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ラ・ラ・ラ・メディテーション

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2018.04.09
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カテゴリ:瞑想・気づき
イッポリートは告白する。

「君たちが大事にしている自然や、パーヴロフスクの公園や、日の出と日の入り、コバルト色の空、充足しきった顔が、いったい何のために必要だというのだ。そもそもこのいつ終わるとも知れない饗宴は、ぼくひとりを余計者とみなすところからはじまったのではないか?そうしたもろもろの美しさが僕にとって何だというのだ?そもそも僕はいま、1分1秒ごとに思い知らされているのだ。太陽の光を浴びながら、僕のまわりをぶんぶん飛び回ってるこのちっぽけなハエでさえ、この饗宴と合唱の参加者であり、おのれの持ち場を知り、おのれの持ち場を愛し、幸せに感じているというのに、僕ひとりだけが死産児であり、自分がたんに臆病なために、これまでそれを理解しようとしなかったということを!」(新訳)

しかし、まあイポリート・チェレンチェフよ。
シェイクして、ダンスして、ジベリッシュして、静かに座ってごらん。ムイシキン侯爵のごとく、美にくつろげるはずだから。かといって白痴になるわけではない。






最終更新日  2018.04.09 16:50:36
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2018.04.03
カテゴリ:プライベート
ブラックパンサーの国ルワンダは、なぜ豊かか?というと、宇宙から落ちて来た驚異の物質ヴィブラニウムを独占利用しているから。

そのSF並みに発展してる文明は、シールドされて世界からは隠されていて、貧しい農業國と偽装している。

部族社会が発展して王国になってるけど、民草もアフリカ的に混沌としていて幸せそうだ。

しかしティチャラ(ブラックパンサー)の元カノは、近隣の貧しい国からの難民受け入れと福祉を提言し、新国王のティチャラと意見が合わないし、広い世界と関わりたい彼女は、それでか元カノの立場。

前国王には秘密があって、ヴィブラニムを解放して、世界中の黒人の抑圧と戦おうとした実の弟を殺害し、その子どもひとりアメリカのオークランド地区に残した。

監督は、警官による黒人射殺事件を描いて絶賛された。オークランドのゲットーで始まり、ゲットーで終わるこの映画は、かなり政治的なのだ。

「世界を見守るだけ」の一歩引いた姿勢から、「ラブインアクション」が世界を変える。

マーベルスーパーヒーローもので、まかさ泣かされるとは思ってなかった。

女戦士に囲まれて、新国王であるティチャラは、真のヒーロー ブラックパンサーとして、最後は国連で、自分たちの知恵とテクノロジーを分かち合うことを宣言する。

白人へのNOの戦いでもなく、豊かさに壁を作って守るのでもなく、世界に背を向けずに、分かち合う。

感動した。

感動の個人的意味は、以下である。

1990年、OSHO没後にすぐ、昔からの仲間であるミトラ、アミーンらと、Poonaにいた。瞑想しないミトラだが、ある時何を思ったのか、瞑想センターを申請したいと言う。

それより前に約10年以上、20代の青春をエンカウンタースクールという場作りに捧げた僕とアミーンは、反対した。

片桐ユズル氏や津村喬や向井孝、松井洋子など有名な大人を顧問としながら、全国から維持費を集めて、エンカウンターグループなど心理療法から、映画会、コンサート、シールさんによるOSHO瞑想会、反原発反戦集会、果ては、僕とアミンの始めた無農薬野菜の倉庫代わりまで、当時の関西のカウンターカルチャーの知る人ぞ知る拠点としてのフリースペースを何年間も運営していて、それも幕引きして、僕としては、反戦反原発死刑反対運動からも引退して、サニヤシンになって生まれ変わり、もう世界を変える夢は見ずに、自分を変えることに取り組んで、やっとひと息ついていた頃だ。

