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国際でき婚!”どうにかなるさ”育児日記

国際でき婚!”どうにかなるさ”育児日記

予期せぬ妊娠

前妻に前もって離婚の話し合いのため渡航すると言うと一族がナイフ持って待ってるから

何も言わずに行った方がいいと渡航目的を告げず飛び立って行ったパパ。

案の定空港では一族総出で大歓迎。

だって夫が初めて妻に会いに来たんだし。

そのまま親戚の家で大歓迎宴会。

パパはタイミングを逃して離婚の話を切り出せなくなってしまった。



パパの結婚式のとき前妻の妹2人と父親(母親はすでに他界)が海外からやってきて参列したんだけど、

その後パパたちの新居に住みついた。

結婚式の後1週間ぐらい滞在して国に戻るのかと思ってたら移民目的で来たそう。

いきなり無職4人の大人を養う新婚生活となった。

パパは結婚前、前妻に4回しか会ったことがなく、宗教上の理由やらなんやらで前妻の親戚に

押し切られるような形で結婚したそう。

前妻たちは家族で話すときは前妻の国の言葉を使うのでパパは全く理解できずつまはじきのような状態で

常に自分の悪口を言われてるような感じがし、その頃から離婚を考え始め、前妻が国外退去となった時は正直ほっとしたそう。

前妻がいなくなっても妹と父親はまだ合法的に滞在できたのでそのままビザが切れるまで住み続け

前妻より同居期間が長く前妻よりも親しくなったらしい。


そんな感じの結婚生活だったから特に父親、妹たちには離婚のことを言いづらく、

ホテルを予約して行ってたのに父親が「うちに泊まれ。」とホテルをキャンセルし

前妻宅に滞在することになった。


前妻と二人きりになったとき離婚の話を切り出したがもちろん答えは"No!"で

パパは手切れ金として、冷蔵庫、ステレオ、カメラ、コンピューター、家具等々

(前妻の国では一般の人は持てないような高級品)を前妻に買い前妻も離婚に同意したそう。

そして前妻の国がいたく気に入ったようで別荘を買いたいと言い出した。

100万円あれば5年ぐらい働かずに暮らせるので日本でお金を貯めて

別荘で数年のんびり暮らしまた日本に戻ってお金を貯めるっていうような生活に憧れてたみたい。

「こっちに別荘持ってたら、僕達が結婚した後いつでも遊びに来れるし。。。

家を所有するには市民権(永住権)が必要だから市民権の申請のため弁護士にたのんだら

余分な出費になっちゃったけど。。。

僕が市民権持ってたらYOUと結婚した後YOUもこっちで滞在できるし。」

市民権?

