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『ビジョン実現への道』

『ビジョン実現への道』

母の一言

『母の一言』


わたしの母は障害者だ。

46歳で私の父は他界した。

繊維関係の事業を志し知人から資金を集め工場の準備をし、
今からスタートという時だった。

父の他界後、残されたのは、短大生の姉、高校に入学したての私、
専業主婦だった母、そして莫大な借金だけだった。

事業資金集めとは体のいいことで実際には借金だった。

さらに父は癌だったため、入院費、治療費も並みではなかった。

一家の大黒柱を失い、2人の子供を抱え母は途方にくれた。

しかし悲しんだり、しょげている暇はなかった。

借金の請求や督促、取り立て、多くの支払いは容赦なく襲ってきた。

今まで、ほとんど外で働いたことがなく、手作りのお菓子や、
料理が好きで、おっとりのんびり、ちょっととぼけた無学な母だったが、
必死で働いてくれた。

父が元気だった時は、内職やパートをしながら少額ながらも家計を助けていた。

父の他界後は、手に職があるわけでもなかったので、
すぐに働くことができる仕事をと、料亭の仲居、
中華料理店の給仕、夜中のうどん屋さんの手伝い、
居酒屋の手伝い等々、水商売を中心に働き、借金を返し、
女手一つで、わたしたちを育ててくれた。

文字通り真夜中まで、いや時には朝方まで働いてくれた。

わたしたちもアルバイトをした。貧乏ながらも何とか生活ができた。

姉も縁があり嫁ぎ、わたしも成人した。

しかし私は、ひとつの仕事も3年続いたらいいほうで転職を繰り返していた。
自分に自信がなく何事も中途半端でいい加減でルーズな人間だった。
本ばかり読んで行動が伴わない甘ったれな弱い人間だった。

20代の頃、好きな女性ができ、一緒に住むようになった。

わたしは、母を放ったらかしにした。

ほとんど母の元に帰らなかった。

何か仕事で失敗したとかお金で困ったとか、そんな時にだけ
母に会いに行った。

自分勝手もいい親不孝な人間だった。ひどい人間だった。

そんな私にでも母はできる限りのことをしてくれた。


何も世間のことを知らなかった母が水商売で酒に強くなり、
たくましい女になっていた。

30代の頃、わたしはまたもや仕事で上手くいかず、困り果てた末、
母と2人で同居してもらった。
実に情けない男だった。

わたしの仕事も落ち着きかけ、冗談もいいあい、仲良く暮らしていた。

そんな矢先、夜中に母がトイレに行って中から声がした。

「身体がおかしいねん」

身体が動かないと言う、ろれつも回っていなかった。

母を抱え出し、ふとんに寝かせた。
夜中のことだったで、一晩寝てから病院に連れていった。

脳梗塞だった。

元々太っていたので血圧が少し高い程度だったが、
ほとんど健康そのものだった母が。

左半身不随になった。


わたしはその時初めて自分の今までの行動を反省した。

「俺のせいや。こんな親不孝な俺に、何も文句を言わず、
ここまで育ててくれたのに、ずっと俺は母を放ったらかしに
してたから母はこんな姿になったんや」

心から悔やんだが、悔やみきれるものではなかった。

わたしは自分を責めるようになった。
親不孝を重ねてきたバチがあたったと思った。

「今までみたいにフラフラしてたらあかん」と思った。

会社員として必死で働いた。
そして、仕事が終わってからは今後の人生について
真剣に考えるようになった。


母も懸命にリハビリをおこなってくれた。

少しずつ機能が戻ったが、病院では「ここまでです」と言われ退院した。

母は障害2級の障害者となった。

家に帰ってからも、持ち前の頑張り屋の母は、リハビリを
続けた。左手はほとんど動かないが、左足はゆっくりであれば
足をひきずりながら歩けるようになってくれた。

ときには手の代わりに口を使い、ほとんどの家事をこなしてくれている。

母の発病後、5~6年たった頃、会社員としてのわたしの
仕事は安定してきつつあった。

今まで親孝行らしきことを何もしてこなかった
ダメ人間だった自分が

「一回温泉に行こうか?」と母に言った。

最初、母は自分の身体が不自由なので遠出をすることに
不安をおぼえ難色を示していたが、母の育った故郷に行くこと、
母が大好きなカニが食べられることを伝え説得した。

母は病気になってから初めての旅行だった。

駅の構内や通路など、ゆっくりゆっくり壁に伝わり、
わたしの腰のベルトにしっかりとつかまりながら
動かしづらい足を一歩ずつ前に出し歩みを進めた。

地方の美味しい酒と駅弁を買い、列車の中で
「おいしいなあ」と2人で言いながら
ほろ酔い気分で飲み食べた。

わたしがあまり喋らないので母との会話は
少なかったが、行きの列車でも
母はニコニコと上機嫌だった。

宿につき、温泉に入り、お待ちかねの
カニ料理をたいらげた。カニ三昧だった。
うまかった。

一泊しお土産もたらふく買った。

翌朝ふたりで海岸をゆっくり歩いた。



母が独り言のようにぽつりと言ってくれた。

「もういつ死んでもええわ」と。




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