もう瞑想センターとか、そういう形でひとに関わるとかのめんどくさいことはやりたくない。

毎晩、ケンケンガクガクの議論をして結論は出ない。

ところがミトラが勝手に申請したら、あっけなく許可が降り、それを聞いた僕とアミンは、嬉しくて号泣した。

あれはなんだったんだろう。アシュラのゲートのところでのこと。

それでOSHOの媒体(ミディアム)というアナンドの署名で、アシュラムから貰ったメッセージには、驚いた。

「アミーン、ミトラ、ビジェイ あなた達は、革命家である。あなた達は、全世界を変えることで、自分を変えて行くだろう」

と書かれている。なぜか僕たちが、反原発運動から心理療法まで、命を革めることを模索してきたことを知ってるかのようだ。

僕なんか十代の頃から、革命とは何ぞやと、まるで禅の公案のごとく問い続けて来たか知ってるかのようだ。

そして、その旅の果てにサニヤシンになり、もはや世界を変えることよりも、自分が変わることに取り組もうとしていることを知っているかのようだ。

しかし、「あなたたちは、全世界を変えることで、自分が変わっていくだろう」とある。

これは普通(サニヤシンの普通)と逆のことじゃないか。

メッセージはこう続いていた。

「何百万人の人々が苦しんでいる。その人たちに背を向けるのは、絶対的に非人間的なことである。なんであれあなた達が得たものを、分かち合いなさい」

そして「苦しくなったら、またアシュラムにおいで」と結ばれていた。

後から、このメッセージは、アナンドがOSHOの講話から抜粋して選んだと知ったが、さすがOSHOからミディアムと指名されただけある。見事に、僕たちへのメッセージだった。

アナンドからは、他にもOSHOの靴下とハンカチも頂き、その後、細々とOSHOの回し者として、手足になって働いている。

瞑想センターは結局、建物は立たず、その後10年以上続く瞑想会からは、多くのサニヤシンが生まれ、みなそれぞれ独立し、しかし去年から古巣に戻った週に一度の瞑想会は、やはりマイトリー瞑想の会という名前で場所を借りている。

書き忘れたが、僕らの貰った名前は、OSHOマイトリー瞑想センターだった。

その後、出口王仁三郎の弥勒宣言とか、OSHOのマイトレーヤ(弥勒)宣言とか、ビレッシュの強調する友情とか、マイトリー(友愛、慈悲、友情)というのに縁がある。

革命家のひとりアミーンちゃんは、現在は天然酵母のパン屋さんとして、人当たりがいいから日々忙しいが、明け方前にひとりパンをこねて、孤独と向き合う詩人である。

革命家のひとりミトラは、現在入院中で連絡もつかないが、きっと内面を見つめているだろう。

革命家のひとりの僕はといえば、本日は瞑想会。気候のせいか参加者は少なく、場所代払うと赤字である。

苦しんでいる何百万人に背を向けて、詩について思索したり、パソコンいじったり、瞑想をひとりするのは容易い。

実は、3人とも内向きな人間だ。

ひとに関われば、波動の違うひとに関わることになり、イライラもするし、疲れもする。

もう長く瞑想してるから、Poonaに行かなくても至福は感じられるし、相手の目の高さに降りて、内側の何分の一かをオブラートに包んで分かち合うのも、まどろっこしい。

ひとは受け取るのが当たり前になると、慣れてくるから、感謝されることも少なくなる。

それどころか、非難されることもたまにある。出る杭は打たれなくても、ゴシップはされる。

だから疲れてしまう時もある。

それで、ブラックパンサーだ。

ヴィブラニムを独占して、自分達だけの王国で、幸せにするのは容易い。

なんたって、自然と科学と芸術が融合したようなユートピアだし、内面だって豊かだ。

世界に背を向けて、自分たちだけの幸せを大事にすればいい。それが先祖代々の教えだし、歴代の王の務めだ。

CGは新しいけれど、内容は古臭く、先祖を家族を大切にしようというディズニーの最新作「リメンバーミー」と違って、先祖伝来の条件付けに反逆して、新しい生き方に踏み出すブラックパンサーは新しい。

勇気をもらった。以上。



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最終更新日  2018.04.03 13:38:00
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2018.03.30
チャクラジベリッシュ瞑想のこと。長文です。

第七チャクラは、スピリチュアリティ、存在とのつながり、一体感 という解説と宇宙的な音楽が鳴るので、ふにゃふにゃと宇宙語的なものを喋ることが多いが、このところキリスト教の異言の本を読んだので、ちょっとお祈りのようにむにゃむにゃと唱えている。

何か困った時に、ショーケンみたいに「神様 お願い」とつぶやくよりも、ハートに手を当てるのが習慣にはなっているが、真剣に困った時は(そんなにないが)「神様助けて」とやってるような気がする。

どこかに白い髭の神様なんてのがいるとは信じていないのに、自分の力ではどうしようもない時に、自分よりも大きなものにすがって、自分の願い(欲望)を押し通そうとする条件付けのたまものである。

僕は祖父が出来た人で、子どもの頃に優しくしてもらったから、ちょっと困った時に「お爺ちゃん 助けて」とつぶやく癖がある。誰かに守護霊さんだと言われたから、それも影響している。

OSHOはお願いを聞いてくれるとは思ってないから、OSHOには頼まないつもりだったが、昔にあるヒプノシスをしてもらって意識がクリアーになった時に、OSHOの顔写真が変化していったことを覚えている。

