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2026年04月27日
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カテゴリ:クラシック
みなとみらいホール 15:30〜
 2階舞台脇

 モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622
 <アンコール>
 モーツァルト:クラリネット五重奏曲 K.581 〜 第2楽章49小節から

 マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調

 クラリネット:松本健司
 NHK交響楽団
 指揮:ファビオ・ルイージ

 オーチャード定期は今回はみなとみらいの回。というか次シーズンでオーチャード定期自体終了だそうで、まぁ、いいんですけどね。元々持ってた席は消滅してしまいます、ということだそうで、正直勘弁してくれと思うのですが。東フィルはちゃんとしてね.........

 で、今回は、ルイージが出ます。マーラーの5番で、サントリーのBプロと同じなのかな。オーチャード定期ってのはある意味自称他称「コア」なファンは普段は鼻も引っ掛けないくせに、こういう時だけしたり顔でやってきて埋め尽くすので、ちょっと嫌気がさしてきます。その割につまるところは皆ただのミーハーなんだよなぁ.....これ、たとえばメインがラフマニノフの交響曲とかだったら、全然入りが違うんですよ、きっと。まぁ、別にいいけどさ。

 もうなんとなくお分かりでしょうが、正直、あまりいい評価はしてません。御承知置きの程を。
 まぁ、こっちもピットに近い裏側席で聞いてるんで、よく言うよと言われそうな話であるのは承知してるんですが、ね。


 モーツァルトは、恐らく弦五部が12-10-8-6-4の編成。正直、これは、モーツァルトとしては今時はかなり大きめの編成です。で、これで、クラリネット協奏曲をやる。しかも響き過ぎのみなとみらいで。いや、やれなくはない。間違っては、いない。ただ、これでどういう演奏になっているか?というと.....
 私は、モーツァルトのクラリネット協奏曲は、結構繊細な作品だと思っています。五重奏曲のイメージに引っ張られているのかも知れないけれど、それなりに繊細な響きやニュアンスを要求する作品ではないかと。協奏曲ではあるけれど、たとえば20番以降のピアノ協奏曲のようなものとは少し違うのではないかなと。実際にどういう目的で、どういう演奏会を想定して書いたのか、調べるのめんどくさいので調べてないですが、ピアノ協奏曲なんかは「演奏会の目玉」なんですよね、やっぱり、あり方が。だから、どうしてもピアノにスポットライトを強く当てる形になる。
 この日の演奏は、その系譜に連なるようで、更に先を見ているような。率直に言うと、私は、ベートーヴェンの初期のピアノ協奏曲に連なるような印象を受けました。オケも独奏も輪郭がはっきりしていて、聞かせようという意欲に満ち溢れているというか...........いや、聞かせちゃいけないなんてことはないんですけれども。でも、そうじゃない感が強いというか。オケで言えば、後期の交響曲、たとえば40番や41番みたいなものをこういう風に演奏するのはまぁありかも知れない。私は現代オケが現代オケとして、ピリオドチックなものでないモーツァルトをやるのは全然ありだと思っています。でも、この曲の場合は、この演奏は、そうじゃないと思うんですよね。これは古楽器演奏かどうかという問題ではないです。曲として何を中心位持っていくのか、そういうことだと思います。
 そういう演奏が出来ないわけじゃないと思うんですよ。それは、アンコールの五重奏を聞けば分かる。やりゃ出来るんです、そういう風には。でもやらなかった。これは結局は好みの問題だと思います。私は好みじゃない。まぁ、それだけのことではあります。悪い演奏ではないんだろうけれどもさ。

 後半はマーラー。
 で、結論から言うと、いいとは思わなかった。どのくらいかというと、​1月に聞いた東フィルを渡邊一正がバッティストーニの代振りで振った1番や、2月に聞いたアマオケの9番の方が良かった。
 その辺の話は上記にリンク貼ったので見て貰うとして、簡単に言うと、何したいのか分からなかった。特に、オーケストラがどういうつもりで演奏してるのか、というのはつまり、この曲を、どういう音楽と捉えて、どのように再構成するか、というイメージがまるで分からなかった。
 東フィルの時に書いたのだけれど、あの「巨人」は見通しの効いた、よく整理された演奏だったと思います。それは渡邊一正のアプローチであって、それが唯一無二の正解というわけではないのだろうとは思うけれども、オーケストラは少なくともそれに応えていた。ファビオ・ルイージのアプローチは、あまりそういう感じはしなかった。正直言うと、考えあんのかな?と思わなくもないくらい。いや、ルイージの問題というより、オーケストラの問題が大きいのだと思います。

