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January 12, 2025
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カテゴリ:仙台の歴史
茂市ケ坂(もいちがさか)

かつての茂市ケ坂は、昭和45年2月1日に住居表示が行われ、今は青葉区花京院一丁目と本町一丁目のそれぞれ一部になっている。

写真の右側の細い道が、町の北側から見た茂市ケ坂。仙台駅に向かう左側の幹線道路(駅前通)から微妙な角度をつけて広瀬通に向かって下っている。



幹線道路の「駅前通」は、かつて仙台城の城下町が開かれた当初の町割りと平行に走っていて、一方、茂市ケ坂は政宗公が晩年暮らした若林城造営に伴う町割りと概ね平行している。(赤線がかつての茂市ケ坂)
この町割りから茂市ケ坂周辺は、仙台藩の城下町拡大に伴って、新しく城下町に組み込まれていったエリアなのだろうと思われる。



広瀬通に建つ辻標41番「茂市ケ坂/元寺小路」は茂市ケ坂を次の通り説明している。



・仙台七坂の一つで元寺小路から花京院通に上る坂。
・盲人茂市が住んでいたという。
・藩政時代、坂の両側と坂下から元寺小路東部は職人町だった。
・白百合学園敷地は、政宗夫人愛姫の母が建立し、弁財天を本尊とした真言宗密乗院の跡地。
・明治三十二年から戦災時までは第一高等女学生が坂を往来した。

説明にある「白百合学園敷地」には、今は東北電力本社ビルになっていた。



そしてこの場所には「第一高等女学校」跡地を示す石碑もあった。



ちなみに第一高等女学校の変遷は次の通り。(宮城県宮城第一高等学校HPより)
明治30年 仙台市高等女学校
明治33年 宮城県高等女学校
大正7年   宮城県立第一高等女学校
大正8年   宮城県第一高等女学校
昭和23年 宮城県第一女子高等学校
平成20年 宮城県宮城第一高等学校(男女共学)

戦後、「一女」と呼ばれていた女子高の前身がここにあったことを初めて知った。

ちなみに僕の祖母が通っていた「北海道庁立札幌高等女学校」の創立は明治35年。
きっと明治30年代に、女子への高等教育の場が全国横並びで作られたのだろう。

ただ、設立は横並びでもその後は少し違っていて、札幌の高等女学校は戦後すぐに男女共学(札幌北高)になり、一方、仙台の高等女学校は平成20年までずっと女子高(宮城一女)のままだった。

北海道の人たちは、男女別学の制度に明治時代から疑問を持っていたのかもしれない。
そして宮城の人たちは「男女七歳にして席を同じうせず」を戦後に至っても当然と考えていたのかもしれない。

そんな想像をしてみた。





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Last updated  January 12, 2025 12:00:28 AM
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