仙台の旧町名「南六軒丁」(今の青葉区五橋二丁目、片平二丁目、土樋一丁目)
かつての町名、南六軒丁(みなみろっけんちょう)があった場所に行ってみると、東北学院大学のシンボル的な古い建物が建っていた。この建物から南六軒丁の通りを挟んで北側には、少し前まで東北大学の片平キャンパスが殺風景な感じで見えていた記憶があるが、行ってみると東北学院大学のホーイ記念館が建っていた。ぱっと見、「ボーイ(Boy)記念館」と読めて、女人禁制の建物…?と勘違いしたが、記念館の中には女性を含めてたくさんの学生たちが勉強しているような、思い思いに過ごしているような、そんな姿が見えた。学校創設の立役者の一人が「ホーイ(W. E. Hoy)」というお名前だったらしい。ホーイ記念館ができて「南六軒丁」は今や東北学院大学の構内道路の様になっているが、この町名が消えたのは昭和45年2月の住居表示の時。今は仙台市青葉区五橋二丁目、片平二丁目、土樋一丁目のそれぞれ一部になっている。〔参考:仙台市「歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)」より〕仙台市HP「道路の通称として活用する歴史的町名の由来」では《南六軒丁》を次のように説明している。・片平丁の南端から田町に続く丁で、大身屋敷が6軒あったことに由来するという。・「封内風土記」では、片平丁末と記す。・宮町南東の北六軒丁に対し、南六軒丁という。通りの西端あたりの大学敷地内に、古い洋風の家屋が見えた。宣教師の家だったのだろうか。「南六軒丁」は赤のラインのあたり。