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October 3, 2025
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カテゴリ:仙台の歴史

南石切町(みなみいしきりまち)

仙台市若林区にある南石切町は、今も地番が住所として使われている。
現地に行ってみると「石切町」の名にちなむようなものは見当たらず、通りの両側には普通に住宅が並んでいた。



南石切町は、かつて石工さんの町だったそうで、そのことが辻標57番「南石切町/南染師町」に次のように書かれていた。



・寛永初期に城下を南方へ拡張する際、石材需要に対応するため石垣衆をここに配置した。
・彼らは石工の本場近江領から選抜されてきた人々で、特に細工物に長じ、伊達家ゆかりの墓所や社寺に灯籠、鳥居など数々の作品を残している。
・なお、町の南端は明治18年に南材小学校敷地となった。


(町の南端「竹屋横丁」から見た南石切町。道路の右側に南材小学校がある。)

また、仙台市HP「町名に見る城下町」では、南石切町を次のように説明している。
・南材木町の東裏にある町。
・寛文4年(1664)の絵図には「石垣衆」と書き込まれている。
・南石切町の名は、八幡町付近にもあった石切町に対しての呼び名でもあった。
・職人たちは近江な国(いまの滋賀県)から招かれた人々で、神社仏閣の灯籠や鳥居、墓石、石碑などを手がけた。
・また、南材木町と南石切町を結ぶ道は竹屋横丁と呼ばれたが、文字どおり竹を商う人々が住んでいた場所である。



南石切町は、南材木町、新弓ノ町、八軒小路、南染師町に囲まれた小さな町。町の南端から北端まで歩いてみたが、ものの2〜3分で通り抜けた。
広さも名前も昔と変わらない石切町。コミュニティとしてはちょうど良い広さに思えた。






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Last updated  October 3, 2025 12:00:18 AM
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