
5/5(水・祝)昼一時十五分から四時まで。
多次元に生きる――人間の可能性を求めて
オルダス・ハクスリー著(コスモ・ライブラリー)
訳者の片桐ユズルを囲んで
2000円 VIJAY Mysticunion主催
場所 阪急夙川駅「ギャラリーヌーブ」
黄金週間のしめくくりの光のあふれる午後になるはずです。
むかしからの大切なことがあたらしくスタートする
はじまりの日となるでしょう。
●汚染されない認識、全的な気づきは、どのようにして可能だろうか?
二十世紀の大知識人ハクスリーの本を題材に、訳者のユズルさんが、多次元に生きる人間の可能性についてお話してくれます。同時に、セラピストVIJAYがかんたんな多次元に気づく瞑想もガイドします。
ユズルさんからかんたんなアレクサンダーテクニックの実習もあります。本をまだ読んでいない人も気軽に参加してください。
「多次元に生きる」という本は、二十世紀の大知識人オルダス・ハクスリーが、本書に収録された二回の講演と三つのエッセイを通じて、人類生存のために必要なエッセンスを古今東西にわたる博識から抽出して活性化させることを提案している。
〔本書の主な内容〕
●人間の潜在的可能性
●両生類の教育――両生類の教育/アレクサンダー・テクニーク/視覚教育/自律神経/霊的洞察
●知ることと、さとること
●愛のヨガ――「抑制性交」/タントラ
●幻視的経験
●オルダス・ハクスリー小伝
●付録――中川・ユズル対談
●ハクスリーとの出会い――訳者あとがき など
《本文からの引用》
●すべての良い考え、良い感情、良い意志は、つまるところ良い認識から出て来ます。
わたしは……気づきを高めるということは絶対的に善であると思います。(以上、「人間の潜在的可能性」より)
●今ではきわめて当たり前と思われている暴力や残虐への衝動を、他のひとびとに迷惑もかけることなしに、取り除くための方法を開発することはまったく可能であると思います。(以上、「人間の潜在的可能性」より)
●これらのわたしが触れてきた、そして触れてこなかったいろいろな分野は、組織的な研究にあたいするものであり、望ましい潜在的可能性を実現する役に立つような材料を見つけることができるであろうことがわかつていただけたと思います。
その場合かならずしも科学的な材料に限定しないようにすることが必要です。
あやしげだったり、いかがわしかったり、原始的であったりするでしょう。
しかし真理は泉の底にあり、しかも泉はしばしば泥んこであったりします。
しかし泥んこであっても手をひいてはなりません。真理はそこにひそんでいるのですから。
そしてわたしの感じでは、もしこれらの発見が調査され、すべての経験的発見が出つくし、これらの発見に共通な原理が確定されれば、というのはこれらの潜在的可能性の実現をたすける方法はいろいろ異なっていますが、それらに共通する一般的原理は疑いなく存在するはずです。
そしてそれが実験的に組織化されれば、これは教育のあらゆるレベルで幼稚園から小学校まで応用され、そうしたら教育における大変な革命になり、子どもだけでなく大人にまで及ぶことになるでしょう。
そしてわたしの感じでは、これはたんなるユートピアン的空想ではなく、「トピアン」なのです。「ユー・トピアン」ということは場所のないということで、それの反対が「トピアン」場所があるということ、つまり、いまここでわたしたちが住んでいる場所で実行することが十分考えられるということです。
こういったことがひとたび注意深く研究され実験をかさねられたら、何らかのきわめて有用な結果があらわれ、ひとたびそれがはじめられたら多分それはあらゆる種類の新しい方法へと発展して行かないはずがないのです。
ですからわたしはまあまあ非常に楽観的に、わたしたちが注意を払うべきところに注意を払いさえすれば、できることはできるだろうと思っています。
そして今までになされたこと、できたかもしれないこと、これらを組織的に見つける努力をして、それらを大規模に応用できる方法をかんがえだしたら、このようにしてわたしたちはわたしたちのためにより良い世界をつくる手助けができることになり、もっと多くのひとびとが潜在的可能性を実現できるようになると、わたしは思います。
そしてその可能性は実質的にだれにでもある、といいましょうか、ひとりひとりにすでにあるものなのです。(以上、「人間の潜在的可能性」より)
●人間はだれでも両生類です。……ひとりひとりの人間は、五~六種類の両生類を束ねて、ひとつの両生類にしたようなものです。(「両生類の教育」より)
●全体的気づきのはじまりは、……わたし自身の無知と無力を実感することです。……しかし心をひらいて受けいれれば、これらの事実は平和の源となり、落ち着きと上機嫌をもたらします。新しい状況に対して古い条件づけで反応してはなりません。過去の異なった出来事にもとづいた概念に照らし合わせるのではなく、……生まれたばかりの赤ちゃんのように真っ裸の意識でもって反応しなくてはなりません。
(以上、「知ることと、さとること」より)
●ここでは身体のやさしさが「抑制性交」によって長引かされ、ほとんど神秘体験となることが垣間見られます。(「愛のヨガ」より)
●意識的には幻視の能力のないひとであっても、 無意識的には何かそれっぽいことを感じているのです。身体の化学的変化を誘導することによって、ふつうの日常的自己と、精神の奥深くにある幻視の世界を隔てている扉を、開けてしまうことがあります。(以上、「幻視的経験」より)
〈著者紹介〉
オルダス・ハクスリー(Aldous Huxley)
英国生まれの著作家(1894-1963)。第1次大戦後の前衛的文学者として知的風刺的な作風でもてはやされた。未来小説『すばらしい新世界』(1932)、精神拡大の実験記録『知覚の扉』(1954)などで知られる。 晩年はエコロジー危機と、それに対する人間の内面的改革の必要性を説いて精力的に講演してまわり、それらの考えは小説『島』(1962)と、連続講義『人間の状況』(1977)にまとめられている。
〈訳者紹介〉
片桐ユズル(かたぎり・ゆずる)
1931年、東京生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修士。 京都精華大学名誉教授。GDM英語教授法研究会会員、アレクサンダー・テクニーク・インターナショナル公認教師。著書:『意味論入門』(1965)など。 編著:『ほんやら洞の詩人たち』(1979)、『オルダス・ハクスリームム橋を架ける』(1985)など。訳書:フォン・アーバン『愛のヨガ』(1982)、ハクスリー『島』(1980)、『ハクスレーの集中講義』(1983)など。