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December 8, 2024
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カテゴリ:仙台の歴史
仙台の昔の町名「本荒町」(もとあらまち)は、昭和45年2月1日実施の住居表示で住所から消えた。
今は仙台市青葉区一番町一・二丁目と大町一・二丁目のそれぞれ一部になっている。〔参考:仙台市「歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)」〕

青葉通沿いには、19番目の辻標「本荒町/良覚院丁」が立っていて、本荒町が荒町だった頃の町の様子を次のように説明している。

・本荒町は開府当時、岩出山から移ってきた麹屋町であったが、寛永初年、街道沿いのより長く広い今の荒町に移された。
・以来、本荒町とよばれ、藩の医者が多く住む侍丁となった。



また、仙台市HP「道路の通称として活用する歴史的町名の由来」では、町名が本荒町になった後の様子について、次のように説明している。

・(前略)藩の医者が多く住む侍丁となった。また、乱舞太夫(能役者)が多く居住しており、仙台藩の乱舞頭であった桜井八右衛門(金春流)の屋敷もこの地にあった。そのため太夫小路とも俗称された。

「《本荒町》通り」と書かれた標柱が、青葉通との交差点の近くにあった。


本荒町の通りを南側の突き当りまで歩くと、町の俗称とされる「太夫小路」の辻標を見つけた。



荒町が移転した寛永初年は、西暦では1624年。
おそらくこの頃、仙台藩の武士が増えたために城下町が再編され、移転前の町の名前の頭に「元」や「本」が付けられたのだろう。
「元」と「本」をどう使い分けたのかはわからないけど、「元」には元々の意味を込めて、「本」には本当の、という意味を込めたような気はする。

本荒町は青葉通と南町通を南北に貫くように通る細い道で、今は都心型の高層マンションが数多く建っている。



本荒町は赤線のあたりになる。






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Last updated  December 8, 2024 12:00:25 AM
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