OSHOにお爺ちゃんの顔を重ねていたのだ。無意識で。

OSHOの顔が空っぽになったわけではないが、その上に重ねていたお爺ちゃんのイメージが流れていって、よりリアルなOSHOの顔になった経験がある。

マインドは恐ろしいなあと思う。

近所の氏神様や、神社に行けば、普通の人のように手を合わせお祈りする。

たいてい何かをお願いする。頭下げて、合掌して、健康とか、周りのひとの幸せとか、何かそういう些細なお願いする。

軽くやってるのだが、まあそんな感じ。サニヤシンだからこんなことやっちゃいけないというこだわりもなくなって、形とか儀式とか嫌悪するこだわりもなくなって、みんながやってるようにやる。僕も年取ったものだ。

ばからしく感じる時はやらないし、気が向いたらやる。基本的に、困った時には、神社に行ったりはしない。ハートに手を当てるのだ。

しかし、気分の良い時の散歩ついでだから興に乗って・・という感じで、神社にはお参りする。

子どもの頃から、神社とかお寺とか、そういう処はほっとする。

しかし、だいたい祈りというのもわからない。

遠隔ヒーリングでお祈りしましょう・・みたいな呼びかけもたいてい無視する。

といった不信心ものなんだけれど、OSHOがくれた名前の名字は「神聖」である。

愛(プレム)とか至福(アナンド)とかよりも、神聖が大事なのである。

それでインドのキルタンなんか聞くと、胸がわくわくする。ハリ・クリシュナとか、ハリ・ラーマとか歌うと陶酔する。

しかし同時になんだかなあと思う。先祖帰りしてるみたいな気分になる。

子どもの頃に異言の一家で育ち、夜中の三時に強制的に家族で異言を祈ってたという方が、精神世界の探求遍歴の末に、この間 サニヤシンになって、自分で見つけて来た名前の意味は「神聖な無神論者」という。かっこいいなあと思う。

そのひとに借りた異言の本の影響で、チャクラジベリッシュの時に異言での祈りをやってみたのだけれど、昨日は真剣にやったので、よかった。

それでよかった体験を自分だけにとどめず、ハート瞑想の時間は、もう一度、第七チャクラのジベリッシュをすることを提案した。

参加者に、「困った時に、神様助けて」と思わないか?と聞くと、ひとりのひとを除いて、多かれ少なかれそれはあるという。

だからそれを表現してみたらどうなるかと、実験に誘う。

家族が創価学会だったAさんは、「自分の中に神様助けて」という気持ちがすごくある・・孤立して困ってる」という深い感情につながったようだ。泣きながらシェアしてくれた。

いつも鋭い気づきのあるSさんは、「神様助けてとお願いすると、余計に孤独を感じた」と言う。

鋭い意見だ。

助けてとお願いする限り、そこに分離がある。孤立がある。

元キリスト教徒のA君は、「神様助けてと言うと、自分が弱くなるような気がして、思わないようにしている」と瞑想会後の桜見物の時に話してくれた。確かに、第三チャクラ的には、そういうことが起こる。

離婚した元旦那が、反宗教論の論客だったYさんは、瞑想後、なんか頭のてっぺんが開いてすかすかする。このままでいいのかしら?

と不安げだが、そのまま第3の目の気づきのゲートを開けて、頭から入って来るエネルギーを下に降ろしたら、変容になると勇気づける。

そうじゃない限り、いくらパワースポットに行って、上からのエネルギーを感じても、頭に少し入っただけで、変容にはならない。ただの観光旅行だ。

遠くからハート瞑想を期待して参加してくれたMさんは、「その時を生きるヴイジェィがいい感じだったし・・」と、思いつきでの第七チャクラのジベリッシュに付き合ってくれた。

頭が開いた感じはみんなしたのではないか?

瞑想後の桜見物も、ふだんより楽しめたのではないだろうか?

チャクラジベリッシュは、チャクラの本質的なエネルギーを制限しているメンタルなエネルギーを解放する素晴らしい方法だ。

宇宙と、存在と、神とひとつである一体感を感じる第七チャクラを制限するメンタルなエネルギーとは、まさに一体なのに分離していると誤解して、「神様助けて」とお願いしたり、祈ったり、感謝の言葉を述べるのも、頭の上にメンタルな帽子を載せてるみたいなものだ。

「神はいない」「神も仏もあるものか?」という帽子だってある。

僕は悟りをくれない存在に対しての怒りが過去生以来何層もあるからと、プラサードに言われて、OSHOの写真に向かって、怒りをぶちまけろと言われて、毎朝鍵をもらって、OSHOアカデミーの瞑想ルームの扉を開けて、一週間怒鳴りまくったことがある。

一週間たったらプラサードから伝言が来て、やめてもいいことになったが、あれはすごい一週間だった。

自分の欲しいものをくれない存在に対しての怒り、憤り。

なんでこのちっぽけな僕の面倒を存在は見てくれないのか?

