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February 21, 2025
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カテゴリ:東京の記憶
子供の頃、歴史の授業にはあまり興味がもてなくて、特に縄文時代とか太古を扱う4〜5月頃の授業は自分とは無縁にしか思えなくて、受けていて辛かった。
だけど教科書に載っていた「大森貝塚」という言葉は不思議なことに今も頭に残っている。

大森貝塚を学ぶための野外教育施設のような「大森貝塚遺跡庭園」は、JR大森駅から歩いて数分、大田区と品川区の境にあった。



ポートランド(米国)出身のモース博士が1877年6月に大森貝塚を発見したとのことで、園内には博士の胸像があった。

胸像の奥には銘板があり、モース博士との縁で品川区とポートランド市が姉妹都市になっていることを説明していた。
大森貝塚という名前から、姉妹都市を結ぶなら大森がある大田区ではないのかな?と思ったけど、きっとこの地(品川区大井)により強いご縁があったのだろう。



遺跡を守るためだろうか、庭園の入口にはゲートがあって、夕方には閉まるようだ。



園内には発掘された貝塚の展示があり、説明板もいくつかあって、教育施設っぽさも漂っているけれど、全体的には普通の公園。
この日は近くの保育園から子どもたちが遊びに来ていた。



人間が生活していた証(貝塚)が大森・大井の地で発見されたことが歴史上いかに重要な事件だったのか、僕には今も良くわかっていない。ピンと来なかったからこそ「大森貝塚」という言葉が子供の時分からずっと記憶に残っているのかもしれない。

今回、この庭園に来て、僕も少しは賢くなれただろうか…。


昭和4年(1929年)に建立された記念碑。庭園の南端、線路を見下ろす場所に置かれていた。





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Last updated  February 21, 2025 12:00:23 AM
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