 いつも言うことだけれど、私はマーラーはあまり好きではない。いい聞き手ではないのです。だから、いつも「わっかんねーなー」と思いながら聞いている。それはその通りだけど、まぁ、そういう視点なりに思うところはあるのです。
 で、そういう身で言わせていただくと、とっ散らかってるならとっ散らかってるなりに、どういう音楽なのか、全体としてどうなのか、個々の部分ではどうなのか、というのが無いと、本当に何やってるか分からなくなるのですね。1月に聞いた渡邊一正指揮東フィルの「巨人」は、指揮者もだけれど、オーケストラも限界はあるなりに、どうしようという意思が見えた。だから、ああいう音楽でも、私みたいに苦手な人間でも、見通しの効く音楽になっていたと思うのです。2月のアマオケの9番の場合は、まぁ、率直に言って失礼ながら未熟ではあるし、同列で論じてはいけないけれど、少なくとも「これどうするんだっけ」というのが見て取れた。マーラーという人の音楽自体が破綻しているけれど、破綻しているなりにまとめようとしているのが見て取れて、それが、音楽として一応形を成していることに繋がっている。
 じゃぁ、N響は?一応プロオケなんだから、その先を考えて欲しいのだけれど、正直言うと、破綻している以上のことはなかった。ルイージの問題?それもあると思います。けれども、オーケストラ自体がその先を全然考えていないように見えた。マーラーの5番は5楽章あって、第4楽章が例のアダージェット。で、この5楽章、殆ど関係のない音楽に聞こえてしまうものですが - ちゃんと分析すると関係性はあるんでしょうけれど、正直、まとまりのないびっくり箱みたいな交響詩だか狂詩曲だかが5つ並んでるだけみたいに思ってしまうのです、私は - それをそれ以上のものに聞かせるのが、一つの音楽として聞かせるのが、いわば期待値だと思うのですが、とてもそんな風にやっているようには聞こえなかった。
 いや、マーラーってそういうもんだよ、って?じゃ、東フィルの巨人とか、去年ザルツブルクで聞いたウィーン・フィルの10番は?私はよくわかってないけど、多分それだけじゃないんです。
 あるいは、そういうとっ散らかったものとして聞かせるのがルイージの目的だったのかも知れないけれど、そうなのかしらね?
 5楽章の頭、管が牧歌的というか、アルプホルン的な、伸びやかで長閑な、何も考えてないだろ、とまで言いたくなるようなメロディーを奏でるのだけれど、あれは、第4楽章のアダージェット、人気があるけれど、交響曲の1楽章として置くと、終わった時に少し息が詰まるような気分になる、それを柔らかに一掃してくれる一節なのだけれど、正直、どういうつもりで聞かせたいのか、分からなかった。聞いてる方はどういう風にこれを聞くのか、考えてるのかしらね。

 最初から最後まで、なんならモーツァルトもそうなのだけれど、終わってみて一貫して思ったのは、音楽的に鈍いんだろうな、この人達、ということ。音楽性が無いとか、腕・技術が無いとか、そういうことはないんでしょう。N響は一応日本でトップクラスということなっているし。でも、率直に言うと、音楽的に鈍い、鈍感なのではないかな、というのが今回の感想。それは、恐らく、聴衆によって育てられてしまったのでもあると思います。
 終わったら例によって大喝采で、如何にも「首席指揮者の名演を聞きにわざわざ横浜くんだりまで来てやったぜ」風の「うるさ方」が大喜びしてましたが、そもそもこれマーラーとしても楽しいのか?マーラー嫌いの私としては、そもそも楽しくはなくて、それでも聞いてみなけりゃ分からないと思うし、1月のようなこともあるから聞きに来るわけだけれど、最低の期待値以下だったのは事実。これがどうしていいのか、あの連中に、そもそもお前はどういうものがいい音楽で、それはどうして足を運んでまで聞く価値があると思っているのか、問い糺したいくらいで、割といつもそう思ってるわけなのですが、多分、音楽的に鈍いからなんじゃないかな、と思い至った次第。それがいいって言うんだから、皆そうなるよね。それは。

 N響も、時期によって良し悪しはあるのだけれど、今はコロナ禍以上にダメになっってる気がするんだよなぁ。腕はあるんでしょうけれどもね。でも、腕じゃないのよ。まずこれはどういう音楽か、そのイメージをきちんと持てない以上、決して音楽としてよくならないのよ。ロックバンドとかが「音楽性の違い」とか言って解散するじゃないですか。大抵ありゃ全然違うみっともない、あるいはドロドロした理由を美しく言ってるだけだけど、中には本当にそういうのも3%くらいはあるんじゃないですかね。あれと同じですよ。
 一度解散してみたらいいのかもね。解散コンサートとか言って荒稼ぎして。オケとして解散しろとは言わないけれど、一度団員総とっかえでオーディションしてみたら......同じか。あれがいいと思っている人間が多い以上、同じことだな。きっと。






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最終更新日  2026年04月28日 00時57分10秒
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