もちろん子どもの頃からの傷も浮上したけれど、多くは過去生から持って来ていたものだった。

だからたぶん僕だけでなく、色々なメンタルなエネルギーを第七チャクラの上に被せている。それは第七チャクラだけのことではもちろんない。

神様を信じるとか、信じないとか、第五チャクラの信念の問題もあるだろう。しかし第七を意識してのジベリッシュは面白かった。

トルコ料理屋の二階で瞑想会していた時に、意識的にイスラム・スーフィズムにチューニングしていたことがある。

音楽を聴き、図書館で本を大量に読み、イスラム風のお祈りや瞑想も少しやった。

ある時に、チャクラジベリツシュの第七をやると、朗々とコーランのような節回しを歌ってた。

二分半トータルにやったら、あっけなく僕のイスラム・ブームは去った。

無意識に同一化していたエネルギーが解放されたのだろう。

過去世かもしれないエネルギーに、無意識に乗っ取られかけてたのに気づいたら、パタリと落ちた。

神はいない。神はフィクションだと我らがマスターがあれだけ言ってるのに、どこか無意識の深いところで、神様を恐れているのも感じる。

昨日ジベリッシュをやっていて、失敗を恐れたりする罪の意識の根源は、神への恐れだと感じた。

もう大人になって、誰も僕を叱ったり咎めるひとはいないのに、微妙に感じている罪悪感。

神様のようなものに監視されているような緊張感は、ハート瞑想を続けてなくなったが、深~いところにある何かへの恐れ。

それは日本人の集合無意識的には、神様というより世間様への恐れであるのだろうか?

日本人は世間様と言う宗教カルトに洗脳されているといったのは、敬愛するセラピストのスッダで、日本でもプーナでもアシスタントした日本人の脱条件付けのグループでは、仏壇が部屋の中で我々を監視し、僕は警官のコスプレしたり、ヤショダ扮する老母を背負う孝行息子役で、グループ中に闖入したりもして、皆の無意識を刺激した。

ホームセンターで買って来た神棚を、最期にキャンプファイアーしながら燃やしたのは懐かしい思い出。あれはすごいグループだった。

しかし、こっちに行ってしまうと、第3チャクラの個人の確立のワークが強調されるが、A君が話してくれたように個(イエロー)が確立して、補色のヴァィオレット(第七チャクラ)もはっきりしてくるのだろうか?

神戸の北野町には、日本で唯一のジャイナ教寺院があって、大理石ばりで、外国人信者たちの信仰によってか、前に訪ねた時は、確かに神聖な濃いエネルギーを感じた。

ジャイナ教は別にヒンズー教ではないので、神さま仏様を拝むわけではないが、寺院には始祖たちの像と瞑想スペースがある。

さらに北野町には、モスク(回教寺院)があって、見学もできる(これは未見)

さらに少し脚を伸ばせば、大天使ミカエルの降臨しているかのようなエナジーの「神戸聖ミカエル教会」がある。

ここは皆のお祈りでもやもやしているだけのエネルギーでない、暖かいエネルギーが確かにある。

まず、僕の愛好しているロシア料理で、ボルシチとかの珍しいランチを食べて、ジャム付きのロシアンティーを飲みながら、神様について信じ込んでいる事柄をすべて紙に書き出す。信じていないことも、お願いも、すべて書き出す。

そして、まずはジャイナ教寺院に行って、ジベリッシュでお祈りしてみる。

どうせ寺院のひとたちには何を言ってるかわからない。

小声でつぶやいてもジベリッシュは、咽やチャクラの表面にある制限されたメンタルエネルギーを一瞬のあいだ壊す。

そして、帽子のように冠っていた古いエネルギーが解放されて、王冠のチャクラが輝きだす。

回教寺院やミカエル教会でも、ジベリッシュでつぶやいてみよう。そして沈黙する。

カトリック神戸中央教会(キリスト教)も生田神社もある。

歩いて回れる距離なので、歩いてる時は、第一チャクラに呼吸して、上と下をつなげる。などの瞑想をしながら。

マントラとかお祈りとか祝詞とか、型と音声で、大いなるものにつながる回路を開き、アンテナのようになる役割があるのだろうけれど、元々大いなるものとひとつである第七チャクラをカバーしているメンタルなエネルギーをジベリッシュで解放して、シンプルに第七を開いてみる。

