2007/02/17(土)05:43
取り除かれた十字架
...と 書くと、 何だか重々しいな。
でも メジュゴリエに巡礼をした際、 心に刻まれたことがあった。
神様から あなたに与えられた十字架を、怖れずに受けるように。 背負いきれない重荷を負わせられることはなく、必ず その十字架は 与えられたと同じように 主が取り除いてくださいますから。
心から悲しみ、苦しんでいる時、 イタリア人シニョーラのアンナは こういたわってくれた。
Soffri bene! (よく苦しみなさいね。)
カトリック信仰に根差した 苦しみの価値、 というのを知っているもの同士、 その言葉で救われたように 微笑みを交わしたことを、今でも覚えている。
Soffri bene. イエズスが その人の苦しみを見て、 手を差し伸ばさずにはいられなくなるくらいに。 苦しみに向かえる力を 主に依り頼んで、 ただ良いことだけを希望しながら。
現実に走り続けていった離婚問題は、 具体的な苦しみの場だった。
これからどうなるんだろう。 怖れを感じながらも、 自分でできることは さほど無く、毎日をあるがままに受け入れて 子供たちを育てるくらいしか なかった。
彼が離婚する気であれば、あなたには止められないことですから。 カトリックの神父様のもとに 告解に行くと そう言われて、罪を赦していただくというより blessing(祝福)を受けて告解室から出ることになったりもした。
クリスマスから新年の頃、日曜、月曜と立て続けの ミサに出ながら、なぜか 内から湧き出るような 特別な 希望の火が 私を祈りに駆り立てた。 私は望む...。
そして、 2007年がやってきた。
一月の中旬、夫は 彼の雇った弁護士に手紙を出した。
自分が申し出た離婚の訴えを 取り下げるように、と。
驚いたように、私の弁護士さんが 直々に電話してきた。
彼側が、離婚訴訟を取り消したいと 言ってきました。あなたはどうしますか。
彼が取り消したいのなら。
考えながらも、時間を置かずに返答していた。
私からも取り消してください。
電話を受けた週の金曜、取り消し要請の手紙を (前日にフォーマルな形でコンピューターで作った)弁護士事務所に届けた。
秘書のリンダさんは 以前から本当の私の気持ちを知っていて、ああ、よかったわ、あなたにとって。あなたの気持ちを思って、私は嬉しい。 そう言ってくれた。
ありがとう、リンダ。
法律事務所で 普通起きるべき展開とは 全く異なる形で 私のケースは閉じられることになった。
数日後、弁護士事務所から届いた書類は、2つの内容だった。
離婚取り下げの手続き書類。弁護士さんたちが代行して、完遂してあった。
そして、今までにかかったコスト。
最初に支払った依頼費 3,000ドル から引かれる形で、 もう2年近く、幾度かリストを受け取っていた。
最後のリストは、 200ドル近く足が出ていた。
手書きでメッセージが 短く書かれていて、 それが弁護士さんからの 「この代金は請求しません。 Best of luck! (= Good luck! 幸運を祈ります。)」 とわかったのは この手紙を開いてから翌日、 辞書で waive の意味をひいた時だった。
まわりの人の暖かさと寛大さが、ただ ありがたかった。
こうしてまた、一から 夫と一緒に歩き出せることになった。
そして家族に、 笑顔が戻った。
こんなふうに 私から一つの十字架が与えられて、 取り除かれたことが 不思議で...以前よりもっと違う意味で、 幸せを感じている。