ラ・ラ・ラ・メディテーション

2006/01/29(日)01:13

心理的痛みを友にする OSHO

瞑想・気づき(82)

プレナタル(子宮内)のトラウマ解除のセッションに 取り組んでいるAさんのために、OSHOの講話を 探し出して、アバヤにメールを打ってもらった。 Aさん以外の誰かにも役にたつかもしれないので、 ここに再録する。実は僕は急に背中が痛くなって、 (たぶん無理な姿勢で長時間、カラーパンクチャーの セッションをしていたからだと思う)キーボードを 打つのも今は、なんかちょっと響くのだ。 イタタ~・・ という感じなので、心理的であれ、肉体的であれ、 痛みを痛みとしてただ気づくのでなく、そこに「解釈」 をつけると「苦しい」のだと身をもって修行中。 ただでさえ痛い(肉体的に)のに、そこに さらに心理的な痛みを上乗せしないレッスンを しているところ・・・ 「心理的な痛みを友にする」OSHO 覚えておくべき非常に基本的なこと。 自由と変容の扉を開けるのは、 心理的な痛みを友とすることだけだ。 唯一心理的な痛みを友とすることだけだ。 痛みを伴うものはすべて受け入れられる必要がある。 心理的痛みとの対話を作りださなければならない。 それはあなただ。それ以外にそれを越えていく方法はない。 心理的痛みを吸収するのが唯一の方法だ。 そしてそれは途方もなき潜在的可能性を秘めている。 怒りはエネルギーだ。恐怖はエネルギーだ。 臆病であることもそうだ。 あなたに起こることはすべて大きな運動量を持っている。 その中に大量のエネルギーが秘められている。 ひとたびそれを受け入れれば、 そのエネルギーはあなたのものにある。 あなたはより強くなり、幅が広くなり、 もっとスペースができ始める。 あなたはより大きなうちなる世界を持つことになる。 唯一そのままにしておくこと、 あるいは完全に受容することにより、 終わらせることができる。 心理的痛みは唯一、 それを完全に受容することによってのみ終焉する。 心理的痛みは、ある種の「刺激」とか、 「苦痛」とか呼ばれている、リアリティを 根拠として存在しているのではない。 むしろその痛みは、避けたり、 抵抗したくなる事実やリアリティを 「解釈」することによって作り出される。 このことを理解しようとしてごらん。 心理的な痛みはあなたが自分で作り出したものだ。 臆病であることは苦痛なのではない。 臆病は悪いことだというあなたの考えのみが、 臆病であってはならないという あなたの「解釈」が心理的痛みを作り出す。 Unio Mystica 

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る