こんなことを無邪気に言うパパ。

前妻の配偶者として市民権を取るにはその結婚が真実のものだと証明する必要がある。

それに市民権なんてそう簡単に取れるものじゃない。

早くて数年ぐらいかかるだろうし、同居していることが原則だろう。

私はそのときはっと目が覚めた。

こんな男と何やってるんだろう。

その後かかってくる電話にも出ず、インターネットカフェから送ってくるメールにも返信せず、

空港に迎えにも行かずにいたら帰国後逆ギレ状態で私たちは別れた。



それから数ヶ月後パパから電話があった。

「よりが戻る可能性はある?」と聞くので

「離婚は成立したの?」と聞いたら

「まだ。でも離婚の同意は得てるのであとは書類を送るだけ。」と言うので

「可能性はない。」と答えた。

「じゃあ友達なら可能性ある?」と聞くので

「それならある。」と言い友達としてお茶をした。

その時に「神奈川県でいい条件の仕事があるから応募しようと思う。」と言われ

「大阪にまた来ることがあったら連絡してね。」って感じだった。


それから数日後、同僚のお別れ会パーティがあるからと誘われ参加した。

二人ともかなり酔いパパの家になだれ込み、中でこそ出さなかったものの初めて○○○ー○なしでした。

パパは以前14歳年上の子持ちのバツ3?女性(後に出てくる前妻と同じ国籍の元彼女)と

足掛け10年の同居婚(オーストラリアでは結婚と同等の扱い)をしていた。

パパとその元彼女が出会った時点で元彼女はいい歳だったので

元彼女は妊娠を強く望み子作りに励んでいたけど結局元彼女が妊娠することはなかった。

その元彼女は出産経験があるのでパパの方に問題があると言われ

パパからは「自分は子供を作れないから自分と結婚したら子供はムリ。」と言われていた。

だから大丈夫だろうと思っていた。

それから2週間後、予定日に生理が来ない・・・

気の早い私は予定日から3日後市販の妊娠判定薬でチェックしてみた。

結果はブルーの+のマークが・・・

パパに電話した。

最初パパは別れてた後にやった男の子じゃないかと言った。

パパの子であるのは間違いないのでそう言うと

「一生責任を持って面倒見るから産め。」と言われた。

私は生むつもりはなく

「この子(this baby)は堕ろして、あなたとも二度と会わない。」と言った。

「this baby じゃない。our babyだ。」と言われた。

私が泣きじゃくってて話にならないから3日後に会って話し合おうと言われ電話を切った。


なんでパパに電話したんだろう?

内緒で堕ろしてパパにも妊娠したことは秘密にしておけば良かった。

次にパパに会うまでにこの子を堕ろしておけばもう何も悩むことはない。

そう思って電話帳で産婦人科を探し始めた。

電話帳をめくりながらも涙が止まらない。

そしてパパに言われたour babyが頭の中をこだまする。

産婦人科を探しながらもインターネットで今babyの状態はどんな感じか調べてみたり。。。

恥ずかしい話だが受精から着床までの過程を初めて理解した。

そんな確率で私の中に芽生えた命だったんだ・・・


妊娠は間違いであって欲しい。そんな思いから次にパパに会うまでの3日間毎日妊娠判定薬でチェックした。

+マークのブルーが日ごとに濃くなっているようだ。

やっぱり妊娠してるのは間違いない・・・

そして会うまでの3日間パパは毎日電話をくれ必ず第一声は"How is our baby?"だった。

もちろん体の変化はまだ何もない。

普段と違うこと、それは生理が来ないということだけだった。


重い気持ちでパパに会った。

パパが私に会って一番にしたこと、それは私のお腹に向かって"Hello, baby!"だった。

すぐにパパの両親から電話がかかってきた。

パパが私に電話をかわる。

二人が同時に"Congratulation!”「写真では何度も見てるけどお話するのは初めてね。」と言って

パパのママがパパを妊娠したときのことをべらべら話し出した。

パパは私と撮った写真を全て両親に送っていたらしい。

そして「あなたのお腹の子供はあなたたちの子供だけでなく私たちの孫でもある。

出来る限りのことをするから元気な子供を生んでくれ。

弁護士はもう手配したから離婚も間もなく成立するだろうし私たちはいつでもあなたの味方だから

何も心配することはない。」と言われた。


そして30分後、パパのお姉さん(子供が2人いる)から電話があった。

お姉さんも"congratulation!"と言いどんなに子供がいる生活はすばらしいか話し出した。


パパに聞くと3日前私との電話を切った後すぐ両親とお姉さんに電話して私を説得してくれるよう頼んだらしい。

私はパパの家族の反応に驚いた。

うちの両親なら息子の愛人にこんな態度をとれるだろうか?

パパはほんとうに温かい両親に育てられたんだ。。。

もう妊婦扱いで体を冷やさないようにやら色々アドバイスしてくれてる。

そうだ私は妊婦なんだ。。。

とりあえず私の妊娠を喜んでくれてる人がいる。

パパとパパの家族を信じようと思い生む決心をした。

そしてパパが私の家に引っ越してくることになった。



両親に妊娠を告白へ











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