ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン& オペラとクラシックコンサート通いのblog

2023/10/24(火)00:41

10/7 新国立劇場「修道女アンジェリカ&子供と魔法」

オペラ(339)

新国立劇場 14:00〜  4階左手  プッチーニ:修道女アンジェリカ  アンジェリカ:キアーラ・イゾットン  公爵夫人:齋藤純子  修道院長:塩崎めぐみ  他  ラヴェル:子供と魔法  子供:クロエ・ブリオ  お母さん:齋藤純子  他  世田谷ジュニア合唱団  新国立劇場合唱団  東京フィルハーモニー交響楽団  指揮:沼尻竜典  演出:粟國淳  新国立劇場2023/4シーズンの開幕公演がこの演目です。とはいえ初日は10/1でこの日は3公演目で2度目の休日公演。なのですが......  まず、正直驚いたのが、この日の4階席。あからさまにC席アサインの3列目・4列目がガラガラ!いやしくも開幕の演目で土曜日ですよ?それが、C席が、センターブロックこそほぼ埋まったようだけれど、あからさまに売れ残っているというのはいったいどういうことなのか。この状態で3階より下が満席ということはまずないでしょう。それなりに入っているのは確かではあるようですが、しかし....  率直に言うと、演目としては、確かにちょっと吸引力は弱いのかも知れません。その辺の演目の問題はまた書きますけれども、  内容的にはどうであったか?決して悪くなかったとは思います。正直、思いの外、と言っていいくらい。  歌唱的には、もうちょっとやりようもあったのでは?という気もしなくはないです。特にラヴェルではもう少し練れていていいのでは、と思いつつ。プッチーニの方は、そうですね、ちょっとこなれ過ぎていたかなと。プッチーニってこうでしょ?的な感じも漂いつつ。じゃぁどうしろっていうんだよ!って怒られそうですが、実際そういう感じだったのですもの。  音楽全体としては、沼尻竜典が程よくまとめていたと思います。程よく?うん、程よく。......なんか褒めてない感じですよね......でも本当にそんな感じなんですもの。  ただ、この2作品というプログラムとしては、よくまとまったものだ、という感はあります。正直言って、この2作品というのは凄く収まりの悪い組み合わせだと思うのですよ。「修道女アンジェリカ」というのは実はかなり異形の作品だと思います。よく「女声しか出て来ない」ということで珍しいと言われるのですけれども、むしろ、かなり劇的な内容を1時間かそこらの1幕に押し込んでしまっているので、観る方は結構付いて行くのが大変なのだと思います。一方、「子供と魔法」は、これも1時間かそこらの作品ですが、完全にファンタジーの世界。しかも、そのファンタジーはかなり苦いのですよね。こちらは、まぁ、筋を知っていれば、いや、いなくてもかな?まぁ、話に付いて行くのはそこまで大変ではないけれど.....  とはいえ、どちらの話も、観終わって、「で?」となる気がしなくもないのですよ。修道女アンジェリカは、確かに劇的ではあるけれど、書いた通り置いてかれでもしたら、乗っかりきれないですしね。子供と魔法は......うん、これは、なぁ.........いや、ともあれ。  正直言うとこの組み合わせはやはりあまりいいとは思えないのです。以前聞いた話ではどちらも母性に繋がる話、ということで組み合わせたという話でしたが、まぁ、正直、聞いた時も無理筋じゃないか?と思ったのですが、実際観ていても、無理筋感は否めないなと。まぁ、繋がらないというか、繋がってないと思うんですよね。  なんか書いてると全然いいとこないように見えるんですが、何が良かったかというと、実は思ってもみなかった演出のまとまり、なんですよね。  正直、粟国淳ですから、全く期待はしてませんでした。ここ最近全然いいとこありませんでしたのでね。  まず、この2作品をどう料理したかというと、ほぼ関係ない2本に仕立てていました。理屈としては関係あることになっているのかも知れませんが、まぁ、観た感じでいうと、関係無し。そう、関係無いんですよ、実質。だからその点では無理がない。各々の作品で完結を目指しているので、おかしなところがないんですよね。  修道女アンジェリカは、まぁまぁまとまりよし、但し幕切は問題作、でしょうか。自死はキリスト教では罪なので、当然修道女であるアンジェリカは自死すれば、亡くなった我が子がいるであろう天国には行けない。いざ死に瀕して天国に行けないと慄く(いやうっかりし過ぎだろって)アンジェリカは天使となって現れる我が子に導かれ、マリア様のお導きで救われる。奇跡だ!という幕切は、暗い舞台の上で、聴衆には何も見えないまま、ただ、アンジェリカのみが天使を見、救われたという安心感に包まれて死んでいく姿を見せるのみ。観たまんまだと「救われるって思ってるのはアンジェリカの主観でしょ?」となる。粟国淳の解説によれば、その通りで、でもちょっと違って、「奇跡は、救いは、アンジェリカにとってのみ現実であって、それは我々にはわからない」ということのようです。珍しく、納得感のある説明。いや、粟国淳に限らず、大体が演出の説明というのは、それがなきゃ成立しないのは失格だし、そうでなければ何が言いたいのかさっぱりわからんというのが定番。この演出は、納得感が得られないという意味では問題だけれど、そもそもこれ他者にはわからないでしょ?という視点で言えば、独りアンジェリカの芝居によってのみその救いは現実になる。その意味では、舞台としては論理的に正しいし、アンジェリカ役のイゾットンはそれに応えた演技を見せていたので、まぁ、成功と言っていいんじゃないでしょうか。納得感はないけどね。でも、それこそが狙いと言えば狙いなのだろうから、まんまとしてやられたと言ったところでしょうか。  子供と魔法。こちらは、まぁ、面白い舞台だった。お話自体はファンタジーだけれど、我儘勝手な「坊や」に、散々に乱暴されてきた家具や玩具や外の動物達が復讐する、その、物や動物達の姿が、オペラ自体によく合うフレッシュなもので、実は苦味も少なからずあるこのオペラの苦味を上手く生かす舞台に仕上がっていました。  というか、この舞台を観て思ったのは、やっぱりこの組み合わせじゃないな、ということ。具体的には、ヤナーチェクの「利口な女狐の物語」。利口な女狐は、観る機会がありそうでない。確か一度日生劇場でやったことがあったのじゃなかったか。その他に、ブルノあたりの歌劇場が持ってきたり。私は数年前プラハで観たこともありますが、このオペラ、なんとなく子供向けのオペラみたいに思われてますが、確かにそういう扱われ方はあるけれど、実はこれも結構苦味のあるオペラではあるのです。詳しくは、吉田秀和が「私の好きな曲」という本の中で秀逸な紹介をしているので、是非読んで貰いたい。子供が観て楽しいかも知れないけれど、まぁ、主役の女狐は劇中で死ぬので、泣くかもね。そういう意味ではシリアスな物語なんですけれども、その辺の苦味というのは結局大人でないとわからないものだと思うのです。この2作品をカップリングする方が収まりいいような気がするんですけれどもね。  まぁ、褒めてるんだかなんだかよく分からないんですけれども、それにしてもお客の方が、入りが悪いのに増して実に反応悪いというか、塩というか.....サラッと拍手して終わり、みたいな感じで、なんだかなぁと。正直、なんだかよく分からないまま終わったな、ってお客が多かったんじゃないですかねぇ。この日一番気になったのはむしろそこかなと。

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