伝説の始まり

昭和63年(1988年)3月13日は青函連絡船が伝説になる初日でした。

空知丸は13日函館午前二時頃着で運航を終了して函館港内に碇を降ろしてました。
摩周丸は午前に函館を発ち青森を往復して函館18時50分着後
離岸して港内に碇を降ろして終りました。
下記の写真は筆者が3月13日乗船した函館行八甲田丸から写した
青森向け最後の力走する摩周丸です。
通常は離れて航行しますが、近くに寄り、操舵室の後方で
人が手を振ってるようです。
長い汽笛が鳴ってました。

摩周丸3月13日1

石狩丸函館20時30分頃着で終航 離岸して港内に碇を降ろしました。

八甲田丸が青森発最後のお客さんを乗せて函館着後、離岸碇を降ろして終りました。

十和田丸・檜山丸羊蹄丸・の三隻は青森着で営業を終えて、函館港へ自力回航函館港内に碇を降ろしました。

最後の羊蹄丸が函館港に碇を入れたのが3月14日未明に(海の上のレール)
は伝説となったのでした。

翌3月14日函館港にで写した十和田丸と檜山丸でしょうか。
風のない朝でした。

昭和63年3月14日1

現役時代を思わせる写真ですが、、昭和63年10月の写真です。
この時、函館桟橋に摩周丸(手前)と八甲田丸(奥)。函館ドックに石狩丸と空知丸が繋がれてました。
大雪丸・檜山丸・羊蹄丸・十和田丸は新天地へ向かったのでした。

摩周丸と八甲田丸

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フィナーレから三カ月後の昭和63年6月海峡に連絡船の姿が戻りました。
羊蹄丸・十和田丸二隻による4便の青函トンネル開通記念博覧会の臨時運航でした。
函館、青森を9時30分と14時15分同時刻に出港して、夜間は埠頭に着いたまま洋上ホテルになりました。

昭和63年8月撮影の羊蹄丸と赤色の補助汽船です。
手前の黄色い船体は、青函博覧会場へのシャトル船です。

羊蹄丸昭和63年8月


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