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カテゴリ:瞑想・気づき
![]() 何種類かの探求者がいたように思える。 1.エネルギーを探求している人。 ダンスしたり、ボディーワークをしたり、色々な感情解放のセラピーをしたり、エネルギー・ワークをしたり、恋愛したり、働いたりして、生き生きとした振動するエネルギーの世界を探求している。 ゾルバ的。外向き。活動的。出会いも大切。光好き。音や色の世界。瞑想よりもセラピー好き。瞑想するんだっら、活動的な瞑想法。生に興味あり。西欧的。 2.空っぽさ(無)を探求している人。 沈黙して、内側を眺め、空っぽさ(無)に出会おうとする。 例えば僕だったら、1.のエネルギーの探求に疲れたら、しばらくは 誰とも口を聞かず、サマディーにこもって目をつぶって座り、暇なときは和尚の肉体を焼いた火葬場に行って、ただ静かに座ってたりしてた。 ヴィパサナ瞑想なんかに励んでいるときは、3.の探求をしているようでもあるけれど、僕は実は、2.を志向していた(これはたぶん人による)思考や感情というエネルギーを拒絶して、静寂のみを体験しようとしていた。 ブッダ的。内向き。非活動的。独りが大切。闇好き。振動数のない世界。セラピーよりも瞑想好き。瞑想するなら静かな瞑想法。死に興味あり。東洋的。 3.気づきを拡大することを探求している人。 いつの間にか、結局は、サニヤシンを長く続けていると、だんだんと3.になるのかもしれない。 その人たちが自覚的に3.の場合もあれば、自覚はなく3.の場合もある。しかし、たいていは長くOSHOと共に瞑想をしてきた人である。 1.や2.を行ったり来たりしている内に、1.にも2.にも気づいている「気づき」そのものが大切になってくるのかもしれない。 3.の人は、動きなかに沈黙があり、スペースのなかにエネルギーが動いているように生きる。 気づきが大きいので、エネルギーにも、空っぽさにも、同時に気づける。 そういう人は、意識拡大に焦点を当てている。結果、人生が実際に変容していく。 ゾルバ・ザ・ブッダ的。活動とくつろぎが同時にある。出会いと孤独を両方大切にする。光も闇も好き。音や色と、それらの周波数が、生まれて消えていく何もない空間を同時に気づいていることができる。セラピーも瞑想法も大事にするけれど、生きること全般に(死にも)、気づきをもたらそうとする。西欧と東洋が統合されている。 (OSHOの瞑想は、生き生きとしたエネルギーと空っぽさの両方に気づくようにデザインされているので、気づきの拡大をもたらす。例えばダイナミック瞑想は、第一、第二、第三ステージで、エネルギーを動かして、その生き生きさに気づき、ストップして空っぽさに気づき、最後にダンスして、二つを統合する。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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