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April 18, 2025
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カテゴリ:仙台の歴史


南町通(みなみまちどおり)は仙台市中心部のメインストリートの名前として今も普通に使われている。
メインストリートは北から「定禅寺通」「広瀬通」「青葉通」「南町通」と並んでいるが、このうち南町通には道路の真ん中に緑地帯がなく、見た目に地味なイメージがある。
おそらく、南町通を除く大通りは戦後の区画整理で新たに整備された道路だから、つまり、南町通だけが昔からある道筋だから、見た目が他とは違うのかな…と推察。


(JR仙台駅のペデストリアンデッキから見た南町通。正面には先代城址がある青葉山が見える)

通り名が生きている一方、かつて住所として使われていた「南町通」は、昭和45年2月1日の住居表示でJR仙台駅の西側が青葉区一番町一〜ニ丁目と中央一・三丁目のそれぞれ一部となり、昭和63年7月4日の住居表示で仙台駅の東側が宮城野区榴岡ニ〜三丁目のそれぞれ一部となった。〔仙台市「歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)」より〕※1


裁判所前の公園に建つ、辻標27番「狐小路/南町通」は、南町通を次のように説明している。

・古くは南町から榴岡下金勝寺門前までをいった。※2
・道幅六尺の細道で東の番丁を横切り侍屋敷の庭木の枝が道路におおいかぶさっていたという。
・駅ができると九間道路となり、柳と桜の並木が植えられ仲見世も立った。
・市電開通時には十二間に拡幅され西にのび、一時、多門通と命名された。

「東の番丁を横切り…」とはこのことだろうか。

(南町通と東一番丁通「サンモール一番町」の交差点)


(南町通と東二番丁通の交差点)

「仙台駅前通南町通り親和会」のウェブサイトには、南町通について次のような記載があった(抜粋)。

・明治22年 仙台駅開業にともなって17メートルと大幅に拡張されました。仲見世や芝居小屋が立ち並びたいそう賑やかでした。
・明治24年、南町通りに桜と柳を交互に植えました。
・昭和元年に市電が開通。戦前は仙台市内で代表的な大通りでした。仙台座や競輪場がありました。
・戦後は、復興区画整理で広い道ができました。卸売の店が多く、問屋街として位置づけられ、その後、たくさんのお店が揃いました。

通りを歩いてみて、藩政時代を思わせるものに出会うことはなかったけど、道を横に入ると戦後の雰囲気を感じる場所があった。

(仙台銀座)


(仙台朝市)

※1
昭和63年の住居表示の新旧対照表をネットで見つけたが、旧の欄に「南町通」の記載はなかった。一方で、区画整理の新旧の地図には榴岡ニ丁目〜三丁目のあたりに「南町通」の名前があった。憶測だけど、区画整理の換地の際に南町通が一旦、東八番丁や東九番丁などに含まれ、間を置かずして住居表示が行われたのではなかろうか。そんな気がしている。

※2
かつて南町通の突き当りにあった金勝寺のあたり(東十番丁天神下)にはいくつものお寺が建っていた。
金勝寺は区画整理で榴岡の別の場所に移転していた。







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Last updated  April 18, 2025 12:00:25 AM
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