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December 23, 2025
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カテゴリ:仙台の歴史
仙台の城下町の北西端に「坊主町」(ぼうずまち)はあった。
大崎八幡宮に近く、今は仙台市青葉区国見二丁目、八幡ニ・四丁目のそれぞれ一部になっている(昭和45年2月1日住居表示)。

八幡町の本通りから北に向かって緩やかな斜面を上る。
とは言うものの、その傾斜は緩やかで、大崎八幡宮の長い石段分をいつの間にか登っていた感覚。
そんなに上まで登った感じはしていなかった。

とにかく坊主町は大崎八幡宮に隣接する町だったことがわかった。


(大崎八幡宮から見たかつての坊主町方面)

辻標32番「江戸町/坊主町」は坊主町を次のように説明している。



・天和3年に亀岡八幡が祀られるまで麓に住んでいた坊主衆の大部分は、龍宝寺の東北、四ツ谷堰の北に移されて坊主町ができた。
・何阿彌と称した同朋衆の指導をうけ、城内の装飾、案内、接待等に奉仕した。
・頭を丸めていたが、藩主や重役にも接するため礼儀作法に通じた。

少しわかりにくいが、亀岡八幡は今も青葉山の麓(ふもと)にあるので、もともと川内亀岡あたりに住んでいた坊主衆が、亀岡八幡の造営によって四ツ谷用水の北側に移された、ということだと思われる。


(四ツ谷用水の跡。標柱には「仙台藩祖伊達政宗公は、城下町に必要な水を広瀬川上流の郷六から引きました。「四ツ谷用水」と言われ、ここはその本流の跡です」とある)


(この四ツ谷用水の上側が坊主町、下側は江戸町だったと思われる。)

そして坊主衆とは、お寺にいるお坊さんのことではなく、お城の中で働く僧の姿をした人たちを指し、殿様のお世話や来客の接待をするお坊さんの姿をした人たちのことのようだ。

坊主町は城下町の端にあって、お城からは少し遠い。
ここからお城に登っていたとすれば、その通勤は少し大変だったのではないかと感じた。

町の範囲は面的になっていて、城下町中心部の両側町とは様相が異なり、坊主町という通りがどこだったのか、歩いてみても良くわからなかった。





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Last updated  December 23, 2025 12:00:13 AM
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