時間が許せば、後楽園の庭園に寄って、芝生の上でシェアリングとハート瞑想。四月はつつじが花盛りだ。大いなる自然と、事物との直接交流をして楽しむ。

解散後は、カラオケでも行って、精進落とし。

といったチャクラ研究会の課外体験学習。この実験を一緒にやりませんか? 研究者求む。四月中旬日曜日。詳細はまた。






最終更新日  2018.03.30 18:11:51
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2018.03.29
カテゴリ:ビレッシュ
今日、時代劇の稽古場のスタジオでワークをして、ビレッシュが忍者の格好で写真撮りに行ったの思い出しました。それでビレッシュのインタビューも思い出した。

ちょうど初来日の年に、ガールフレンドと、69歳で生まれた息子と、別れてしまいました。インタビューでもグループでも正直に語ってました。

次の年には京都の時代村に一緒に遊びに行って、自分がコスプレしたのと同じ忍者の衣装を買って、息子に送っていたことを思い出されます。


しかしその忍者の写真がオランダのヒューマニバーシティーの公式パンフレットに1ページ大で載ってた時は、つくづく彼らのお茶目ぶりと複雑な心境を想ったもんです。

今日のチャクラのワークショップで、その時方が参加してくれてたのと、主催してくれたアネーシャを中心に友情の輪があって、それがこのチャクラ瞑想をきっかけで深まっていきそうなので、記念に、記事を再掲載します。

なんか場所といい、ひとの集まり具合といい、ただのチャクラ瞑想ワークでなく、ビレッシュがくれたヒューマニバーシティジャパン風のワークをやっていけそうな予感がするのです。

写真は忍者姿のビレッシュ。このひとがOSHOからとても愛された、世界一のセラピストでした。





●危機の中にいる時に、あなたは何ができますか?ただ人生で起こった事実を受け容れて、時が過ぎるにまかせるという部分もありますか?

◎ビレッシュ
そうですね。危機のときに私がすることで、私の友達全員にもそうするように勧めることは、孤立して、引っ込んでしまわないことです。そうするのではなくて、その状況によって内側に生じる痛みをすべて解放することができるまで、何度も繰り返し分かち合うことです。それは孤立の反対です。私は、自分が大きな危機を経験している時には、それでも一人ぼっちではないのだ、ということを知っていたいと思います。

●最近あなたはいつ大きな危機を経験しましたか?そして何が助けになりましたか?

◎ビレッシュ
私の以前のガールフレンドだったパヴィタと私の息子が、ブラジルへ行ってしまったときのことを思い出します。彼女は私と関係を続けたり、家族になったりしたくなかったのです。そのことは、私の夢、私の期待、私の希望、私の切望、私の欲望を完全に打ち砕いてしまいました。私は真っ暗なブラックホールへ落ち込んでしまいました。そして私を救ってくれたのは、周りに友達がいてくれたことと、何度も繰り返しシェアをし続けたことです。

一人でいれば、頭の中で何度もこれを繰り返して、解決までに3年かかったかもしれません。けれど、私は3ヶ月で乗り越えることができました。私は自分が経験していることを友達と分かち合いました。決して友達が解決に至らせてくれることを期待したのではありません。実のところ、彼らのしてくれたことは、私に耳を傾け、思いやってくれたことでした。私はとても愛されていると感じさせてくれたことは、癒しになりました。悲しみと痛みを分かち合ったことは、魔法でした。耐え難い危機を経験している時、私が必要としていることはそれでした。私の友達が、私のためにそこにいてくれる、ということです。

この時期、私にとってショックだったことは、ドラッグをやっていた頃の古い記憶がよみがえってきたことです。私は、それはもう消え去ったと思っていました。私の持つ姿勢全体が、まったくどうだったいい、何もかもどうでもいい、というものでした。そのフィーリングを再び経験したことに、ショックを受けました。そして、友達の助けを得て、這い戻ってきたのです。
今では、パヴィタは私の友達になり、私は状況をあるがまま受け容れています。

●他に何か話したいことはありますか?

