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January 22, 2026
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カテゴリ:仙台の歴史
仙台藩の城下町の町名、舟丁(ふなちょう)は戦後の住居表示の影響を受けることなく、今も若林区舟丁が住所になっている。

だけど現地に行ってみると、舟丁のかなりの部分は近頃完成した広い都市計画道路の下に沈んでいた。



辻標64番「堰場(どうば)/舟丁」は、舟丁を次の通り紹介している。

・御舟衆(船乗)が居住したことにその名が由来する。
・城下外であった頃から水運を利した交通の要地で、広瀬川・名取川を通じて河口の閖上(ゆりあげ)から米・材木などが当地まで運ばれていた。
・また対岸長町方面への連絡は、河原町の長町渡ができる以前は、当町南と根岸村を結ぶ宮沢渡が利用され、城下に入る玄関口でもあった。


(堰場/舟丁の辻標)

辻標の近くにはかつての舟丁と思われる細い通りがあった。正面奥に都市計画道路が見えた。


(細い道の先に都市計画道路が見えた)

そして辻標の南側には広瀬川が流れていて、このあたりに舟丁と対岸の根岸村をつなぐ「宮沢渡」があったのだと思う。
江戸から来た人が皆ここで川を渡り、仙台城下に入っていく様子をしばし想像してみた。


(宮沢橋と広瀬川)

仙台市HP「町名に見る城下町」は舟丁を次の通り紹介している。

・東は南材木町、西は石名坂と堰場に接する町。
・水運の仕事をした足軽の舟衆が住んだことからこの名がつけられた。

・仙台開府の頃は、宮沢渡戸で広瀬川を渡り舟丁に出るのが奥州街道の道筋で、城下への玄関口だった。
・この道筋は、河原町が栄え長町渡戸ができるまで利用された。
・また、当時は名取川河口から広瀬川をさかのぼって船で城下へ米や材木などが運ばれた。
・舟丁は船着場としての役割をにない物流の要衝の町として栄えた。

・昭和9年、南北に長い舟丁を仙台市電の軌道が走る都市計画路線が貫いた。
・この大道にさえぎられかつての舟丁の姿を実感するのは難しいが、南はしの高柳病院の前から北を見ると、長い道筋が見えてくる。

・北には静かな住宅地が連なる。国道となったこの大道の地下には、地下鉄河原町駅がつくられた



この赤い線が、舟丁の通りだったと思われる。







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Last updated  January 22, 2026 12:00:15 AM
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