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さらにフリッツ・パールズの話。
やはりエスリン研究所で、ある日、サンフランシスコのテレビ局が取材に来て、ハーナー、カスタネダ、ナランホ、マーフィー、フリッツ・パールズ(ナントそうそうたるメンバー!)に集団インタビューをした。当時まだUCLAの文化人類学の大学院生であった(かもしれない)カルロス・カスタネダが例のドン・ファンの教え「分離したリアリティー」の理論について説明した。その要旨は、現実は絶対のものではなく社会的な産物であり、われわれが知っていると思っていることは、すべて他人から学んだものだということだった。「自分が存在していることをどうやって知ることができるのか?」とカスタネダはインタビュウアーに疑問を投げかけた。その瞬間、フリッツ・パールズは、禅僧のごとく素早くカスタネダの顔を平手打ちした、という。 痛快である。 カスタネダはドン・ファンからだけでなく、パールズからも叩かれていたということだ。 さらにパールズのエピソード。 ある時、ビバリーヒルズの高校の講堂でゲシュタルト・セラピーの講演・実演をやった時のこと、例によって彼は続けさまにタバコを吸っていた。誰かがこの講堂は禁煙ですと指摘した。「そうだろうが、俺はフリッツ・パールズだ」と彼は答えた。それきりそのことは問題にならなかった、そうだ。 またエスリン研究所では、名物の温泉やマッサージは全裸で行われるので有名だが、そこはセクシュアルな雰囲気は和らげられたより自然な環境を皆が創り出していた。しかし、フリッツ・パールズはひとり、性的興味を隠そうとはしない70歳のジイサンだった。誰か女性の性器を触りたがり、勃起しても隠そうとしなかった、そうだ。 このフリッツのボロボロの身体をロルフィングの創始者のアイダ・ロルフが治したという。 当時(1960年代末)には、彼の作った有名な詩、「ゲシュタルトの祈り」がパールズの大きな肖像の上に書かれているポスターが、そこここで売られていたという。 「私は私のことをし、あなたはあなたのことをする。 私はあなたの期待を満たすためにこの世に生きているのではない。 あなたも、私の期待を満たすためにこの世に生きているのではない。 あなたは、あなた。 私は、私。 たまたまお互いに出会えることがあれば、それはすばらしい。 出会えることができなければ、それはどうしようもないことだ。」(ゲシュタルトの祈り) ところが、街で売られているポスターには、最後の一行は除かれていたらしい。誰もそのことを考えたくなかった、ということかもしれないし、当時の希望の革命の雰囲気とは合わなかったということかもしれない。このセラピー業界の間では、今でも有名かもしれない詩が、ポスターになってそこらじゅうで売られていたのも驚きだが、最後の一行が削られていたというのも驚きだ。 「フリッツ・パールズ Fritz Perls 1893 - 1970 ユダヤ人。ナチスが権力の座につく前にドイツを飛び出し、民族主義者が権力を握る前に南アフリカを去り、レーガンがカリフォルニア州知事になったことでアメリカを見限って、カナダで死亡。精神科医。「ゲシュタルト・セラピー」の著者。そのセラピーは、アウェアネスの拡大と、無意識の破壊的部分を治癒するために、対話(セラピストとクライアント、および自己の諸側面との)のテクニックを用い、夢解釈ではないが夢を使った。セラピストはクライアントのプライバシーに侵入して、失われ、死滅している感情との接触をと戻すことを助ける。」 さて、今日のトルコ料理はおいしかったです。ついでにバットマンほどの暗さを期待した「デアデビル」はいまいちだった。「僕は悪人でない」と呟いて、自分の情動に正直であろうとすることよりも、自己イメージに成ろうとする話だった。非同一化というには無理があったし・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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