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February 16, 2025
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カテゴリ:仙台の歴史

宮町(みやまち)


仙台東照宮の石段に立って南の方向を眺めてみると、宮町の通りが鳥居の向こうにまっすぐ延びていた。

かつての町名「宮町」は、仙台東照宮の門前町として拓かれた。
昭和45年2月1日の住居表示によって、今は宮町ニ〜四丁目になっている。〔仙台市「歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)」より〕


東照宮から2〜3分歩いた交差点に建つ辻標86番「宝蔵院/宮町」は、宮町を次のとおり説明している。

・東照宮の門前町で、北六番丁から東六番丁北端までの南北の町。
・承応3年(1654)玉手崎の天神社跡地に東照宮が造営された際に町割りがなされた。
・全戸に五百文の田畑が与えられ、年貢や町の諸役が免除されたほか、仙台祭の日には絹布着用の特権が与えられていた。
・御宮町・権現町ともいわれた。


(JR仙山線の踏切近くに建つ「《宮町》通り」の標柱)

仙台市HP「道路の通称として活用する歴史的町名の由来」では、《宮町》をこう説明している。
・権現町・御宮町ともいい東照宮の門前町であることによった地名。
・上御宮町・下御宮町の2区から成る。
・「仙台鹿の子」によれば、門前町百五軒、1軒につき五百文ずつの御用捨田畑がが付けられ、無年貢であったという。
・また酒類・塩・たばこ以外の店売については諸役を免除されたが、その代わり東照宮への奉仕が義務付けられていた。

わからない言葉がいくつかあるので調べてみた。

「玉手崎」は今の東照宮がある場所。天正19年に徳川家康公が葛西大崎一揆の視察を終えた帰り道に、この地で伊達政宗公と休憩したとの故事により、東照宮造営の地に選ばれたとのこと。(参考:宮城県神社庁HP)


(かつて「玉手崎」と呼ばれていた東照宮の境内)

「天神社」は、今は宮城野区榴ケ岡にある榴岡天満宮。平安時代の天延2年(974)に今の京都府に創建された後、天文20年(1551)から東照宮の場所にあったとのこと。(参考:榴岡天満宮HP)

「仙台祭」は、東照宮造営の翌年、1655年に始まった東照宮例祭。江戸時代を通じて行われ、2代藩主伊達忠宗以降13代まで全ての歴代藩主が仙台祭に合わせて東照宮に参拝したとのこと。(参考:仙台東照宮HP)



宮町の南端と思われる場所に、個人の建立と思われる石碑が建っていた。「北 是より御宮町」「この地 昭和四拾五年まで宮町壱番地」と書かれていた。

東照宮の門前町の誇りのようなものを感じさせてくれた。





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Last updated  February 16, 2025 12:00:24 AM
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