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2007/06/27(水)14:59

叔母の具合

家族(43)

Zia(夫の叔母で先日85才を迎えたばかり)が 急に呼吸できなくなって救急で運ばれた、と夫。 大丈夫? 今週末 お見舞いに訪れる? 今週末だって? 明日にしよう。 エエエエエ! そ、そんなに深刻なのか??? いや、もしかしたら 大変なことになってるのかも。 夫は こういう時には 情報を出さず、極力秘めておくタイプだし。 と、頭の中がグルグル状態のまま 月曜、夫の勤務先まで出向いて 仕事が終わった後 ケアセンターへ。 車を走らせて 片道2時間くらいの距離で。 夫は Non poteva respirare.とか、半過去を使って説明するのだが。 大丈夫だろうか、その半過去の意味は もう既に...とか、余計な心配が胸を駆け巡る。 しかも黒い服装の夫だし。 ケアセンターでなく、 違う施設だったらどうしよう。 なんとも彼に問い直しにくく、 不安なまま助手席に座って 須賀敦子さんの著書なんぞ読み返していた。 ホッとしたことに、到着先はケアセンターだった。 そしてさらにホっとしたことに、いつものように穏やかな叔母が、ピンクのシャツ姿で笑顔を向けてくれていた。 相変わらずの素朴な、 私にはちょっとわかりにくい南イタリアの方言で 何が起きたかを説明してくれて。 でも酸素吸入措置で 少しもち直したと。 年齢の関係か、肺機能が衰えてきたらしく それが心配といえばとても心配。 叔母の長女で、夫の従姉妹にあたるマウラさんも ケアセンターの玄関先にいた。 片足先が 包帯グルグル状態で。 エエッ !? どうしたの? いつこんなことに? 先週。 だから母が倒れた時に 助けられなくて。 Mamma e figlia! (母子ねえ! こんなふうに お互い具合悪くなるなんて。)と驚いて言った私だった。 でもここは叔母の三人の子供たちが しっかりと同じ町に住んでいて、孫やひ孫の代まで近くにいる。 子供たち連れているし、食べさせないといけない。 一時間ほど談笑して 私たちはケアセンターを後にするつもりで、皆で挨拶を交わして駐車場に。 と、叔母の長男、ディーノが姿を現した。 よお、元気かい。 また談笑に花が咲いて、来年は定年だよ、そういう彼に夫は何年勤めたのか訊ねていた。 43年。 43年間、一つの会社に勤めあげてきた 2まわり近い年上の従兄弟の辛抱強さに 夫は驚いていた。 ディーノの目はいつも優しい。 穏やかに、穏やかに忍耐強く生きてきた。そんな生き方が 彼の柔らかい表情を作っている。 そして その母で 未亡人として三人の子を育てあげた 叔母の柔らかい笑顔も、日々の生活の中の忍耐から作り上げられたもののように思う。 こんなとき、イタロアメリカーノと呼ばれる アメリカに移住したイタリア人家族の人たちの苦労に、その真剣な生き方に 心打たれて、敬意を込めて深々と頭を下げる思いがする。 人生は、ただごとじゃない。 そんなふうに 須賀さんは表現した。 私にも その意味がだんだんわかりかけてきて、生を受けていられる今が ありがたい。 何も学び取っていなくて、溺れそうな中を 腕や脚をバタバタとかいている日常だけど。

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