七つの習慣のうち「第五の習慣」までたどり着いた。
「僕にはできていないことが多いなぁ…」と思いながら読んでいるせいか、スイスイとは進まない。
一方で「ごもっとも」とうなずくことも少なくないので、何とか最後まで読み通してみようと思っている。

「第一の習慣」から「第四の習慣」まで順に振り返ると…
①今の困難な状況を他人のせいにせず、自分ができることを見つけ、自分の力が及ぶ範囲を少しずつ広げていこう。
②状況が改善された状態(ゴール)を具体的にイメージしてから最短距離を進んでいこう。
③状況を改善するために必要なことは放置せず、主体的に着々と処理しよう。
④関わる者すべてがメリットを感じられる形で状況の改善を目指そう。
という趣旨だったと思う。
そして「第五の習慣」の主題は「理解してから理解される」。
この章を自分なりにまとめると、例えば子どもと向き合った時に…
・子どもが直面している問題を、勝手に理解したつもりになるな。まず子どもの話を聞け。
・「わかるわかる、俺もそうだった」とか偉そうに言うな。今、子どもにとって親の昔話なんてどうでも良いし、そんなものと自分の悩みを一緒にされたくもない。
・解決策を教えようとするな。答えは子ども自身の中にある。じっくりと会話を積み重ねて子どもが持っている解決策を引き出してあげよ。
・子どもの思いを理解するためだけに子どもと話をしろ。子どもを導くためでも説得するためではない。本当の理解者にしか子どもは心を開かない、
これも、その通りだと思うし、相手が自分の子どもなら、僕もやってみようと素直に思える。
だけど著者は、子どもではなく、自分と相性が良くない相手、信頼関係がまったくない相手に対しても、同じように傾聴し、理解し、その上で自分の気持ちを伝えよ、と言う。
正直、これは厳しい、と思った。
問題を改善したければそうする以外にない、とコヴィーさんは言うが、今の僕のレベルでは、「悪いのは向こうなのに、なんで俺があいつに擦り寄らなきゃだめなのさ。そんなこと絶対やんない。」とか言って拒否するに違いない。
できるようになる日は来るのかなぁ、来たらいいなぁ…
そう思いながら第六の習慣に進む。