◎ビレッシュ
何年も前に、私は責任ということについてこの概念を学びました。:私は自分が誰かということに責任がある。私の人生で自分が行うこと、私の人生で自分に起こることに、私は責任がある。それを受け容れるのは難しかったことを覚えています。不公平だ、そんな現実は最低だと思いました。今では、責任を取らなければいけないことが分かっています。もしあなたが危機の中にいるなら、ブラックホールに入って、そこにとどまり、外側の世界に不平を言い続けることを選ぶこともできるし、それを踏み台にして前に進んでいくこともできるのです。

何年も前、ガンダが私の寝室に飛び込んできて、私を見て、ショック状態にあったことを思い出します。私はベッドからはね起きて、尋ねました。「何があった?」彼女は答えました。「Oshoが亡くなったの。」私は彼女を見て、言いました。「嘘だ。そんなはずはない。プーナに電話をして、問い合わせてくれ。」そして彼女は部屋を出て行きました。そのとき、Oshoが死んだというその考えが、私の胸をぐさりとつらぬきました・・・。私は凍り付いてしまいました。ショック状態でした。呼吸をすることもできず、息を切らしてあえぎました。落ち着くまでしばらくかかって、それから赤ちゃんのように泣き出しました。全世界が止まってしまったように感じました・・・。胸が裂け、心臓が飛び出したかのようでした・・・。私は、ただ、泣きました。

周りに友達がいて、分かち合うことができたのはいいことでした。死んでしまいたいという気持ちを感じていました。私は本当に打ちのめされていたのです。私のマスターであり、友人が逝ってしまった・・・(ビレッシュはすすり泣く)そして・・・、今、私はOshoをすべての人の中に見ます。

―彼は、私たち全員のハートの中にいます。
そうです。永遠に。            ビレッシュ






最終更新日  2018.03.29 12:09:47
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カテゴリ:グループ報告
ポカポカ陽気の小春日和の水曜日。アルビナのハート瞑想の記事がananに掲載された日に、大阪でハートチャクラを開くワークをしてきました。

大人数ではなかったけれど、素敵な顔ぶれで、瞑想してきました。

20年前にPoonaに行かれた方も、瞑想が初めての方も、みなさんとても満足されてました。

来月もまた、4月25日の水曜日の昼間に、瞑想の花を咲かせましょう。となりました。

来月は、ハートから、第3チャクラの前と後ろ(行動と休息)のバランスを探求します。

ひさしぶりのオーガナイズに取り組んでいただいたアネーシャさん、ありがとうございます。

会場は、侍パフォーマンス劇団の稽古場件スタジオで、侍カフェというのもされている興味深い場所。

広くて大きな音で、エナジェティックに動ける場所で、今後が楽しみです。

日本刀もたくさんあって殺陣や演技を学べる処で、忍者アクション、時代劇の出演者募集中ということなので、思わず応募要項を見ましたが、年齢制限がありました。20歳から34歳の男女。残念。

時代村でのお仕事もされてれる方もいて、あの世界一のセラピストのビレッシュに請われて一緒に行って、ビレッシュが、忍者の扮装で写真撮ったの思い出します。

ビレッシュが生きてたら連れてきてあげたかった笑

その方の殺陣で学んだハラへの理解が、サトルボディヒーリグのハラについての理解と同じなので驚きました。いつか日本刀(模造刀)を使って、番外編でハラのワークをシェアしてもらいたくなりました。

帰り道、記念に梅田でTシャツを買いました。黄色なんて初めての買ったんだけど、黒い薔薇がヒューマニバーシティ風なデザイン。これ、第3チャクラにちなんで、来月着ていきます。









最終更新日  2018.03.29 12:07:36
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2018.03.25
カテゴリ:プライベート
ビハール州の二度とは行けない奥地の村で、世話になったゴパール・ジーが、「日本語ではドロボウとはなんて言うのか?」と聞いてきて、お互い片言の英語で、時間をかけてなんとか意味が通じ合い(というのは、回りは見事に、ヒンズー語しか喋れない人だし、外国人は僕が始めて来訪したというゴパール・ジーの奥さんの実家でのこと)僕が「ドロボウ」と言うというと、ゴパール・ジーはどうやら、僕のトラベラーズ・チェックを、ゴパール・ジーの息子の一人が盗んだらしい・・ということを僕に神妙になって、日本語を使って報告したかったみたいだが、ゴパール・ジーが「ドロボーイ」「ドロボーイ」と言うので、それがおかしくて、お互いに笑い転げてしまった。どうせ満天の星空と、羊の絞りたてのチャイとナンとダル・スープだけで、一日は過ぎてしまう日々だったし、お金なんてしばらく使ってなかったし、かなりの量がなくなったと思うのだが、そして父親のゴパール・ジーはその犯行に関係していたのかしていないのか、わからずじまいだけれど、植木等そっくりのゴパール・ジーは、美人の奥さんとたくさんの子供を僕に紹介するために、どこの馬の骨かもわからない僕の手を取って(実際に良く手をつないで歩いてくれた)長いバスでの旅を共にしてくれて、その上が僕が落ち込んだり心配してると見て取ると、すかさず、「ハレ・クリシュナ♪ハリ・ラーマ♪」なんて歌いだして、絶妙のユーモアのある正体不明のオジサンだったから、もう僕は、盗まれたトラベラーズ・チェックのことなんかより、「ドロボーイ」「ドロボーイ」と言って、笑い転げる風に、その時はスイッチが入っていた。









