ故にカラフは惹かれたのだ、ということらしい。権力愛とでも言うんですかね。で、そもそも、その前に大前提として、トゥーランドットは先祖が陵辱されたという過去、というより歴史、でしょうかね、をトラウマとして抱えている、と。
 で、曰く、プッチーニは全てのオペラでヒロインの悲劇を論理的に書き上げているのだそうで、その論理性を突き詰めるべく、このコンセプトを基に突き詰めていった結果として、結末では(一応プロットとしては大きく改変されているのはここだけ)トゥーランドットはリューと同じように自害して果てる、というわけなんだそうです。
 因みに舞台はブレードランナー他のイメージから作り出した、知人曰く「ディストピア」なんだそうですが、まぁそれはいいんじゃないのと。ただ、この演出は、演出としては、弱いよなぁと。というか、昔懐かしホモキ演出に似たものを感じさせます。創作者としての無責任感。中途半端さ。

 率直に言ってしまうと、トゥーランドットというのは、オーセンティックな演出というのが成立しないオペラです。指環や魔笛に近いでしょう。同じプッチーニでも、蝶々夫人とは訳が違う。まして他のどれとも。いつの時代か分からない北京、ですよ。だって。だから、「こうでなければ」というのは、まぁ、無い。だから、問題は舞台設定そのものではありません。

 で。私は最初東京文化会館で観た時、つまり演出ノートを読まずに観た時点で、「これ知ってる。で、これは無責任じゃね?」と思ったんですね。つまり、トゥーランドットが自裁するのは、カラフに無理矢理キスされて、それを苦にしたか、或いは愛に目覚めた結果の罪の意識で、くらいのもんだろうと。そこを明確にしないのは、落とし前をつけてない、と見たんですね。
 で、なんで「これ知ってる」になるかというと、「リューが死んでカラフとトゥーランドットでハッピーエンドになるってのは御都合主義だよねー。」というのはわりと皆言っていることなんですよね。
 更に言うと、「要するにカラフが無理矢理従わせたんでしょ」という目線で、カラフを気持ち悪いと指摘してた女性を私は知ってます。30年前から、そう指摘する人は居た。私の年代なら、トゥーランドットの映像というと、レヴァインが指揮してドミンゴがカラフを歌ったメトの、ゼッフィレッリの超絶豪華演出で、それをレーザーディスク(!)で観て、そう言ってた人はいました。me too なんて待つまでもなく。

 でも、演出ノートを見ると、どうもそういうことじゃなくて、独裁的な権力を振るう者が、最後に権力の虚しさに気付き、自裁する…というように読めるんですけどね…

 でもね。それならさ。カラフも殺すべきなんじゃないの?権力を否定するなら。

 というか、権力ってものを舐めてますよ。
 トゥーランドットは独裁的な権力を振るう。それは確かにそうです。でも、そこに着眼するなら、何故「トゥーランドットではなく、別に皇帝が居る」ということに気付かないのか。多くの演出でそうであるように、この演出でも皇帝は敬われる存在として、つまりは最上位者として描かれる。無論、第三幕を見れば、姫の暴虐を止め得ない無力さも示唆されようが、ともあれ皇帝が居る。我々日本人はこの構図を歴史上で見ているので、違和感なく観るけれど。そして、第二幕では、民衆も姫に約束を守れと迫る訳です。そもそも、民衆がそんなにも弱い存在なら、処刑を見に集まって煽るものかねと。例えばゼッフィレッリの映像だと、その辺の民衆の「怖さ」「強かさ」もちゃんと描かれている。

 そういう意味では、読みが甘いと思う訳ですよ。
 いや、そういうストーリーに持ち込んでもいいですよ?
 でも、もしそうなら、じゃ、なんでトゥーランドットは死ぬの?ここは創作者としては、決して観客に委ねてはいけない。何故なら、物語を自分で勝手に作ってしまっているのだから。そこは、キチンと落とし前をつけないといけない。そこが私は気にいらない。ホモキもそうだったなぁと思い出す訳です。
 
 歌手は、14日のキャストの方が全然良かったと思います。
 オケは、14日より21日の方が安定してました。まぁ、そういうもんかなと。或いは箱の小ささが効いたのか。もしそうならダサいなぁというところだけど、ま、練れてきたんだ、ってことで、ね。






最終更新日  2019年07月22日 01時58分28秒
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