最終更新日  2018.03.25 13:26:46
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カテゴリ:プライベート
父は学徒出陣の海軍で、終戦間直に、駆潜艇というもの乗っていて、ある時、爆撃され、艇は沈没。三メートル程の板を持って、海に飛び込んだことがあるらしい。それについて、本人が書いた手記がある。「私が歴史にふれた時」というタイトルで、そのクライマックスとも言える一節をここに書き写す。

「板の上に腹這いになり両手で水をかきながら、沈没時の渦に巻き込まれないよう、一刻も早く艇側から離れなければならなかった。

 思ったより波が大きく、相当離れたところを泳いでいるらしい中尉や兵隊たちの声がかすかに聞こえる。艇は沈んでしまったらしく、姿が見えない。真黒い波が大きくうねってくる海面は、なぜか静けさもあって、七月の真夏でありながら無性に寒気を覚えた。波に漂いながら暗い夜空を見上げると白い丸い月が出ていた。

その時、私は死もなく、生もなく、また家も国もなく、たった一人で、波間に浮かんで、なにひとつ考えることもなかった。」

●結局、一時間後に救助されたのだが、戦争の思い出話は、聞けば語ってくれるが、このことについては話をしない。ただ、この手書きの手記を気に入った僕に、彼は「お前が持っていてくれ。」と、それを手渡してくれた。






最終更新日  2018.03.25 13:06:31
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カテゴリ:プライベート
>だからあんまり躊躇なく命が大事な方を選んだんではないかと思う。

と書いたけれど、圧倒的に無言の圧力で、志願することを強制されるような雰囲気だったんだろうから、それに反抗するのは、そんなに簡単なことではなかったのではないか?大半の人は◯をつけたというし、その後のリンチといい、父は語らなかったがきっとあったであろう後ろめたさといい、どうやって彼は処理してきたのだろうか?つらくても感情に浸るのでなく、頭を振って忘れろと僕にアドバイスしてくれたことがあるタイプだから(まさに浸りきる僕とは正反対のタイプ)なんとかそうやって戦後を生き抜いたのか?(この頭を振るのは、まるでNLPの技法のように実際に数度振って見せてくれた)考えてみたら二十歳前後の一番青春の頃に、こんな選択をして、戦友たちは死んでいったわけだから、退職して暇になってから、猛烈に戦争文学を読んだり、歴史研究の会などに通っていたことの意味も、少しは推測できる。またエッセイ教室に通い、何点か戦争の思い出話も書いている。彼の引き出しの底には、古ぼけた戦友たちの写真が大量にあった。おもしろおかしくしか思い出話をしない人だったから、実際にはどんな気持ちだったかは、わからない。 この「出口のない海」は父が死んでからの作品で、彼は見ていないが、きっと見ていたら辛口の批評だったと思う。終戦後に田舎に帰り、大学が再開するまでの間、古本を集めて、古本屋を起業したという。「酔いどれ船」という名前をつけたという。アルチュール・ランボーの詩からとったという。

この僕もまるで「出口のない海」に潜行しているような、あるいは漂えど、沈まずのような日々だから、何かわざわざビンタを受けた父に申し訳ないような気がする。

と書きましたが、映画を見たときにかすかに感じた申し訳なさで、実際の父が死んでいった戦友に申し訳が立つほど生を謳歌していたかは、そんなんではないと思いますが、何かこういう発想を持つことが苦しいのだと思う。

父も母もそんなに深刻な話ではないのですが、僕が聞きたがったので、たまに戦争の話はしてくれました。それがどんなふうに僕の無意識に影響しているのか、気づく価値はありますね。

若いときに世話になったアナキストの向井孝さんは、徴兵検査の前に泥水を飲んで、わざと病気になって前線には行かなかったという。その話は何度も聞いて、それとか兵役拒否したキリスト者の話とかは調べたりしたこともあった

父は晩年の闘病生活で、すっかり痩せ細って余った皮をビョ~ン、ビョ~ンと自分で伸ばしながら、息子に話しかける姿が、キュートで壮絶でした。

結局 特殊兵器に志願しなかった僕の父は、訓練が終わると左遷みたいな感じで、呉の軍港で機雷掃除の船に乗ってたそう。それでも一度爆撃されて船が沈没。海に浮かんでたことある話も何度も聞かされた。母は女学生で工場で働かされたと。疎開もいろんな思い出があるでしょうね。

父は前線には行ってないからとにかく軍隊の話はたくさん聞いて、それがなによりも嫌で、学校の体育なんて本当に軍隊みたいでいやだったけど、そういう反発の方が原点ですね

僕は戦前から命をかけて戦争に抵抗してきたひとたちに何人もお世話になったりしたので、いまこんな時代になっていることがその人たちに申し訳ないです。






最終更新日  2018.03.25 12:36:11
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カテゴリ:プライベート
再録mixi 出口のない海と死霊 2008年08月01日

僕の死んだ父は、大学生のとき学徒出陣というので、海軍に入った。訓練中にある時全員が呼び出されて、「今から特殊兵器の乗組員を募集する。志願するものは名前に◯を書いて、提出すること。一時間の間に考えること。お互いに相談しないこと。」と厳命されたという。

名前に◯を書いた者は、その後、「人間魚雷回天」というのに乗り組んだそうだ。人ひとりがやっと入れる魚雷を改造した小型潜水艦で、敵艦に突っ込むのだ。

この間、この人間魚雷回天を描いた小説「出口のない海」を読み、それを原作にした映画を見た。

父と同じ学徒出陣の主人公は、父と同じくある日呼び出されて、同じ事を言われて、その過程が、父が何度か話してくれた思い出話とそっくりだったから驚いた。

違っていたところは、主人公は名前の上に◯を書いたところ。彼は一時間の間、悩みに悩んでいたが、父は躊躇なく志願しないことを選んだらしい。戦局はもう不利になっていたし、特殊兵器とは不吉な気がしたと父は言う。父の父親(僕の祖父)は若い頃にアメリカに歯医者の修行に行って、父は子供の頃シアトルで過ごしたから、どこか日本人離れした合理的なマインドを持った人で、義理人情とか大和魂とかとは縁の薄い人だったと思う。だからあんまり躊躇なく命が大事な方を選んだんではないかと思う。

小説と映画の主人公は、結局は事故で、回天の中に閉じ込められ窒息死してしまう。俳優の人がとても大学生とは思えなかったけれど、なかなか良い哀しい味の映画だった。その映画を見て、父から何度も聞いた話ではあったが、初めてその時、父がもし名前の上に◯を書いて、志願することを選んでいたのならば、僕は生まれていなかったのだなあと思った。それは僕にしては珍しい何か不思議な感覚だった。

映画には描かれていなかったことであるが、紙切れを提出した後、◯をつけなかった者(志願しなかった者)は、呼び出されて、猛烈にビンタされたらしい。それはそれは猛烈なビンタだっと、父は顔をしかめて言ってた。

この僕もまるで「出口のない海」に潜行しているような、あるいは漂えど、沈まずのような日々だから、何かわざわざビンタを受けた父に申し訳ないような気がする。

ところで、チベット人のお坊さんが、
死のハンガーストライキを決起中らしい。

僕はなんとも複雑な気持ちで、
親父のことを何故か思い出してしまった。

関係ないけれど、晩年の親父とそっくの顔をしている。






最終更新日  2018.03.25 12:28:52
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カテゴリ:プライベート
はばからずもの言うさがも老いぬれば慎しむとなく寡黙となりぬ

なんて歌を読むと、お爺ちゃんも、はばからずもの言う人だったのかと、血脈を感じる。

生涯を娶らず逝きし老友を思いて独り眠れずに居り

なんて歌が今日は沁みてくる。

依存する相手を探して、今日もRから電話があったが、瞑想ガイド中だったから取らなかった。

孫くると電話の声に独り居の部屋ことごとく灯をともす

なんて歌を読むと、お爺ちゃんとゆっくり話せばよかったなあと思う。

死ぬまで現役の歯医者さんで、「独居老人の孤独」なんてタイトルで講演会もするお爺ちゃんだったから、たまに会う孫は緊張してた。

もうひとりのお爺ちゃんは大好きで、よく家出しては黙って匿ってくれた。

こっちは在家の修業してたらしく、円満な人格のひとだった。

僕の母親に、僕が荒んでいた時、黙って掛け軸を渡したみたいで、母親は意味が分からず、押入れにしまっていたが、形見に僕の手元に来た。

真っ黒な背景に金の観音さんが描かれていて、今でもリビングルームに飾っている。

闇の中から仏さんが出現するのかとか、あれこれと、たまに思索している。

最近は第1チャクラにつながってテルミーを毎日するからますます部屋は抹香臭い。









最終更新日  2018.03.25 12:21:06
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